2011年5月31日火曜日

私は日本の国旗が嫌いなのだ・・とハッキリ言え。

▲最高裁の判決を受けて敗訴した人がなにかごちゃごちゃ言っている。

 もっとハッキリ言ったらどうだ。

 私は、韓国・北朝鮮系の人間なので、日本の国旗が嫌いなのだ・・と。

 それを愛国心がどうたらこうたら・・と誤魔化すなよ。

 以下、新聞から抜粋。

 「失意はあるが、志を曲げず、憲法を守ろうとする義務を果たしてきたと思う」-。

 君が代斉唱をめぐる再雇用拒否訴訟で敗訴が確定した都立高校元教諭のsさん(64)は、記者会見した。
 sさんは、都教委が日の丸掲揚、君が代斉唱の方法を細かく義務付けた直後の2004年3月の卒業式で起立しなかった。

 「憲法を無視するような学校運営に、抗議も抵抗もしないことはできなかった。
 座っているだけの静かな抗議をした」と振り返った。

 定時制高校で約30年間勤務した。

 今は日本在住の外国人らに日本語を教えているといい、「卒業生や保護者が裁判を支えてくれた。これを励みにして、まだまだ頑張っていきたい」と。

 起立強制を目指す大阪府知事の動きには、「日の丸を愛することが国を愛することだというのは短絡的な考えだ。

 『教育は票になる』との思いかもしれないが、慎むべきだ」と批判。

▲補足、感想など

 なんのこっちゃ・・と思う。

 国旗・国歌に対して起立することと、日本国憲法がなんの関係がある。

 憲法9条は、紛争の解決に際しての戦争放棄を言っているだけではないか。

 それよりも冒頭でふれているように、核心をごまかすな。

 自分は、なんだっけ、日帝36年のナントカという韓国・北朝鮮系の人間なので、日の丸が嫌いなのだ・・とハッキリ言えばいいではないか。

 日本人は、ふ--んと思うだけだ。

 そういう人間がいたってまぁ、おかしくもないか・・と思うだけさ。

 ただ、国歌国旗に対して、敬うことができないなら、公務員を辞めよ。

 まるで、泥棒に金庫をまかせたような形になる。

 なんどでも言いたい。

 本質を誤魔化して、議論するな。

 自らの出自を明らかにして、国旗・国歌論争に加われ。





2011年5月30日月曜日

総理大臣経験者は公認しない・・と自民党。

▲自民党の改革とかを目指す委員会がいやがらせのようなことをいっている。

 曰く、総理大臣経験者は公認しない・・と。

 まぁ、麻生さん、安倍さんを意識しての内部で、次の首相になりたい人の工作だろう。
 
 北海道のミルク屋の社長さんが、さかんにそんなことをいっていたなぁ。

 でも、公認があろうがなかろうが、安倍さん、麻生さんは地元では絶対的な人気で、落選なんかしないぞ。

 第一、同一選挙区で対抗馬として、自民党で立つ人がいない。

 塩崎さんあたりかな。こんなことをおおぴらに言い始めたのは。

 これはなぁ、と思う。

 やぶへび、といえば、ちょっと違うが、自分で自分の足元を掘り崩すようなものだ。

 次の、選挙で塩崎さんは危なかろう。

 以下、新聞から抜粋。

 自民党の党改革を巡って、党の改革委員会が「派閥は党運営に関わらない」などという 記述を盛り込んだ素案を取りまとめたことについて、派閥の幹部などから反発する意見が出ており、 今後、党内論議が活発になることが予想される。

 自民党は、政権奪還のためには、『党の体質が変わった』ということを示す必要があるとして、 党の改革委員会で議論を進めており、このほど、委員会の中に設けた部会が党改革についての 素案を取りまとめた。

 この中には、「派閥は、総裁選挙や党の人事など党運営には関与しない」という記述や、 「引退する党所属の国会議員の選挙区から、配偶者などが立候補する場合は、次の衆議院選挙から公認しない」などという項目が盛り込まれた。

 さらに、検討項目として、「総理大臣経験者は、次回の衆議院選挙から公認しない」という 内容も明記された。

 これについて、派閥の会合で、伊吹元幹事長が「わたしは党運営には関わっていない。
 パフォーマンスでいろいろ言うのは好ましくない」と不快感を示した。
 さらに「選挙に強い議員を排除できる訳がない」などという 反発も出て、今後、党改革を巡る論議が活発になると予想される。

▲補足、感想など

 年齢もあって(タイムリミットを意識しているという意味、首相はなによりも体力勝負だから、70を過ぎると無理?)、どうしても、次のタイミングで首相になりたい・・という人がいる訳だなぁ。

 北海道のナントカミルクの社長もそうなんだろう。

 安倍さんはまだ若いし、潰瘍性大腸炎も年齢を加えると、症状としてでなくなるそうな。

 実力からいえば、麻生さんを牽制するつもりだろうが、それよりも年齢を考えると安倍さんの出馬をより牽制したい・・というのが狙いかなぁ。

 まぁ、これは伊吹文明さんの感覚が正常だろうなぁ。

 首相経験者がどうこう言うよりも、安倍さん、麻生さんより、自分の方が実務能力があることを国民の前で示せばいいことではないか。

 選挙をするのは国民なのだ。

 公認するしない・・なんて、安倍さん、麻生さんに関しては無駄なことだし、国民の視点から考えれば、自分たちが自由に選ぶべきはずのところを、自民党という政党が邪魔をしていることになる。

 まさしく、

 パフォーマンスであれこれ言うのは好ましくない。











 

 

 

2011年5月29日日曜日

三洋の本社全員いらない・・とパナソニック。

▲吸収合併されるということはこういうことか・・と思う。

 三洋の本社部門にいた人間には辛い思いではある。

 それでもさっ。

 以下、新聞から抜粋。

 パナソニックの100%子会社となったパナソニック電工と三洋電機で、“仁義なき”リストラが始まった。

 国内で1万数千人が不要になるとみられるが、悲惨なのが両社の本社管理部門だ。

 三洋関係者は 「本社の全員がいらないといわれた」といい、夏から秋にかけて、早期退職を募集する予定。

 三洋の管理部門の、ある50代管理職。

 いま、部下のグループ内での受け入れ先探しに奔走している。

 「三洋の生き残る事業で受け入れ先を探しているが、検討してもらえるのは30代前半まで。

 管理部門の色に 染まってしまった社員は受け入れ先がない」とため息をつく。

 「英語が話せるとか、資格をもっているとか―― でも、個別には検討してもらえない。人数が多いため、年齢で足切りされてしまう」

 引き受け先がない社員は、5月末に確定してしまう。

 「外の知り合いにも声をかけ、部下の能力がいかせる会社が ないかを探している。

 40代になるとなかなかないが、外の世界になれば、英語やIT資格があれば検討してもらえる」とも。

 そう話す本人も、人の心配だけをしていられるわけではない。

 「立場上、自分の行き先を探すのは後。“しんがり”を務める戦国武将の気持ちです」

▲補足、感想など

 パナソニック電工の本社部門もあるから、パナソニックという本体からみれば、三洋の本社部門も含めて、みな余計な余分な人員となろう。

 パナソニックとしても、これはもう致し方のない選択だ。

 記事では仁義なきとか書いてあるが、そもそもパナソニックは売上に比して社員数が多いほうであろう。(つまり、もともと社員を抱えすぎの会社ということ)

 まぁ。

 人生というものは、「禍福はあざなえる縄の如し」ということではある。

 筆者は、こういう優勝劣敗というか競争というものをどうしても必要なものだと思う。

 当然、不要だ・・・と言われる人もいるだろう。

 それを悔しいと思うなら、自分で会社を興せばいい。または、まったく別の業種へ行くのもいいではないか。

 今、この日本にいて、日本語で会話できる、日本語で営業できる、日本語で勉強できる・・・ということが、世界からみれば、どれだけ恵まれていることか。

 日本は様々な可能性に満ち溢れている国家だ。

 自分の可能性を信じて、新しいことに挑戦していこう。




 

 

 

 

内閣不信任案、6月2日に提出。共産党も賛成。

▲まぁ、自民党の内閣不信任案の提出に共産党まで賛成するとは思わなかった。

 このあたりのことだ。

 先日のg8でも、菅さんの言うことに対して、アメリカはいつまで政権がもつやら・・という感じの対応であった。

 不信任案が出たからといっても、どうなるやら、不透明ではある。

 仮に、案が通った場合、菅さんは、死なばもろとも・という感じで、衆議員の解散総選挙へ突っ走るかもしれない。または原口さんあたりに禅定するかもしれない・・。

 まぁ、不透明そのものだ。

 以下、新聞から抜粋。

 自民党の逢沢一郎国対委員長は29日午前のNHK番組で、菅直人首相の退陣に向けた内閣不信任決議案について「谷垣禎一総裁の腹は固まっている。

 そう遠くないときに提出する」と述べ、公明党と調整している党首討論翌日の6月2日の提出を示唆した。

 公明党の漆原良夫国対委員長も「菅政権に日本の将来は任せられない。

 早い時期にお出しになった方がいい。賛同する」と同調した。

 民主党の安住淳国対委員長は「憲政の常道に従って粛々と否決する自信がある」と強調。

 「否決されれば信任ということだ。重要法案成立にご協力いただく」とけん制した。

 共産党やみんなの党、たちあがれ日本の国対委員長らはそれぞれ不信任案への賛成を明言。

 社民党の照屋寛徳国対委員長は「本当に今、菅内閣を代えるのが国民のためになるのか慎重に見極める」と述べるにとどめた。

▲補足、感想など

 正直、民主党という政党は、人材不足だ。

 実務家というか、こう局面にあたってキッチリと仕事のできる人が殆どいない。

 特に、今度の大震災の復興・対応へのモタモタ感はいったいなんだろうか。

 もっと、テキパキ、すばやく判断しろよ。

 結局、菅さんという人に実務能力が不足しているということなのだ。

 アレコレ、菅さんは言い訳をいうが、実力不足は、衆目の一致するところであろう。

 大震災への対応にしても、思い切って、国民新党の亀井さんあたりに一任すれば、もっと、テキパキ仕事が進もうが、他党へ塩を送るという感じとなり、民主党内から反対があるのだろうなぁ。

 ここらが菅さんの限界だ。

 よく見渡せば、周りに確かに実力者がいる。

 しかし、その実力者に完全に任せることができない。

 そのことが、自分の能力の無さを国民の前に露呈することになるから。

 まぁ、6月2日の不信任案が通るかどうかは分からない。

 しかし、上記のとおり、とてもではないが、もう2年も続く政権ではない。

 その理由は、明らかに、菅さんという指導者の実力不足だ。






 


 
 
 

