2011年8月18日木曜日

世界で最も偉大なアニメーターの素顔。宮崎駿。

▲うん、どのあたりから。

 筆者は、魔女宅の漫画本をもっている。

 時々、パラパラとめくってみるのだが、いつも漫画本に使われている映画のカットの見事さに、驚かされる。

 1ページ毎に貼り付けられている画像の中の人の配置、彩色、セリフのムダのなさ、…まさしく天才としか言いようがない。

 これほどのものが作れる人間がこれからも出てくるものだろうか。

 以下、アメリカの新聞から抜粋。

 日本のアニメ作家、宮崎駿氏(70)は世界で最も偉大なアニメ制作者であり 日本のポップカルチャーの象徴だと世界の人々から評されている。

 2002年、「千と千尋の神隠し」が世界中の 映画館で上映された。

 同作品は日本国内の映画興行成績の記録を塗り替え、宮崎氏に米アカデミー賞長編アニメ賞をもたらした。

 宮崎氏は1985年にアニメーション制作会社スタジオジブリを設立して以来、 自然界をテーマにしたファンタジーと環境保護やフェミニズムといったシリアスなテーマを融合した18の長編アニメ映画を制作している。

 2008年の作品「崖の上のポニョ」には大津波のシーンが含まれている。

 宮崎氏は作品の中で自然災害を描くことについて、自分は災害を予言する 破滅論者ではなく、人生のはかなさを浮き彫りにする現実主義者だと語る。

 宮崎氏がアニメを制作する際の細部へのこだわりや、良い作品を作るために努力を惜しまぬ姿勢は、米アニメ制作会社ピクサーのジョン・ラセター氏や、 「ウォレスとグルミット」シリーズで知られる英アニメーター、ニック・パーク氏など、世界のアニメ制作者たちからも称賛されている。

 しかし宮崎氏は、アニメーターたちが絵を1枚ずつ手描きし、コンピューターグラフィックをあまり使わないスタジオジブリのような制作会社は廃れる運命にあると考えている。

 自分たちは絶滅種かもしれない、と語る 宮崎氏だが、今後も手描きにこだわり続けるという。

▲補足、感想など

 この評は、アメリカ人が書いたものかなぁ。

 どこか、対象に肉薄しようとする執念深さがたらない。

 先日、息子が監督した「コクリコ坂から」を見たが、全体として面白いとは感じたが、やや平凡で、駿ほどの「深み」がない。

 やはり、宮崎駿を語るには、「手塚治虫」との敵愾心に近い「つっぱりかた」を知らないとピントが外れるか。

 20094月の記事から転載。

--ここから

 「僕は、手塚さんとはずっと格闘してきましたから。

 それは『恩義』だけれど、そんな言葉で語れるほど簡単なものじゃありません」

 漫画とアニメーションにおける巨匠二人には、有名な“因縁”がある。

 手塚さんが没した1989年、 宮崎さんは追悼特集で、アニメーション作家としての手塚治虫を〈店子を集めてムリやり義太夫を聴かせる落語の長屋の大家と同じ〉と批判した。

 その後、ほとんど手塚治虫について語らなかったが、今回、7歳の時に読んだ『新宝島』(1947年)に 「いわく言い難いほどの衝撃」を受けたことを明かした。

 「僕らの世代が、戦後の焼け跡の中で『新宝島』に出会った時の衝撃は、後の世代には想像できないでしょう。

 まったく違う世界、目の前が開けるような世界だったんです。

 その衝撃の大きさは、ディズニーのマネだとか、アメリカ漫画の影響とかで片づけられないものだったと思います」

 48~51年にかけて発表された『ロストワールド』『メトロポリス』『来るべき世界』のSF3部作も、宮崎少年を虜にした。

「恐ろしかったり、不条理だったり、切なかったり、希望に満ちていたり。手塚さんが見せてくれた未来は、明るいだけの未来じゃなかった。

 モダニズムとは、繁栄や大量消費と同時に、破壊の発明でもある。

 そのことに、ひとりアジアの片隅で行き着いたのが手塚さんだった。

 ディズニーなどより深く、モダニズムの矛盾に気づいていたと思います」

 大阪で空襲を体験した手塚さんの根本には、「死屍累々を見たものだけが持つ黒い穴」があったはずと推測する。

 「僕の父親がそうでしたから」。が、手塚作品は次第にヒューマニズム色を強め、そうした「暗黒」を隠すようになる。

 「テレビのアトムがつまらなかったのは、手塚さんがヒューマニズムだけで商売していたからです。

 自分が成功するにはヒューマニズムを売り物にしなければ、というニヒリズムが手塚さんにはあったと思います」

 手塚アニメが〈大家の義太夫〉だという評価は今も変わらない。

 「しかし、僕は手塚さんがひどいアニメーションを 作ったことに、ホッとしたのかもしれません。これで太刀打ちできると」

 漫画家を志した宮崎さんがアニメーターに転じたのは、絵がどうしても手塚治虫の亜流に見えてしまうからだったという。

 今なお、アニメーション作家としての「物のつかまえ方の根本」が、原点をたどれば『新宝島』から受けた衝撃であることを 率直に認める。

 だからこそ、「僕は、手塚さんの崇拝者になりたいとは思わなかった」。

 そう語る宮崎さんこそ、実は手塚的モダニズムの「正統」な後継者では?

 「いや、それは手塚さんから受け継いだというより、破壊の発明は、20世紀が持つ本質的なものなんでしょう。

 しかし21世紀はどう変わるのか。

 その兆しを探しているんですけどね」

--ここまで

 上の記事を何回読んでも、宮崎駿がもつ「手塚」に対する燃えるような敵愾心を感ずる。

 確かに、宮崎駿は、アニメーションという手段で「手塚治虫」を越えたのだろう。しかし、ものの捉え方の部分で手塚を踏襲していることを認めてもいるのだ。

 まぁ、宮崎さんも手塚さんも「天才」に近い人達なのであろう。

 そういう二人が互いの価値を認めつつ(手塚さんが宮崎駿を認めていたっけ…筆者には記憶がない)、炎のような敵愾心を持ち続ける…その部分に偉大な才能ゆえの苦しみを感ずる。