2013年11月18日月曜日

石破さんが薄っぺらいか。

▲いや、政治家の毀誉褒貶というものは、棺の蓋を覆ってはじめてできるものであろう。
 石破さんのこのところの、原発に関する発言は、他者より一歩前にでたといってもいいであろう。

 特に、原発の新設にまで言及した政権中枢を始めてみた感じがする。
 2011年の事故いらい、誰も怖くて口に出せないコメントであろう。

 今まで、さほど目立つコメントがなかったことで、この原発に関する「一歩先んじたコメント」は目立つ。
 目立つゆえに、出る杭は打たれる—とばかりに記事になっていた。
 さぁ、石破さんの「実力が発揮される」のはこれからかな。

 以下、新聞から抜粋。

 「『原発ゼロ』と発言に国民が賛同している状況は無視できない」――。
 小泉元首相の「脱原発」発言に対し、石破茂幹事長が「反旗」ののろしを上げた。
 原発の使用済み燃料の最終処分場の選定について、 「ふさわしい地域はここだと示すことが国の責任」と強調。
 最終処分場のメドが立たないことを理由に「脱原発」にカジを切った小泉発言に真っ向から反論。

 小泉が訴える「即ゼロ」についても「今ある原発の安全を確保したうえで再稼働する」と断言。
 さらに「再稼働がよくて新設がダメというのは理論的には成り立たない」と新設の可能性にも踏み込んだ。
 これまでは小泉発言に静観する構えだった。
 「原発ゼロに至るまでの時間や手法、費用の捻出先などの具体論がなければ、単なるスローガン」と批判。

 「機を見るに敏」が政治家とはいえ、石破ほど手のひら返しがロコツな政治家はいない。
 かつて小沢党代表を「真の改革者」と持ち上げて自民党を離党。
 ところが、たもとを分かって復党し、 その後は小沢批判の急先鋒になった。

 「党内の中堅以上は石破さんを快く思っていません。復党後はいいポストばかり就いている上、 額賀派の力で政調会長となったのに派閥を離れ、若手を集めて勉強会を開いたりしている。
 今のところ、安倍首相は石破さんを要職で起用しているが、『取り込もう』としているに過ぎません。

 石破さんもそれが分かっている。
 だから、小泉さんの会見を見定め、 世論への広がりは限定的と判断し、安倍側に“付いた”のでしょう」(政治評論家)
 政界でも有数の東電“株主”であり、長女も東電に就職した。
 政治家としての矜持はどこへやら。薄っぺらい男である。


▲補足、感想など

 「機をみるに敏」って。
 また、安倍さんが石破さんをとりこもう—としているって。

 そんなところに核心があるのではあるまい。

 政治家の実力とは、未来への正しい方向性が示せることだ。
 今ならば、「原発」というものを技術的に、政治的にどう捉えるか—ということが、政治家の実力を測るバロメーターであろう。

 小泉さんがいい例だ。
 小泉さんの原発即ゼロという文言には、技術的な裏付けが殆どない。いわば、トイツのメルケル首相の判断に似ている。
 2011年の福島原発事故発生 → 原発は危険だ、即廃止する → 太陽光エネルギーで賄(まかな)えないか → 価格が高い →国民の負担増で耐えられない  →さてどうしよう。

 どうだ。このドイツ人の頭デッカチぶりは。
 それは,政治家がなんても知っている、理解している—とは思わない。
 しかし、1つの決断の背景には、「合理的な思考」があって当然ではないか。
 このトイツのメルケル首相の判断の裏側には、ただただ「慌てふためいた」という感じしかうけまい。

 小泉さんの原発即ゼロの議論も、現在の通常の生活を維持するためのエネルギーをどこからもってくるか—という部分がすっぽり抜け落ちている。
 それでは、そもそも、原発に代替するエネルギー源を探し、実用化する—という根本的なもっとも大事な作業ができる訳があるまい。
 メルケルさんと同じような、現場感覚のない「頭デッカチ」と批判されて当然ではないか。

 何度でもl言いたい。
 政治家の実力とは、「未来へ向けての正しい方向性」が示せるかどうか---だ。
 先の「原発の新設」に言及したところは、石破さんの面目躍如—といってもいいのではあるまいか。

 <このブログで何度かふれた。
 先の大戦後、中国の毛沢東主席は、日本の「かな」を中国語にとりいれようと周辺に提案した。しかし、周囲の人間から猛反対をうけたという。
 今、振り返って、この時、日本のかなを採用していれば、戦後、日本の敗戦から35年後に始めて、トウ小平氏の改革開放政策がはじまる--ということにはならなかったろう。
 政治家の能力とは、未来へ向けて正しい方向性を提案し、示せることだ--と再確認する話だと思う>