2011年5月28日土曜日

技術者は自分の信念に従い決断する。東電原発注水問題。

▲大震災の際の、東電の対応がアレコレうるさい。

 筆者が見るに、これは事務屋と技術屋の違いを露呈しているものと思える。

 指示がどうとかより、現場の責任者が最終判断するというのが通常であろう。

 時々刻々と変化する状況の中で、もっとも現状を知っているものは誰かと考えれば、現場の責任者であるし、そして最終の決定者だ。

 以下、新聞から抜粋。

 東京電力福島第一原子力発電所1号機の炉心を冷やす海水の注入が、東日本大震災の発生翌日に一時中断していたとされる問題で、東電は、「実際には海水注入は継続していた」と発表。

 同原発の吉田所長が、事態の悪化を防ぐために必要と判断し、東電本店の意向に反して独断で継続していたという。

 この問題をめぐっては、政府・東電統合対策室が中断の根拠として示した班目内閣府原子力安全委員長の発言内容が訂正された。

 政府・東電の情報発信のあり方が改めて問われそうだ。

 統合対策室は、海水注入中断の経緯を公表。

 その中で、東電は3月12日午後7時4分に海水の試験注入を始めた後、原子炉の再臨界を懸念した官邸の意向に配慮し、7時25分に独断で注入を中断。

 その後、首相の指示を受け、8時20分に再開し、55分間の中断が起きていたとしていた。

 しかし、実際には、東電は官邸詰めの東電社員から「首相の了解が得られていない」との連絡を受け、東電本店と第一原発を結んだテレビ会議で中断を決定。

 吉田所長は、この場で反論はしなかったが、独断で注水を継続した。

 午後8時20分に吉田所長名で注水再開の連絡が入ったため、東電は中断が起きたと判断した。

 東電が今月24、25の両日実施した聞き取り調査に、吉田所長は「国際原子力機関(IAEA)の調査もあり、正しい事実に基づき評価が行われるべき」と説明したという。

 東電の松本・原子力立地本部長代理は「最初に公表した調査結果は、本店の関係者と、本店に
残っているメモだけを基にした」と調査が不十分なまま公表したことを認めた。
 
▲補足、感想など

 現場も知らないものが・・・と、この所長は思ったに違いない。

 一体、一番大事なことはなんなのか。

 それは、状況というものをこれ以上に悪化させないことであろう。

 そのためにはなんでもしよう・・と決心していたに違いあるまい。例え、誰の指示があろうとも。

 現場をダレよりも知っているのはこのオレだと。

 まぁ、技術者というものはこんなものだな。

 所長の行動が、褒められることなのかどうかは筆者には分からない。

 でも、技術者としての感覚、行動は同感できるし、支持する。

 対して、なんとか委員会の委員長達の言動はどんなものか。

 なにか、頭の中がグルグル回る人達なのだろう。

 あれにもこれにも配慮すれば、記事にあるような言動となるのかもしれない。

 確かに、原発事故に対応して、「これ以上、状況を悪化させない」という目的は同じなのだ。

 しかし、時々刻々と変化する現場を誰がもっとも知っており、そして、最後の最後に決断できたのは誰か・・・ということに尽きる話ではあるまいか。








 

 

 

 

2011年5月27日金曜日

インドのヒーローグループは、ホンダの恐ろしさを知らない。

インドのヒーローグループは、ホンダという会社の恐ろしさを知らないようだ。

 ホンダがインドに進出した時、インドの資本であるヒーローグループと組んで、現地工場を立ち上げた。

 今、500万台くらいか。

 このくらいの大きさになり、ホンダ自体の思惑もあり、互いの方向性が異なったのだろう。

 昨年末、合弁を解消した。

 その時点から、ホンダは2輪車の増産にひたはしっている。

 以下、新聞から抜粋。

 ホンダは26日、インドでの二輪車生産能力を大幅に引き上げると発表した。

 インドでの生産能力はデリー郊外にある第1工場の年160万台だが、現在建設中の第2工場の規模を増強し、第3工場を南部に新設する。

 総額340億円を投じ、2013年前半をめどに年産400万台態勢を整え、 現行の2.5倍に引き上げる計画だ。

 インドでホンダは、100%子会社の「HMSI」と現地財閥のヒーローグループとの 合弁会社「ヒーローホンダ」の2社で二輪車を製造・販売。

 生産規模はヒーローホンダが年490万台と、HMSIの160万台を上回っていた。

 しかし、昨年末にヒーローとの合弁解消を発表。

 インドでの展開をHMSIだけに切り替え、生産態勢の整備を検討していた。

 HMSIがデリー郊外に建設中の第2工場は、7月に年産60万台の態勢で 稼働する予定。

 今回の追加投資で60万台分の能力増強を図り、12年3月には 年産120万台に引き上げる。

 さらにインド南部のバンガロールに第3工場を建設。13年前半に 年産120万台規模で立ち上げる計画だ。

 北部の第1、第2工場を補完、インド国内を効率的にカバーできる態勢をとる。

 インドの二輪車市場は中国に次ぐ世界第2位で、10年の販売台数は前年比約30%増の1132万台。

 ホンダは今後も二輪車需要の拡大が続くと判断した。

▲補足、感想など

 ホンダは、インドでの二輪車の台数を2年間で、160万台 →400万台 にするという。

 まぁ、ホンダらしいなぁ、と思う。

 もう、30年前くらいか、ホンダはヤマハと二輪車で争ったことがある。yh戦争とか知らない人も多いだろうなぁ。

 検索して、文章をご紹介したい。

--ここから--

 1980年代初頭から始まった、ホンダとヤマハの二輪車市場での戦い(YH戦争)で、181年、ヤマハは世界一のオートバイメーカーになると宣言した。

 しかし、ホンダも徹底的にヤマハに対抗して最後は勝利するのだが、最も大きな勝因は製品の多様性であった。

 YH戦争が始まった時に、ホンダには60のモデルがあったが、その後1年半の間に113のモデルを市場に投入したのである。

--ここまで--

 このyh戦争は、まさに体力勝負だった。

 (少し、このyh戦争の背景のようなものを説明しておきたい。

 ヤマハがホンダに挑戦した理由として、この1980年頃は、50ccのバイクというものが、いわゆる実用的なカブからちょっとしゃれた女性も乗れる乗り物にへと切り替わったタイミングだったからだ。

 その50cc二輪車の切り替わりかたは、新鮮だった。

 はじめはホンダだったかな。ホンダタクトとかいう50ccのかわいい乗り物を売りだしたのだ。

 これを契機に、さまざまなメーカーが出し始めた。そういうタイミングにヤマハが挑戦してきたのだ。だからこそ、以後60ものニューモデルをだしてきた・・ということだ。)

 文章にあるように、ホンダはもう次々とニューモデルを出して、ヤマハを圧倒した。

 1年半で60近いモデルということは、毎週、新しいものを出したということなのだ。

 結局、ヤマハは白旗を掲げて、二輪車でホンダに対抗することを諦めた。

 さて、インドでの二輪車の増産のニュースをみながら、この30年も前に起こったyh戦争の顛末を思い出していた。

 インドのヒーローグループがこれから、ホンダにどう対応するつもりかは知らない。

 しかしなぁ。

 ホンダの逆鱗に触れれば、インドでもyh戦争と同じことが起きる。

 2年間で2.5倍どころか、5倍くらいにはしかねない会社だ。ホンダというところは。



















2011年5月26日木曜日

分からないということが、科学者だ。地震予知。

▲どんなに偉い学者でも、分からないものは分からない。

 予測できないことは予測できない。

 なんというかなぁ。

 科学者にとって、「分からない」「できない」…ということをはっきり言う事が、科学的な対応の仕方であるし、その勇気をもつことが資格の一つであろう。

 イタリアで、地震の予知について、地震学者が裁判にかけられたそうだ。

 地震の予知は不可能だ。

 学者の世界でも、一般大衆の世界でもそうだおう。

 そんな一般常識のことを罪に問えるものなのか。

 以下、新聞から抜粋。

 2009年4月に309人の犠牲者を出したイタリア中部のラクイラ地震で、地震学者が直前に「安全宣言」を出したために被害が広がったとして、 ラクイラ地裁の予審判事は、学者7人を過失致死罪で起訴した。

 地震予知失敗の刑事責任が問われる、世界でも異例の裁判となる。

 起訴された国立地球物理学火山学研究所(INGV)のエンゾ・ボスキ所長ら7人は、 地震発生6日前の同年3月31日、政府の災害対策機関の幹部やラクイラ市長らと災害対策委員会を開いた。

 ラクイラで半年間にわたって続いていた微震について検討したが、避難勧告は見送られた。

▲補足、感想など

 冒頭でふれたように、地震の予知は不可能だ。

 これはもう、世界での一般常識だ。

 記事では、微震が続くため学者達に対してどうしようか…とか問うだのだろう。

 学者達にすれば、もうすぐ地震が発生しますよ…とか根拠もないことも言えず、また、狼少年となることを恐れて、避難する必要がある…とかまでも踏み込めなかったのであろう。

 地震が起こる可能性は分かる。しかし、何時、発生するのかを口に出すことは不可能だ。

 これは、科学者とすれば「分からない」…という答えしかない。

 安全宣言を出した…という記事になっているが、どんな表現だったのだろう。

 地震の可能性は、あるが、それ以上のことは分からない…と答えた結果が、安全宣言という表現となったのではないのか。

 そして、不可能なことが常識な対象に向かって、地震学者を起訴する…という感覚が異様だと思う。

 まぁ、起訴するのは自由であろうが、上に書いたような事情であろうから、起訴する側の「非常識さ」がむしろ糾弾されるべきであろう。

 確かに、被害者が出たが、これは東日本大震災でみたように、「発生することを知っていても」、適切に動けるかどうかは分からない。

 そういう結果の、被害者の数でと思える。

 まぁ、地震予知の難しさを充分に知っての起訴とも思えないから、判事の非常識さが際立つし、結果として、地震学者を罪に問うことは無理だと明らかになろう。







東芝、フラッシュメモリーで、サムスンを猛追。

▲東芝が、nand型フラッシュメモリーで、もう数年でサムスンを追い越すところまできたようだ。

 東芝のもう一方の原発事業が、福島の事故を受けて、将来が不透明となっている状況のなかで、フラッシュメモリーに賭ける意気込みは高い。

 フラッシュメモリーについては、韓国のサムスンに追い越されたという経緯がある訳だが、ここにきて東芝も社運をかける思いなのだろう。

 以下、新聞から抜粋。

 東芝、“ポストNAND”13年にも実用化へ

 東芝が2013年にもNAND型フラッシュメモリーの後継となる“ポストNAND”を実用化 する可能性が高まってきた。

 スマートフォン(多機能携帯電話)やタブレット端末需要でNAND市場は拡大を続けるが、回路線幅を細くして記憶容量を高める微細化技術の限界が迫っているためだ。

 市場占有率でNAND首位の韓国サムスン電子に追いつきつつある今、次世代技術を早期に確立 できるかが、焦点になる。

 東芝の社長は経営方針説明会で「13年にも次世代メモリーにシフトする ことを計算に入れている」と述べ、ポストNANDの市場投入時期を示唆。

 微細化を進める と同時に、“ポストNAND”を並行して実用化する方針だ。

 東芝は10年夏に回路線幅24ナノメートル(ナノは10億分の1)品を始め、11年夏には 世界最先端となる19ナノメートル品の量産を開始する計画。

 微細化のピッチを加速するが、今後鈍るのは確実視される。

 装置メーカー関係者の多くは「微細化が進みすぎるとメモリーが誤作動するケースが増える。
15ナノメートルが限界では」と指摘。

 社長も「(19ナノメートル品の)次の次の 世代まではほぼめどが付いているが、その先は定かでない」と微細化での延命の展開を明確に していない。

 微細化の限界が見え隠れする中、東芝が“ポストNAND”として有力視するのがセルを 平面でなく縦に並べる「3次元NAND型フラッシュメモリー」だ。

 セルが大きくても縦方向に 積むことで、小さいセルを平面に敷くのと同等以上の効果がある。

 旧世代の製造技術も利用でき、コスト競争力も高いという。

 東芝はすでに、「BiCS」と呼ぶ3次元NANDの技術を07年に開発。
 多層のセルを一度に 形成できるのが特徴だ。

 NANDの製造拠点である四日市工場(三重県四日市市)の関係者の 中には「3次元は思っていたより難しい」との声が聞かれ、佐々木社長の青写真通り、進むかは不透明。

 ただ、「サムスンも13年前後の量産を目指しているが、彼らもBiCSの考え方をもとに開発している。負けるわけにはいかない」と対抗心と自信をのぞかせる。

 東芝はNANDと並び成長の柱に位置づけていた原子力事業が東京電力福島第一原発事故で 見直しを迫られる。

 スマートグリッド関連事業など他の事業が育つまで、NAND事業の行方が同社の推進力を左右する。
 NAND型フラッシュメモリーの11年1―3月期の市場シェアは首位のサムスンが36・2%。
 東芝は35・1%と猛追。

 微細化で先行し、サムスンの背中が見えてきた今、3次元NANDを早期に事業化できるかどうかは、長期的に東芝のシェアを占う試金石になる。

▲補足、感想など

 サムスンという会社の異様なほどの利益率の高さには、ごまかしがあるのだろう。

 一企業の収益につき、韓国という国が税金で補填しているということであろう。

 その証拠に、韓国全体の利付の借金が200兆円に上るとか発表されていた。

 日本の国債と違って、海外の(恐らくヨーロッパの)金融機関等からの借金の部分が多いはずであろうから、利息を払うだけでも苦しかろう。

 (借金の額は毎年増え続けている。しかし、imf へ助けを求めることは韓国自体も拒否しているし、imf も嫌がっている。最後の最後のところは、日本へ泣きつこう・・というハラを韓国という国は固めているということ。しかも、こっそりと)

 韓国という国は、サムスンなどの大企業を生かすために、税金で補填し、大企業の社員以外の一般の国民の生活を犠牲にしている。それが韓国の底辺の階層の人達が貧しい理由であろう。

 平たくいえば、サムスンは親方ナントカの上に乗っかって、こういう新製品を開発しているということになる。

 よしんば、失敗したところで、税金で支えてもらい、食うには困らないということだ。

 そういう会社と、東芝のような日本の民間の一企業では、開発に賭ける「熱意」が違おう。

 それが、もう数年でサムスンを追い抜こうという根拠だ。

 

 


2011年5月24日火曜日

破傷風についての知識の有無の話ではない。

▲テレビで、三陸海岸の被災した都市の後片付けの様子をみていた。

 なんというかなぁ。

 片付けるにせよ、修理するにせよ、段取りというものがあるだろう。

 不要なものを道路へ出すにしたら、まず、通路部分を片付けて、運びやすくするとか、怪我を予防するとか考えるだろう。

 ところが、不要品を抱えたまま、釘の飛び出したゴミを踏んで、運び出そうとするのだ。

 一体これはなんだろう。

 非常識といえば非常識。

 慣れていないといえば、慣れていない。

 いい大人が、まるで小学生のような行動をとるのはなんでなのだろう。

 以下、新聞から抜粋。

 東日本大震災の被災では様々な感染症の拡大が懸念されている。

 なかでも復興作業を阻む大きな脅威となっているのが破傷風(はしょうふう)である。

 ほとんどの土壌に存在する常在菌である破傷風菌によって引き起こされる感染症だが、 津波で土壌がかき回されてあちこち泥だらけになってしまった被災地では、瓦礫撤去作業中に釘を踏み抜いたり、ガラスで手を切ったりして、そこから感染する例が多い。

 5月19日までに、震災に関連した発症報告として、宮城県で8件、岩手県で2件の破傷風が確認されている。

 だが、これはあくまで各自治体に報告されている数だ。

 東北福祉大学の舩渡忠男・教授(感染制御学)は、危険の周知ができていないと危惧している。

 「2004年のスマトラ島沖地震と違い、今回は瓦礫撤去作業に従事している人が多いので、破傷風の危険は高い。ただ、その危険をわからずに作業している人も多いのです。

 すでに10人の発症報告がありますが、平時ならば全国で年間100例くらいですから心配な数ですね」

 最近では珍しい病気になったので、その恐怖を知らない国民が増えた。

 が、かつては子供が ドブ川で遊んでいれば、「破傷風になるぞ」と脅して家に帰らせるのが大人の常識だった。
 それほど怖い病気なのだ。
 今も世界で年間5万人が死ぬ。

 発症すると筋肉がこわばり、特に口を動かすことが困難になるのが特徴で、物を食べたり、 呼吸をしたりすることに支障が出る。

 確実な治療法は確立されていない。

 また、 重症患者には呼吸管理などが必要で、設備の整った医療機関でなければ救命できない。

 被災地では、その設備も、医師も、薬剤も不足していることはいうまでもない。

▲補足、感想など

 手伝いにいって、返って怪我をして面倒をみてもらう・・とはならないことが大事だろう。

 ボランティアにいって、破傷風となる人間だっていっぱい出そうだなぁ。

 その核心は、冒頭でふれたようなことだと思える。

 筆者の世代の人間にとって当たり前の段取りという知識がちっとも当たり前の知識ではない…というところに問題があるのであろう。

 なぜなのだろう。

 危険な仕事をしたことがないから。子供のとき、親があぶないことをさせなかったから。

 まぁ、そんなところなのだろうなぁ。

 子供の時、釘を踏みぬいたこともない・ということか。

 皆、ぼっちゃん、じょうちゃん…として大事に育てられたということなのだなぁ。

 そんなぼっちゃんが、被災地というアブナイものがいっぱいあるところで作業をすると、そもそも危険さが分かっていないから、冒頭で書いたように、荷物を抱えたまま、釘の一杯でたゴミを踏みながら運ぼうとするということか。

 やれやれ。

 こういう人間には、危険作業の前に、そのリスクを、作業前の段取りを講習しなければならないわけか。

 

 

 

 

 

2011年5月22日日曜日

中国人がみる日本人の笑いの意味。

▲中国人って日本人が理解できないのだなぁ。

 いや、理解できないならできないでいい。

 ところが、中国人という民族は、中華思想で自分の理解の範囲内にむりやりもっていこうとする。

 まぁ、そのあたり、中国人らしい。

 勝手に思えばいいさ。

 以下、中国人のコラムを抜粋。

 日本に始めてきた時、最初、日本人の微笑を見てサービスで笑っていると思っていた。

 しばらく たつと、いろいろわかってきた。

 日本の店員がいつも微笑みを絶やさず、深くお辞儀をして ありがとうございましたと見送るのは、私に日本の微笑みサービスを印象付けるためなのだ。

 流行の日本人のお笑いにはあまり興味がない。

 有名な監督で、司会者の北野武のお笑い番組を 見たことがあるが、しゃべりながら卑猥な動作をすると観客にくすくす笑いや、大笑いが起こる。

 おもしろいような、笑うに値しないような鬱々とした気持ちになり、笑うべきが笑わざるべき か気まずい思いで、流行の日本人の笑いについて喪失感を感じ始めた。

 このごろ、多くの人が日本人自身も含め、日本人にはユーモアが足りないと思うようになった。

 日本人はもともとまじめて勤勉といわれており、反面から言えば慎み深さが際立つ。

 調査によ れば、71%の日本人は日本社会に笑いが足りないと思っており、理由は半数が震災が頻発する から、3割が人間関係の変化による、2割は日本経済失速によるものだと答えている。

 こうした理由ももっともだが、すべてを説明していない。

 日本民俗学者の池田弥三郎氏は「日本人の笑いの原点は神に対する敬意にある。」と、日本人が恐怖の最高潮に達すると笑ってしまう のは、恐怖の最高潮で神の存在を感じるからだという。

 日本人の笑いについては諸説色々だが、それでもやはり日本人の本当の笑いに出会うことがある。

 偶然ある日本人が歩きながらこっそり笑っているのを見かけたことがある。

 わからないのは、 なぜあのように悲しそうに笑うかだ。

 大笑いしているを見かけたこともある。

 だいたいは酒の席 だが、ほろ酔いで喜色満面、生き生きと話していた。

 あれは本当に楽しそうに笑っていた。

 本物 の心からの笑いだった。

▲補足、感想など

 他人を批評しているつもりで、批評する側の精神の乏しさのようなものが浮き彫りとなっている。

 そういう意味でコラムってやつは、剣呑だな。

 まず、取り上げたコラムの要点のようなものを整理してみよう。

 曰く、日本人の笑いは、

1.顧客にサービスとして印象づけるため
2.タケシの笑いは、ワケがわからん
3.日本人にはユーモアが足らない
4.日本人のいろいろな笑っている姿をみるがわけわからん

 ぐらいかなぁ。

 いや、筆者には、中国人が日本人をどう思おうとどうでもいい。

 人間がなにをどう笑うか…というのは、その個人の品性というものと直接に関係する。

 その人のもつ教養とか常識のようなものを露呈してしまう。

 さて、ここで上掲のコラムなどを読んで、筆者なりに、日本人の笑いと中国人の笑いの差のようなものを整理してみよう。

1.日本人の笑いは、基本的に人間関係をスムースにするためのものだ。
 ◯◯のために…という明確な意識のあるものではない。

 それはここ数十年、繁栄した国家を維持しつづけて獲得した、まぁ、ユトリある笑いなのだろう。

2.中国人の笑いは、成り上がりの笑いだということだ。

 まだ、自分で意識しなければ笑うことさえできないということだ。

 中華思想で、日本人への優位性のようなものをどこでもいいから…見つけてやろう、と考えているのだろう。

 そんなに肩肘はって、無理するなよ…と日本人からは見える。

 もう数十年、中国人がお金持ちであれば、日本人のようにスムースに笑えるさ。

3.タケシの笑いについて、わけわからんとか。

 う~ん、そうかなぁ。

 タケシは確かに漫才師の出身ではあるが、意図的に人を笑わせようという意識はあるまい。

 核心をつきながら、それをうまく表現するという部分だと思うのだが。

4.全体をふりかえって、筆者には中国人ってものがよく分からない。

 印象として、中国人は、

 成り上がり者、繁栄に慣れていない民族、肩肘はって日本人に対抗意識ばかりが強い民族、未熟者…ということだろう。

 日本人の笑いが理解できるまで、もう20年くらいかかるのではないのか。




 
 

 

 

 


 

2011年5月21日土曜日

今までできもしなかったものを。大阪府教育長。

▲現場で指示するとか、なんという言い方だろうか。

 そんなものでできるものなら、とっくの昔にしているだろう。

 できなかったからこそ、橋下さんが条例化しようとしているものだ。

 大阪府の教育長は、自分の力の無さを認めよ。

 ここにきて、いいかっこをするな。

 以下、新聞から抜粋。

 「大阪維新の会」の大阪府議団が府議会で成立をめざす君が代斉唱時の教員の起 立義務化条例案について、同会代表の橋下徹知事は、中西正人教育長と意見交換した。

 中西教育長は来春の卒業式から府立学校の全教員に起立を求める職務命令を教育長名で出し、不起立の教員には現場の指導で対応する考えを表明。

 しかし、橋下氏はあくまで条例化をめざす姿勢をみせた。

 中西教育長は「問題のある学校には、文書や口頭で教員に指導し、学校の現状に応じて粘り強い指導を続けていきたい」と述べた。

 これに対し、橋下氏は「僕の立場で号令をかける」と主張した。

 維新の会は君が代条例を5月府議会で成立させ、繰り返し起立を拒む教員を懲戒免職にする処分条例案を9月府議会に提出する方針だ。

 府教委はこれまで、教員の不起立が目立つ府立高校の校長を面談などを通じて指導。

 校長は指導に従わない教員に対し、文書で職務命令を出してきた。

 4月の入学式では府立高校27校で計38人が起立しなかったが、府教委は校長の職務命令が出ていた2人のみを戒告処分。

 残り36人は処分しなかった。

 地方公務員法により公立学校の教員は上司の職務命令に従う義務があるため、教育長が全教員に起立を求める職務命令を出せば、起立しなかった教員全員を懲戒処分することができる。

▲補足、感想など

 日教組なんて、韓国・北朝鮮系の帰化人の多い組織ではないか。

 国歌に対して、起立しない教師とは、そんな日教組をバックにした、韓国・北朝鮮系の教師達であろう。

 韓国の国歌ならば、北朝鮮の国歌ならば起立するというならば、韓国の北朝鮮の国に帰って、ないしは、そういうことに頓着しない私立の学校で教師をすればいいではないか。

 これはなぁ。

 条例で縛らないと、現場で指導?なんてもので、矯正できるものではない。

 あくまで、条例化せよ。

 中西教育長は、自らの非力を認めよ。(おい詰められると急に言い始めてさ)

 橋下さんの条例化に筆者は賛成し、支持する。





 


2011年5月20日金曜日

祐ちゃんフィーバーはどこに。

▲なんというか、筆者は人気者に対して、やっかみでモノを言っているのではない。

 でも、人の動向というか、人気のうつろいやすさ…というものをまざまざを見せつけられる。

 斉藤という投手は、
 自分で、自分を余程、戒めないと、すぐ潰れてしまうそ。

 以下、新聞から抜粋。

 佑ちゃんフィーバー〟はどうなったのか。

 今年1月以降、球界の主役は日本ハムのゴールデンルーキー・斎藤佑樹投手(22)だった。

 テレビでは、斎藤の映像 が流れ、新聞や雑誌に「佑ちゃん」の活字が躍った。

 ところが、今月9日に左脇腹を痛め て二軍落ちするや次第に減り、最近はほとんど見かけない。

 その斎藤は千葉県鎌ケ谷市の二軍練習場で一軍復帰を目指して調整中だ。

 雰囲気は  だいぶ変わったよう。

 斎藤が鎌ケ谷市にある日本ハム二軍の「勇翔寮」に入寮したのが1月11日。
 200人を超す報道陣とひと目見ようというファンが駆けつけた。

 斎藤が左脇腹 の筋挫傷で二軍落ちしてからは「佑ちゃんに会える!」「人の少ない今ならサインがもらい やすい」と熱烈なファンが足を運んでいる。

 とはいえ、はるか及ば ない。その実力が明らかになったことも少 なからず人気に影響を与えているのかもしれない。

 17日はわずか10人。18日は50人程度。佑ちゃんは並の人気選手になってしまったのか…。

▲補足、感想など

 --佑ちゃんは並の人気選手になってしまったのか…。--か。

 並(なみ)って。

 そもそも、最初から並であろう。

 いや、誰しも新人選手というものは、殆どが「並」なのだ。

 元南海の野村さんなんて、18歳の普通高校からきたテスト生であり、目立ちもなにもしない。

 そこから、「並以上」になる競争が待っている。

 競争に勝つためには、「運、鈍、根-うんどんこん」が必要だ。

 まぁ、運(うん)はなぁ、個人の努力でどうかなるてものじゃないし。

 鈍いこと(鈍どん)というのは、こういう専門職として大成するにはどうしても必要だなぁ。

 毀誉褒貶(きよほうへん)は、他人の勝手。

 他者からの褒められたり、けなされたりに敏感に反応しないことだ。

 和食の料理人なんて、最初は鍋あらいから、芋の皮むきばかりであろう。(あぁ、下足番だったという人がいたなぁ)それを単純作業だと考えるようではものにはなるまい。

 その単純作業の繰り返しの中にこそ、本質というか、最大の複雑さをみてとらないと。

 根(こん)は、根性(こんじょう)のことか。

 鈍と根の例としては、やはり、このブログで度々とりあげる野村さんのストライクゾーンの話が適切だろう。

 野村さんの話では、ストライクゾーンというものは、ボールで、縦に4つ?、横に3つ?(個数については記憶があいまいで筆者は自信はない)の碁盤目状になっているものだという。

 野村さんは捕手だったから、試合が終わると、1回から9回までの投手の投げたボールが、上の碁盤目状の中のどの場所に来たかを克明に記録したという。

 こういう話は、野村さん以外では聞いたこともない。

 つまり、野村さん以外の捕手は、こういう手間の掛かることはしないということであろう。一試合の全部の投球の位置を覚えているのだから、賢さも必要だろうし。

 ここらあたりだなぁ。

 「並」が「並以上」になるためのヒントが隠されているような気がする。

 さぁ、記事にある斉藤投手は、こういう野村さんのような努力というか、並から抜け出すためのなにかができるかな。

 投手として身体が大きくない。

 筋肉もそれほど強くないのだろう。

 自分の身体の弱点を充分に知って、それを補うだけの「賢さ」「根性」をもっていなければ、並以上にはなれまい。

 「並以上」になるための道は遠そうだ。






 

 


2011年5月19日木曜日

結婚は本当に必要か…とさ。ばかばかしい。

新聞記事のタイトルをみて、そのバカバカしさにあきれる。

 曰く、「結婚は本当に必要か」とさ。
 なんという、あきれたタイトルだろう。

 そもそも、必要か必要でないか…という問題ではないではないか。
 誰しも人間は一人では生きられない。

 夫婦というものが、最小の単位なのだ。

 男女が、互いに敬い、慈しみ、子供を育て、自分達の思い・希望を後世へ引き継いでもらう…ということが、人間としての勤めではないか。

 必要とか必要ではないとかいう議論そのものが、馬鹿馬鹿しい。

 以下、新聞から抜粋。

 キャリアウーマンなどと呼ばれる、男性に混じって一生懸命働く女性達は結婚についてどう思っているのだろうか。

 「朝日新聞」は、働く女性約264名に大して結婚に関するアンケートを行った。

 質問の内容は「一般的に結婚は必要ですか」というもの。

 回答でもっとも多かったのは「必ずしも必要ではない」で43.9%。
 ついで多かったのが「どちらかといえば必要」で35.6%となっている。

 一方、「必要」と回答した人は15.9%、「必要でない」と答えた人は2.7%にとどまっており、一概にどちらとは言い切れない女性の気持ちがうかがえる。

 また、年代別に見ると、20代では「必要」「どちらかといえば必要」と考えた人は58.0%だったが、30代では52.0%、40代では42.1%と、年代があがるに連れて結婚を必要と考えている人の割合は少なくなっている。

 一方、既婚者に限れば「必要」「どちらかといえば必要」と答えた人の割合は50代で最多となり、8割を超えた。

 次いで40代後半が6割強、30代前半でも6割弱となっており、既婚者のほうが結婚は必要なものであると考えている人の割合が多くなっている。


▲補足、感想など

 --年代があがるに連れて結婚を必要と考えている人の割合は少なくなっている。--か。

 その年代の未婚の女性達のアンケートをとってみよ。
 結婚せず、子供を産まなかったことを絶対に後悔しているさ。

 もう一度、原則から考えてみよう。
 人間は一人では生きられない。収入があるとか、暮らしていけるから…とかいうこととは別だ。

  男女が互いに敬い、慈しみ、夫婦という最小の単位となって、やっと、世間に対して「自分たちの人生を切り開いていこう」という力というか、意欲が湧いてくるものだ。

 別の言葉でいえば、独り立ちしたとでも言えばいいのか。

 そう考えたとき、上掲の記事の「必要か必要でないか」という問いが、いかにうすっぺらいものか分かろう。

 それは良き配偶者に恵まれなかったから…とかあるかもしれない。

 そのことは、自分を高め、出会いの機会を増やせばいいことであって、「必要・不必要」という、いかにもひねくれた言い回しをしないことだ。

 人生というものは、正面から真っ当にぶっつかるものだと筆者は思う。

 大切なことを、何度でも繰り返そう。

 人は一人では生きられない…と。








 
 

2011年5月18日水曜日

もうここらあたりが限度・・・と西岡さん。菅政権。

▲西岡さんって、はっきりものを言う人だなぁ。

 菅さんの政権も、ここら辺りが限度と発言。

 筆者は、菅さんのモタモタ感がどうも嫌(いや)だ。

 指導者というものは、ドラクロアの名画「民衆を導く自由の女神」のようなものであるべきと考える。

 混乱の中、瓦礫を乗り越えて、理想の旗を掲げて先頭をゆくもの・・・というイメージを国民に抱かせないものはその資格がないと思う。

 とくに思うjのは、仮設住宅の建設、瓦礫の撤去、都市計画を決定することのモタモタ感、義援金の分配のモタモタ感。

 あれこれ、なぜ、さっさと決めることができないのだ。

 なんというか、多少、失敗があってもいいじゃないか。それよりも拙速ということが一番大切なことではないか。

 う~ん、結局、菅さんに自信がないからだろう。

 まともに組織の中で働いたことがないからだ。

 まるっきり社会経験・社会常識のない人間が首相となっているというこの現在の日本のおかれている奇妙さをみよ。

 以下、新聞から抜粋。

 西岡武夫参院議長は、東京電力福島第1原発事故に対する菅直人政権の対応を批判し、「もうここら辺が限度」と述べ、退陣すべきだと

 議長が、内閣総辞職を要求するのは極めて異例。

 西岡氏は内閣不信任案の提出時期について「会期末では遅すぎる。サミット前が常道だ」と述べ、26日からの主要国首脳会議前の提出を促した。

 自民党の谷垣禎一総裁は、首相が平成23年度第2次補正予算案を今国会に提出せずに会期を閉じる場合、不信任案を提出する考えを示した。

 谷垣氏が条件付きながら不信任案提出を表明したのは初めて。

 谷垣氏は「まだ復旧分野でやることがあり予算化が必要だ。政府が国民の不安を解消できないなら不信任案も考えないといけない」と

 公明党の山口代表、みんなの党の江田幹事長も同様の考えを示した。

 民主党は第2次補正予算案の一部を前倒し、1兆円程度の補正予算案を今国会に提出し、会期を1カ月程度延長する。

 予備費の積み増しにより、被災者支援などに充てる。

 首相は、今国会中に新たに補正予算を組むことで野党側の批判をかわす。

▲補足、感想など

  菅さんが、簡単にやめるかどうかは分からない。

 どう批判しようと、現職の首相を辞任させることは容易ではない。

 民主党にはもう後があるまい。

 菅さんが最後の砦だということだなぁ。

 不信任案が通れば、菅さんが思い切って衆議院の解散総選挙ということになるのかもしれない。







2011年5月17日火曜日

国歌、国旗を否定するなら、公務員を辞めよ。

▲大阪府の橋下さんが、国歌斉唱の際、不起立ならば、辞めさせると。

 まぁ、当然であろう。

 いやならば、私立の学校へ行けばいいことだ。

 筆者は、橋本さんの意見を支持する。

 以下、新聞から抜粋。

 大阪府の橋下徹知事が代表を務める「大阪維新の会」府議団は、議会に提案を 予定している府立学校での国歌斉唱時に教職員に起立を義務づける条例案について、対象を 「府下の公立学校」に拡大する。

 罰則規定はないが、府教委は政令指定都市の 大阪、堺両市を除く市町村の小中高校教員に対しては任命権、懲戒処分権を持つ。

 一方、橋下知事は報道陣の取材に対し「政令市も含めて対象にすべき。府議が 議論して決めたルールに府内の教員は従うべきだ」と強調。

 「起立しない教員は意地でも 辞めさせる。ルールを考える」と、政令市も含め違反すれば処分する考えを示した。

 府教委は平成14年以降、府立学校に対し「教育公務員としての責務を自覚し、国歌斉唱にあたっては起立する」と文書で指示しており、今年3月には国歌斉唱時に起立 しなかった守口市の中学校教諭を戒告処分にした。

 ただ、政令市の教員については地方教育 行政法で政令市に任命・処分権があるため、府教委は「条例の適用対象となり得るかどうか、これから検討する」と。

 大阪府の橋下徹知事が代表を務める「大阪維新の会」府議団は16日、5月議会に提案を 予定している府立学校での国歌斉唱時に教職員に起立を義務づける条例案について、対象を 「府下の公立学校」に拡大する方針を決めた。

 罰則規定はないが、府教委は政令指定都市の 大阪、堺両市を除く市町村の小中高校教員に対しては任命権、懲戒処分権を持つ。

一方、橋下知事は報道陣の取材に対し「政令市も含めて(条例の)対象にすべき。府議が 議論して決めたルールに府内の教員は従うべきだ」と強調。

「起立しない教員は意地でも 辞めさせる。ルールを考える」と、政令市も含め違反すれば処分する考えを示した。

 府教委は平成14年以降、府立学校に対し「教育公務員としての責務を自覚し、国歌斉唱にあたっては起立する」と文書で指示しており、今年3月には卒業式での国歌斉唱時に起立 しなかった守口市の中学校教諭を戒告処分にした。

ただ、政令市の教員については地方教育 行政法で政令市に任命・処分権があるため、府教委は「条例の適用対象となり得るかどうか、これから検討する」としている。

 また、橋下知事は今春府立高校での入学式で国歌斉唱時に起立しなかった教員が38人いたとし、「国旗、国歌を否定するなら公務員をやめればいい。もう特定している。やらない なら府民への挑戦と捉えてやめてもらう。公務員だからといって守られるわけがない」と。

▲補足、感想など

 大阪市、堺市まで、条例の適用対象となるかどうか…ということか。

 まぁ、国歌斉唱の際、起立しない大阪市、堺市の教師達に対しては、おいおい考えればいい。

 それより、なにより、こういう風に明確な方向を示すことの大事さ…を感じる。

 話は変わるが、

 早朝に歩いていて、道路に空き缶などが放置されているのをみて、悲しくなる。

 日本人という民族は、海外での適用力が弱く、(まぁ、実際に海外へいった人は、現地に溶けこんでしまうようだが)、外国へ移住したくないということではトップの民族である。

 つまり、大部分の日本人にとっては、この日本列島という国土しかないのだ。(空き缶を放置するような人間はこのことを考えよ)

 先日の東日本大震災のように、大地震とか台風とか、厄災の多い大地ではあるが、その厄災も含めて、この国土を慈しみ、大事にしてきた。

 愛国心とはいう表現を使わないとしても、この国土を、そしてそこに暮らす人々を慈しみ、愛さずにはいられない。

 国歌とか、国旗というものは、そんな慈しみ、愛情を表現する一つの方法であろう。

 慈しみとか愛情というものは、こちらから表現しなければならない。

 i love you と。

 愛情に愛情が返ってくる。

 憎悪には憎悪が返っくる。

 日本という国、日本人という民族を嫌悪しているというならそれでいいさ。

 しかし、それならば少なくとも公務員の資格はあるまい。

 公務員を辞めて、私立の学校の教員となればいいことではないか。

 資格のないものは公務員を辞めよ。







 

 



2011年5月16日月曜日

東電の高額報酬の理由はなにか。

▲東電の高額報酬が盛んに取り上げられる。

 このことの核心はなんだろうか。

 理由として考えられるのは以下。

 1.日本という国は、関東地方に人口が集中している。
 2.電気の料金を日本の各地で差をつけることができない。
 3.東京電力とか中部電力等で地域主義というか、その県では独占企業だということ。

 それを踏まえて、東電は人口の集中地域を押さえており、上のように電気料金を地方に較べ、低額にすることができない。
 そして、定められた県、都では他の電力会社を選択できないのだ。

 すると、東京電力にとって一番嫌なことは、この地域主義を崩されることなのだ。

 関東地域を押さえている東京電力という会社は、実際にかかる費用に対して収入が大きすぎるということだ。それが高額報酬の決定的な要因だ。

 だから…と思う。

 えっと、群馬県は東京電力の地域だったかな。でも人口密度が小さすぎるか。

 ならば、神奈川を中部電力へ譲り渡し、それでも収入と経費のバランスが他の電力会社より、有利であれば、埼玉県を中部電力へ譲り渡せ…というように国が介入する以外に方法はあるまい。

 つまり、各電力会社の費用-収入のバランスがほぼ同じになるように、この地域の範囲(どの県がどの電力会社かということ)を見なおせ。

 今、発電所と送電部門をどうとか…という議論があるが、本質を外した議論であろう。

 上で書いたように、現在、東京電力という会社は、この費用-収入というバランスが極端に有利なのだ。

 発電部門と送電部門を分離すればナントカでは、同じパイをどう分けるかという議論でしかない。

 それでは本質を外してしまう。

 神奈川県と埼玉県(さしたる根拠のある話ではないが、千葉県を東北電力へとかもあるかもしれない)を中部電力へ譲り渡す(設備などは売買して、収入から中部電力・東北電力は支払えばいい)という方向こそが、一連の東京電力の問題を解決する方向であろう。

 以下、新聞から抜粋。

 枝野官房長官は、福島第一原子力発電所の事故を受けて、東京電力の発電事業と送電事業を分離するかどうかについて、「選択肢としては十分ありうる」と述べた。

 枝野官房長官は、記者団が「東京電力の発電事業と送電事業を分離するなど、事業形態を見直す可能性もあるのか」と質問したのに対し、「選択肢としては十分ありうる」と。

 また、枝野官房長官は、東京電力の清水正孝社長が参議院予算委員会で、賠償金の支払いのための退職金と企業年金の削減について現時点で検討していないと示したことについて、「東京電力が現在置かれている社会的状況を理解していない」と述べ、批判。

 そのうえで、枝野長官は「これから第三者委員会を設けて、東京電力の内部の状況を政府とし て把握し、国民にも情報を共有したい。それを踏まえて、具体的に議論を進めていきたい」と。

▲補足、感想など

 枝野さんは、会計について知識が浅いのだろう。

 分離案は、核心をはずしていよう。

 清水社長の個人的なことを責めても致し方あるまい。

 そんなところに核心があるのではない。

 冒頭でふれたように、東京電力の高額報酬の核心は、「地域主義」なのだ。

 だから、神奈川県・埼玉県を中部電力へ、千葉県を東北電力へ譲り渡せ…と言えばいいのだ。

 なんなら、東京電力の範囲を東京都だけでもいいじゃないか。(あぁ、返って高額報酬を助長するか、いよいよなら、東京都を東西で半分分けにして、西半分を中部電力の管轄としたらどうだろう)

 それくらい、地域を限定すれば東京電力も費用と収入のバランスが他の電力会社ととれるようになるだろう。

 そうすれば高額報酬など支払える訳もない。

 まぁ、確かに政治家がすべての知識をもつことはできない。

 もっと官僚の智慧とかを借りなければ、記事にあるように対応策が本質を外れた議論となってしまう。
(もしかしたら、意図的に核心をはずしているのかもしれないが・・・)

 東京電力の諸々の問題の核心は、「地域主義」なのだ。

 神奈川県、埼玉県、千葉県などの東京都周辺の人口密度の高い県を、中部電力、東北電力へ譲り渡せ。










災害発生時に勾留中の容疑者をどうすべきなのか。福島地検。

▲数日、遠方へ出張しており、書き込めませんでした。

▲3月の大震災の発生時、福島地検で、拘留中の容疑者を釈放するという判断をした。

 この判断をした検事正が降格人事を受けたようだ。

 さて、今回の場合、結果として福島地検の建物は、倒壊・火災という災害に見舞われなかったのだが、火災が発生し、延焼したらどうだったのか。

 総合的な判断としては多分正しい。

 この人事を見ていると、判断はいいとして、釈放までの手続きが不十分ではないか…ということのようだ。

 ただ、実際に災害が発生した時点で、最高検に、警察に相談を求めるだけの時間的な余裕があったのか。

 追い詰められ、緊急に判断を求められたときどう判断すればいいのだろうか。

 この検事正は、自分が責任をとる・という覚悟で判断したものだろう。

 法律の不備を、検事正個人の常識で補ったということか。

 法務省は、そういう人間を責められるのか。

 以下、新聞から抜粋。

 法務省は、東日本大震災直後、福島地検が勾留中の容疑者31人を釈放した問題で、 中村明検事正を最高検検事に異動させる人事を発令。

 法務省は「(釈放に)違法性はなかったが、高検、最高検や警察との調整が不十分だっ た。

 捜査がほぼ終了したので人心一新を図った」と説明しているが、事実上の更迭とみられる。

 福島地検は震災直後、捜査遂行が難しくなったとして31人を処分保留で釈放。

 窃盗容疑で逮捕されていた女が釈放後、コンビニに侵入した容疑で逮捕されたほか、強制わいせ つ事件で逮捕された男が含まれていたことも判明した。

 31人の大半がその後、刑事処分 を終えた。

▲補足、感想など

 一見、降格人事のょうにみえるが、これは世間からの批判を受けての見掛け上のものであろう。

 数年、最高検に在任のまま、世論の落ち着くのを待って、元に戻そうという目論見であろう。

 まぁ、筆者はそれでいい…と思う。

 こんどの大震災のような災害の際、検事とかどうとかの前に人間としての常識のようなものが問われるのだ。(その意味でこの検事正はなんとも男らしい)

 確かに、結果として犯罪者をなにもせずに世間に放置した結果となった。

 逆にいえば、これだけの災害にも拘らず、容疑者達が生き延びることができたからであろう。幸運に恵まれたといっていい。

 もし、容疑者達を勾留したまま、火災の延焼で死に至らしめたとき世論はどう動くのだろうか。

 そう考えれば、この検事正の判断が間違っていたとはいえまい。

 だからこそ、最高検で「批判のほとぼりが冷めるのを待とう」という法務省の判断ではあるまいか。




 

2011年5月14日土曜日

保育中の園児の死亡、ゼロ。東日本大震災。

▲サーバーの不調のため、昨日は書き込めませんでした。申し訳ありません。

▲東日本大震災で、保育園も多く被災した。

 しかし、保育中の園児の死亡はゼロだったという。

 小学校で、多くの死亡者をだした例もあり、保育園の対応はほめられるべきであろう。

 以下、新聞から抜粋。

 東日本大震災により宮城、岩手、福島の3県で被災した保育所が315に上り、このうち全壊や津波による流失など甚大な被害のあった保育所が28以上ある。

 一方で、保育中だった園児や職員で避難時に亡くなった例はこれまでに報告ゼロであることも分かった。

 3県から厚生労働省に報告された被災保育所の件数は、宮城県で 243件(うち全壊・津波流失は16件)、岩手県で34件(同12件)、福島県で38件。
 福島県については被害程度の内訳は分かっていない。

 乳幼児を預かる保育所は、各種災害を想定した避難訓練を毎月行うことが義務づけられている。

 大地震が襲った3月11日午後2時46分は、保育所では昼寝の時間帯だった。

 保育士らが園児を起こして身支度させ、乳児をおんぶするなどして集団避難したとみられる。

 避難時の状況を保育所から聴取した宮城県子育て支援課によると、異常な揺れを感じて 日頃の避難ルートをやめ、さらに高い所へ逃げたため全園児を守ることができた ケースもあったという。

▲補足、感想など

 例えに出すべきではないのかもしれないが…
(筆者は、死者をムチうつつもりはない)

 う~ん、石巻市の大川小学校との対応の差の核心は、一体なんだったのだろうか。

 日常の避難訓練というところは同じであろう。

 核心はどのあたりか。

 --異常な揺れを感じて 日頃の避難ルートをやめ、さらに高い所へ逃げた--か。

 対比して、大川小学校で助かった先生の話を以下に転記してみよう。

--ここから--

 --3月11日の大地震発生直後、同校教諭は児童に校庭への避難を指示し、誘導点呼を行った。

 その後、迎えに来た保護者に児童を引き渡している途中、津波の危険があると判断。

 地域住民と教頭らが相談の上、高台となっている新北上大橋傍らの三角地帯に避難することを決めた。

 津波は三角地帯への移動中に児童や教職員を襲った。

 学校のすぐ裏に山があるが、地震による倒木の危険があったため、避難場所に適さないと判断されたという。--

--ここまで--

 さぁ、どうだろう。

 単なる知識ではだめだということなのだろうなぁ。

 「知識」と「智慧」の違いというようなものを感じる。

 もっと具体的に言えば、その与えられた場面を俯瞰できるような大きな視点をもっているかどうか・ということか。

 知識と智慧の差が、生死の差となって顕在化するということなのだろうなぁ。

 だからと言って、極限状態の中で、小学校の先生がたにそういう「智慧」を求めることも酷というものであろう。

 やはり、そんなものもひっくるめての大災害に直面しての「運」ということなのだなぁ。

 なによりも、一人の死者も出さなかった保育園の先生方を讃えたい。






 

 

2011年5月11日水曜日

エネルギー政策の見直しなど机上の空論だ。

▲菅さんが、原子力重視の方針を変更するとか。

 なんというかなぁ。

 そんなことができるなら、とっくの昔にやっているさ。

 風力発電とか、太陽光発電とかあることはあるさ。

 でも、コストとか効率から考えて、原発にとってかわるような段階ではないではないか。

 言わば、菅さんのいっていることは机上の空論だ。

 こんなもっともらしい発言に騙(だま)されるな。

 以下、新聞から抜粋。

 菅直人首相は、二○三○年までに総電力に占める原子力発電の比率50%以上を目指すとした現行のエネルギー基本計画について「白紙に戻 して議論する」と述べ、再生可能エネルギーの比率を高める。 

 首相は、今後のエネルギー政策に関し「太陽、風力、バイオマスといった自然エネルギーを基幹エネルギーに加える」と表明。

「自然エネルギー と省エネルギーをもう二つの柱として、これまで以上の力を注いでいく」と述べ、原発重 視路線の見直しに意欲を示した。

 首相は福島第一原発事故を検証するための事故調査委員会について、原子力行政からの独立性を確保し、原子力をめぐる従来の制度や組織が事故にど う影響したかも解明する。

 フランスで開かれる主要国(G8)首脳会議で、原発事故に関するデ ータを示し「国際社会にとってより安全な原子力エネルギーの供給が可能になるよう、貢 献したい」と。

 復興基本法案と閣僚増員のための内閣法改正案は「方針を決めて、 国会に提出したい」と。

 中部電力浜岡原発の運転停止要請について「熟慮を重ね、国民の安全と安 心の上で必要だろうという結論に達した」と強調。

 休止中の火力発電所の再稼働に伴うコスト増への支援を同社が求めていることに関しては「国もできるだけ協力する」と。


▲補足、感想など

 中部電力の社長はなにを考えているのだろうか。

 菅さんの要請って、はっきり言えば理不尽な要求ではないか。

 技術的な視点から見れば、福島の事故を発生させた原因に一応対応し、大丈夫ではないか。

 それを、15mの高さの防潮堤をつくれ、完成までは休止しろ…とか。

 それはツナミが15m以上のものがこない…というなら意味があろう

 しかし、ツナミの高さは様々だ。

 20mの、30mのツナミが来たら、想定外とかいうのか。

 そうではあるまい。

 三陸海岸の都市の再生と方向性は同じだ。

 ツナミの被害を受けることはやむをえない、と覚悟を決めるのだ。

 ただ、その被害を最小にするにはどうするのか。そして、復旧の速度を最大にするにはどうするのか…と頭を切り替えなければならないのだ。

 このことがツナミ対策の核心なのだ。

 そのためには、三陸海岸の都市部であれば、10階建の高層共同住宅として、3階くらいまでを駐車場に、最上部に人が住むようにすればいい。

 その高層住宅の周辺に簡易な建物で店舗とかを配置して、いざという時には高層建物へ逃げこむようにすればいいではないか。

 同様に、原発に関してはバックアップを2重、3重にすればいいことで、防潮堤などは核心から外れていよう。

 う~ん。と思う。

 こういう理不尽な要求を中部電力が受け入れた…というところに、なにか消費税を上げるという発想と類似なものを感ずる。

 中部電力としても、原発を止めることによる赤字を国に補填してもらうつもりであろう。

 つまるところ、国民に薄く、広く負担させるという発想であろう。

 この菅さんの理不尽の要求、そしてそんな要求をなんとなく受け入れる中部電力という会社…こういう構図の全体に、「日本人の教養という能力の低下」を感ずる。

 理系も文系もあるものか。

 教養さえ、充分な蓄積があれば、中部電力は論理的に拒否できるものであろう。

 それをしない、それができない…。そして、そのツケを国民に負担させる。

 消費税を上げるという発想とそっくりではないか。

 筆者は日頃から、ゆとり教育を攻撃してきた。

 しかし、上のような菅さんと中部電力の間のやりとりを見ていると、筆者の団塊の世代の教養なんて、馬鹿にされて当然だなぁ。




 
 

 


 

イージス艦あたごの当直士官の無罪を支持する。

▲地裁で、イージス艦あたごの当直士官の無罪の判決がでたようだ。

 筆者はこれを支持する。

 なんというかなぁ。

 漁船側が2名の死者を出している。しかし、死者を出したからといって、判断が左右される訳ではない。

 この事故全体を俯瞰した時、過失として大きいのは漁船側であろう。

 船の大きさをかんがえてもみよ。

 クジラの前を、イルカが横切ろうとするか。

 仮に同じような過失割合であったとしても、クジラとイルカがぶっつかれば、イルカが怪我するのは当たり前ではないか。

 常識として、イルカはクジラの後ろを通る…のが当たり前だ。

 その当たり前のことができないのは、漁船側が多分「居眠り運転をしていたか、ぶざけていたか」だ。

 以下、新聞から抜粋。

 「どうして」ショック隠せない勝浦の漁師たち

 事故から3年-。

 海難審判の裁決と異なり、横浜地裁が出したのは、あたご側に対する「無罪」の判断。

 吉清治夫さん=当時(58)=と、長男の哲大さん=同(23)=の地元、

 千葉県勝浦市川津の漁業関係者からは「あり得ない」など声が相次いだ。

 「真実は1つのはずなのに、どうしてこんなに違う結果が出るのか。日本の司法はどうなっているんだ」

 新勝浦市漁業協同組合の当時組合長だった外記(さんは、受け入れがたい結論に肩を落とした。

 謝罪を撤回してまで無罪をもぎ取っていったのは、どうしても納得がいかない」と。

 吉清さんの家族は、事故後も、「そっとしておいてほしい」と話していたと。

 今回の裁判で、漁協関係者が不満を持つのは、航跡図の存在だ。

 漁協幹部は「一体どこから出てきたものなのか。相手は無罪で、吉清さん親子は亡くなるという結果なんだぞ」と話す。

 あたご艦長や石破茂防衛相は遺族宅などを訪れ、謝罪した。

 しかし、公判の中で被告2人を含め、海自側から謝罪の言葉が出ることはなかった。

 漁師の男性は「清徳丸の方が悪かったならば、艦長や大臣がなぜ謝罪したのか。

 今でも海難審判の裁決が真っ当だと考えている。小型船が艦船の前を横切るなんて、そんな回避を取る漁師はいない」と話す。

 裁判で一言でいいから、海自から事故について謝罪や反省の言葉が欲しかった」と。

▲補足、感想など

 確かに漁船側は2名の死者を出している。

 例えば、自転車と自転車がぶっつかって、片方が怪我でもすれば、もう片方はお見舞いにはいくだろう。

 そこで謝罪したということと、事故全体を俯瞰して、過失割合を決めることとは話がまったく別だ。

 情の部分からみた場合と、合理性という視点からみた場合はハッキリ違うことをまず認識せよ。

 記事にある海難審判については、かっての潜水艦なだしおの時の自衛隊側の対応のまずさを色濃くひきずっていて、どうしても自衛隊側に罪をおしかぶせよう…という意識が あるように感じた。

 こうして、事故から3年を経過し、地裁の裁判官もこの事故を冷静に見れるようになったと感じる。

 この事故は、確かに記事にあるように、イージス艦あたごと一隻の漁船がぶっつかったものだ。

 しかし、この漁船には多くの仲間がいて、イージス艦あたごから見れば、右斜め前から○十隻の漁船群がまるで猟犬のように海上をつっぱしてきていたように見えたはずだ。

 あたごから見たとき、その漁船の一隻一隻をみている訳がないではないか。

 冒頭でふれたように、クジラとしてはイルカの群れが自分の後ろ側を通るものと、安心してそのまま直進したのだ。

 そのイルカの群れの中の一匹が、とんでもない行動にでてぶっつかった…というのが真相であろう。

 考えても見よ。こんな状況で、クジラを責められるか。

 大きな船(ましてや海自の船だ)が優先するという慣例をつくれ。

 筆者は、この地裁の判決を妥当と思うし、支持する。






 

 
 
 


菅さんの発想て奇妙奇天烈だ。

▲菅さんという人が筆者にはさっぱり分からない。

 いや、年齢とかが近いのだが、この人の非常識さ(そして、その発言)にぶっとんでしまう。

 ルーピー鳩山にもその非常識さにあきれ果てたが、菅さんという人もどっこいどっこいの非常識さだなぁ。

 外に発表する前に、こういう発言をストップする補佐官とか閣僚とかがいないのか。

 以下、新聞から抜粋。

 直人首相が今月21、22日に東京で開かれる日中韓首脳会談の開会式を福島市内で行う案を中韓両政府に打診した。
 東京電力福島第1原発事故による風評被害を和らげる狙いがあるが、中国側は「原発事故は収拾しておらず、温家宝首相にそこまでのリスクは負わせられない」と難色を示し、実現の見通しは立っていない。

 政府関係者は「事務レベルで打診したが、返事はない」と語った。

 政府は、温首相と韓国の李明博大統領に福島市に入ってもらい、福島県庁で開会式を実施後、東京に戻って会談する日程。

 菅首相の発案だが、中国外交筋は「外交常識では考えられない」との不満を漏らした。

▲補足、感想など

 中国外交筋は「外交常識では考えられない」--か。

 まぁ、これは中国外交筋の言葉が正しい。

 常識では考えられない…という発想をするのが菅さんという人だということだ。

 一体、この菅さんを巡る様々なもやもやの根底になにがあるのだろう。

 菅さんという人は、

 一度も組織の中で働いた経験もない。経済のことは分からない。人を使うことも分からない。組織を動かすことも分からない。ついでに、語学も分からない。

 なにもかも分からない。

 その現実の中で、首相という仕事をしているということなのだなぁ。

 当然、補佐官がたくさんいる。

 補佐官からの意見・助言を多くをもらっているだろう。

 しかし、その意見・助言に的確に反応するだけの、「核となる汗が染み込んだような知識・経験」を菅さんの中にもっていないということだ。

 だから、助言などが右から左へ抜け、記事にあるような「ピコーン!閃いた、福島で開会式をやろう」
というような突飛というかほどほと非常識な考えにたどり着き、それを考えもなしに公表してしまうのだ。

 社会経験のなさは、多分、自民党の谷垣さんとほぼ同じだろうが、菅さんの方がより際立っている。

 人間として、人並みの仕事をするためには雑巾がけというか、下積みの経験がどうしても必要だな。

 菅さんという人の言動をみていて、つくづくとそう思う。





 

 
 

 

2011年5月10日火曜日

映画sp セキュリティポリス 感想。

▲従前のブログの文章は消滅するので、少し、5月分の文章だけでも転記しておきたい。また、字数の制限がなくなったので、加筆できるところは加筆する。

▲岡田准一主演の映画sp を見た。

 長時間のテレビドラマを2時間毎にブツ切りにしたような映画といえば当たっているか。

 いろんな伏線があって、どこまでも後ろへひっぱってやろうという魂胆が丸見えだ。

 映画であって通常の映画ではない…というのが筆者の感想だ。

 以下、粗筋にふれながら、感想などを箇条書きとしたい。

 濃い顔の男優ばかりが出てきて、うんざりする。

 その男優達の顔がなんともしれない。

 エリート然としてしゃべっているのだが、顔と頭脳の明晰さのバランスがとれない。

 こんな顔でそんなエリートである訳がないじゃないか…と。

(この事実は俳優にとって残酷なことではある。エリートを演ずるためには、それだけの頭脳の明晰さが必要だということを意味している)

 話は、比較的簡単だ。

 国会審議中に、テロリストが占拠するという話だ。

 そして、占拠するために、sp の中にもテロリストに加担している人間がいる。

 国会を占拠して、国会議員になにをしゃべらせたところで、日本という国の体制が左右されることはない。

 まず、日本は独裁国家ではない。

 国会議員とは、国民から選挙され選ばれた代議員でしかない。

 その意味で、占拠するという行為自体に、将来への展望のある話ではない。

 だから、テロリストの議員への個人的な怨み…ということになる。

 岡田准一演ずるspが、テロリストの議会場への封鎖を破り、テロリストを制圧するというのが粗筋だ。

□筆者の感想をまとめてみよう。

 1.ジャニーズ系の多士済々ぶりに驚かされた。

 岡田准一という人も俳優として十分やっていける人だな。

 2.この映画、いくつもいくつも伏線が多すぎる。

 つまり、前回の映画をみていないと、今、なされていることの意味が分からない。

 誰しもが前回を観ているわけではない。

 伏線があってもいいが、そのあたり、程度をわきまえるべきであろう。

 3.残酷な場面は、うまく緩和している。

 しかし、岡田側のspの弾丸が国会議員が右往左往している中で、全弾テロリストへ当たるということがあるだろうか。

 テロリストは右往左往している国家議員達を標的にして、撃つと考える方が自然だろう。

 このテロリスト制圧の場面は、不自然すぎる。

 4.映画として面白いといっていい。

 特に山本圭の演技なんて、うまいなぁ、と思う。

 まぁ、キャリアが違うか。 




日経新聞の社説は異様だ。

▲なんというか、さすがに日経新聞だと感じた。

 このタイミングで韓国となんとかだってさ。

 日経新聞という会社に、韓国・北朝鮮系の記者がどさっといる証拠だな。しかも社説か。論説委員の大物が在日系ないし、在日の委員ということだなぁ。

 こんな記事をまともに信用するな。

 以下、日経新聞の社説から抜粋。

 韓国経済が堅調だ。

 1~3月の実質国内総生産(GDP)は前期比で1.4%増となった。

 年換算の成長率は5%を超えた。

 輸出が好調で、民間消費も成長を押し上げた。

 日韓は産業構造が似通う。

 東日本大震災で日本の輸出が滞るなか、韓国の 輸出が増えたという側面もある。

 輸出は半導体や電子部品、自動車などが伸びた。

 とくに現代自動車は中国と米国市場の販売台数を前年同期比で3割近く も伸ばした。

 同社は1~3月期の決算も好調で、純利益は46%増となった。

 韓国企業はサムスンやLGグループを中心に、素材や部品の生産に力を入れ始めた。
 リチウムイオン電池や 半導体用のシリコンウエハーなどで、日本勢を脅かす存在になりつつある。

 日本製の部品不足が響くルノーサムスン自動車は4月 から20%減産を余儀なくされた。

 大震災は韓国企業が日本依存をさらに弱めようとするきっかけになりかねない。

 日本のサプライチェーン(供給体制)の早期復旧が重要だ。

 ただし、現段階では、日本製品の多くが一気に韓国に取って代わられるとは考えにくい。

 韓国企業は、日本の最先端の 素材や部品、製造装置を使って中間財や最終製品をつくり、海外に輸出する成長モデルを基本としているからだ。

 日本製品を代替するのは技術的に難しく、コストもかかりすぎる。

 日本製の部品などへの依存度が比較的高いサムスン電子の1~3月期の純利益は30%減となった。

 日本の供給体制の混乱は、韓国の産業にとって大きな懸念材料にもなっている。

 大震災は日韓経済の相互依存関係、強い絆を改めて示した。

 競争のもとで日韓の企業が刺激しあうと同時に、協調を進めていくべきだ。

 日韓の経済連携協定(EPA)の早期締結も視野に入れる必要がある。

▲補足、感想など

 記事ではいかにも韓国経済が順調のように書いてある。

 しかし、実際には韓国経済はもう青息吐息であろう。

 もし、韓国の経済が順調なら、日本と韓国のスワップを延長する必要もなかったはずだ。(東日本大震災のドサクサにまぎれてこそっと延長したようだが…)

 いわば、日本が後ろ盾になって、やっと輸出できる状況ではないか。

 サムスンでも、中国製の安い液晶に追われ、どんどん売上が落ち込んでいるではないか。

 このあたりだな。

 韓国系・北朝鮮系の人間と関わることの危険さは、このウソというか、どこまでもどこまでも誤魔化そうという姿勢にあるのだ。

 そんな人間が、日経新聞の社説を書いているというこの日本の危険さ・不気味さを見よ。

 日本人はよほど用心しよう。

 新聞、テレビをまともに信じてはならない。

 いつも、落とし穴のように、ぽっかり暗い穴があいているのだ。
 
 


 



2011年5月7日土曜日

浜岡原発の停止要請は、ピントが外れている。

▲民主党政権が、中部電力の浜岡原発に停止の要請をした。

その理由が、なんだっけ、15mの堤防を造るためだと。

いや、津波の高さが15mまでで、それ以上のものはない…というならば、まぁ、有効だろう。

しかし、津波の高さは、規模・震央までの距離により様々だ。

因みに、平成5年の奥尻島近くでの地震で、16mを越える津波が押し寄せている。

今度の福島原発の事故の核心は、津波の高さがどうこうではない。

津波により被害を受けることは想定の内なのだ。

そうではなくて、「バックアップの不足」ということが、福島原発の事故の核心なのだ。

以下、新聞から抜粋。

菅首相は、中部電力の浜岡原発の運転停止を要請した。

その理由は30年内にマグニチュード8程度の東海地震が発生する可能性は87%と切迫しています。

浜岡原子力発電所の置かれた特別な状況を考慮するならば、東海地震に応できるよう防潮堤の設置など対策を確実に実施することが大切。

ということだが、この理由は非科学的である。

福島第一原発の事故の経緯は、次のようなものだ:

1.地震によって原子炉は緊急停止し、核燃料の連鎖反応は止まった

2.受電鉄塔が倒壊して外部電源が供給できず、ECCSが作動しなかった

3.予備電源が津波で浸水して給水ポンプが作動しなかった

4.原子炉(GE製)の電圧が440Vで、電源車と合わなかった

浜岡が危険だといわれたのは、東海地震の震源の真上にあって、原子炉が地震で破壊される(あるいは制御できなくなって暴走する)のではないかということ、

これについてははるかに大きな今回の地震で、福島第一の原子炉は無事に止まった。

問題は、予備電源が津波で浸水したことである。

これについては、浜岡には12mの砂丘があり、予備電源と給水ポンプを原子炉建屋の2階屋上(海抜15~30m)に移設する工事がすでに行なわれたので、防潮堤は必要ない。

かりに予備電源がすべて地震で破壊されたとしても、浜岡の原子炉は東芝/日立製なので、
予備の電源車が使える(構内にも電源車がある)。

福島第一事故は、最悪の条件で何が起こるかについての「実験」だった。

日本政府は因果関係を詳細に知ることができるのだから、事故の原因は予備電源を浸水しやすいタービン建屋の中に置いたという単純な設計ミスだったことがわかるはずだ。

福島第一の場合も原子炉建屋の屋上に移設しておけば、福島第二と同じように冷温停止になったはずだ(工費は数百万円だろう)。

事故原因は特定されているのだから、なんとなく「津波対策をするまで危ない」と考えるのは論理的に間違っている。

中部電力は法的根拠のない「要請」を拒否し、保安院の説明を求めるべき。

▲補足、感想など

記事の内容が、すべて言い尽くしているとは筆者は思わない。

やはり、核心は、2重、3重にバックアップをする必要があるということであろう。

そして、福島では思想として、また物理的にもバックアップするという当たり前のことができていなかった。

それでも。

記事の趣旨には賛成する。

それは菅さんを初めとする政府の人達の考え方が、記事にあるように非科学的であり、非論理的だ。

冒頭でふれたように、なぜ防潮堤の設置なのだろう。

そこにある発想は、福島ではこうだったから…という単純というか、核心を逸らしたような話ではないか。

こんど、20mの高さの津波が押し寄せたら、想定外だった…とかいう訳か。

そうではあるまい。

津波で被害を受けることは、致し方ない。

その被害をどう小さくするか。どれだけ、復旧を早くするか…ということに智慧を注がなくてはならないのだ。

そのためには、繰り返すようだが、バックアップを2重、3重にするということだ。

核心を見間違えるな。

お金を掛けるのは、その部分なのだ。

電力、水の供給、冷却装置の回路などを2重にせよ。

それこそが、この福島原発の事故で得た教訓であり、対策なのだ。

2011年5月2日月曜日

いまこそ、オバマ大統領は主張すべきだ。

▲オバマ大統領は、アメリカでは支持率が低いらしい。

何故なのだろう。

この人、どこかジミーカーターさんに雰囲気が似ている。

政治家としては、人が良すぎるのだろうなぁ。

政治家は「悪人」でなければならない…と感ずる。

悪人という言葉を誤解して貰いたいはない。

日本の初代総理大臣である伊藤博文首相が、幕末、英国の大使館を焼き討ちした犯人でもあった…という意味だ。

以下、新聞から抜粋。

米紙は、ビンラディン容疑者殺害について、オバマ大統領の声明を見出しにとって報道、「テロとの戦い」での成果を強調。

ホワイトハウスや「9・11」同時テロの現場となったグラウンド・ゼロから、喜びを爆発させる国民の映像を流した。

米紙は、ビンラディン容疑者の死後もテロの脅威は継続すると警告を発しつつ、「大統領声明は内政、外交ともに意見対立がある中、米国民が一体となる瞬間を生み出した」と評価。

ニューヨーク・タイムズは、同容疑者を「テロリストの中でも最も重要な手配者だった」とした上で、作戦の成功は「外交政策を批判されてきた大統領に重要な勝利をもたらした」と解説。

支持率が最低水準にまで落ち込んでいた大統領が2012年の大統領選に向け「安全保障問題では有利な立場になった」と指摘。

▲補足、感想など

オバマさんは、ここぞというタイミングでの決断が鈍いのだろうなぁ。

そのことが支持率が低い理由だろう。

ビンラディン容疑者を殺害したのだから、9.11への報復は一応終わったわけであろう。

これを機会に、アフガニスタンなど中東地域から撤兵せよ。

いまこそ、ひろがり過ぎた戦端を縮小するタイミングなのだ。

そして、国内に向かって、強いアメリカを唱え、教育の充実、先端技術への投資、品質管理の強化を唱えればいい。

国が富めば、それにつれてお金も集まってくる。それがリーマンショックなどから回復する近道なのだ。

なんというかなぁ。

細かいことはもういい。アメリカという国家として、一番大事なことをフレーズにして繰り返せ。

繰り返し、国が富むためには、「教育の充実」「先端技術・産業への投資」「品質管理の強化」「医療制度の充実」を唱えることだ。

小泉さんがこの手法jを使っていたなぁ。

○○なくして、××なし。…と。

オバマさんは、中東地域からの撤兵と、教育の充実、先端技術への投資、品質管理の強化なくして、成長なし…と繰り返せ。

2011年5月1日日曜日

日本の女子高生のスカートの丈が短いのはなぜか。

▲中国人が、日本の女子高生のスカートの短い理由を推測している。

日本人の筆者からみて、これだけなにもかも間違う中国人もおるまい…とか思う。

しかし、これはなぁ。

逆に、中国人から見て、日本人ってやつはよほど理解しがたい民族なのだろうなぁ、と思う。

ぜひ、中国人には誤解したままで欲しいものだ。

その方が、日本人を扇動しづらいままであろう。

以下、中国人のコラムを抜粋。

中国のブログで、日本の女子高生のスカートの丈が短すぎると主張し、理由について、見解を紹介している。

憶測によれば、スカートの丈が短いのには3つの理由がある。

1つ目の可能性について、「節約」を挙げ、日本の経済と科学技術が発達したのは日本人の節約精神と関係があると分析。

日本人は使えるものは使い続け、修理不能になったら新しいものを買う、「スカートの丈が短いのも、最初は 生地の節約から始まり、そのうち習慣になった、女子高生のミニスカートは多くの日本人に受け入れられるように なった」と分析。

2つ目の可能性について、「体を鍛えるため」と推測し、日本の冬は寒く、リューマチや関節炎を 患う人が多い。

「寒さに強く、健康な体になるため、女の子にミニスカートを穿かせて鍛えるのではないだろうか」と推測。

3つ目の可能性については、「AV産業の発展のため」と推測、「日本はポルノ業界が発展した国で、性に関して 開放的である」と紹介。

「もし日本の女子高生のミニスカートがなかったら、日本のAV産業の発展はなく、日本の経済発展も なかっただろう」と主張。

最後に、「日本は奇妙な民族であることに間違いない。

伝統を重んじるが AVに熱中し、礼儀を語りながら自らの非を認めず、開拓精神がありながら歴史を重んじない」と。

▲補足、感想など

どうだろうか。

ここまで、中国人にピント外れのことを言われるとかえって気持ちがいいぐらいだ。

な~に、女子高生は短い方がかっこよく見えると思っているだけさ。

いや、筆者はそんな簡単な回答をいうためにこの文章を書こうと思ったわけでない。

核心は、この中国人が記事のような推測をなぜしたのか…という部分だ。

なぜ、そう考えるのだろうか。

筆者なりにその理由を挙げてみよう。

1.性というものへの民族として考え方が異なる。

中国人と日本人は確かに顔が似ている。

そのことは中国人を作った民族が日本へ渡ってきたことを意味していよう。

しかし、今ではどうということのない東シナ海は、そんなに簡単に中国から日本へ人間を運ぶこと許さなかった。

日本人は、大陸から移住してきた民族と南方から黒潮にのって移住してきた民族、サハリンあたりから南へ移住してきた民族との混血なのだ。

日本の文化の基層には、海洋民族の影響が濃い。

つまり、顔は似ていても、背景にもっている文化が中国人と日本人とでは異なるのだ。

中国人は儒教を、日本人は海洋民族の文化を基層にもっているのだ。

2.1に関連して、日本人は宗教的な「しばり」が緩い。

日本は他民族から征服されて、価値観などの転換が起こったことがない。

結局、島国で閉ざされた空間の中で、他国からの影響が小さいまま発展してきた…ということを意味しているのだろう。

まぁ、このあたりが記事にある「奇妙な民族」という指摘に相当しているのだろう。

3.日本人はモラルが高くて、例え、スカートが短くても痴漢のような行為にでる人間は少ない…という言わば、他者からの攻撃はないものとしての「スカートの短さ」ということだ。


4.av がどうとか触れていたが、スカートの丈とav とは関係がない。
av は、上の日本人のもつ海洋民族の文化にのっかったものだ。

5.性というものを扱うことに日本には◯百年という歴史をもっている。

浮世絵の一ジャンルとして春画というものが江戸時代から広範に流布していた。

日本人は、「性」というものを常識の中にとりこんでいるのだ。

6.結局、中国人の推測のおかしさの核心は、日本の歴史、文化の基層の違いというものについて、まるっきり知識がないということなのだ。

7.中国人の平均の読書量は、年間6冊未満、日本人の9分の1程度らしい。

その程度の読書量ではとてもまともなコラムは書けまい。

ピント外れのコラムの原因はそのあたりかな。