いや、理解できないならできないでいい。
ところが、中国人という民族は、中華思想で自分の理解の範囲内にむりやりもっていこうとする。
まぁ、そのあたり、中国人らしい。
勝手に思えばいいさ。
以下、中国人のコラムを抜粋。
日本に始めてきた時、最初、日本人の微笑を見てサービスで笑っていると思っていた。
しばらく たつと、いろいろわかってきた。
日本の店員がいつも微笑みを絶やさず、深くお辞儀をして ありがとうございましたと見送るのは、私に日本の微笑みサービスを印象付けるためなのだ。
流行の日本人のお笑いにはあまり興味がない。
有名な監督で、司会者の北野武のお笑い番組を 見たことがあるが、しゃべりながら卑猥な動作をすると観客にくすくす笑いや、大笑いが起こる。
おもしろいような、笑うに値しないような鬱々とした気持ちになり、笑うべきが笑わざるべき か気まずい思いで、流行の日本人の笑いについて喪失感を感じ始めた。
このごろ、多くの人が日本人自身も含め、日本人にはユーモアが足りないと思うようになった。
日本人はもともとまじめて勤勉といわれており、反面から言えば慎み深さが際立つ。
調査によ れば、71%の日本人は日本社会に笑いが足りないと思っており、理由は半数が震災が頻発する から、3割が人間関係の変化による、2割は日本経済失速によるものだと答えている。
こうした理由ももっともだが、すべてを説明していない。
日本民俗学者の池田弥三郎氏は「日本人の笑いの原点は神に対する敬意にある。」と、日本人が恐怖の最高潮に達すると笑ってしまう のは、恐怖の最高潮で神の存在を感じるからだという。
日本人の笑いについては諸説色々だが、それでもやはり日本人の本当の笑いに出会うことがある。
偶然ある日本人が歩きながらこっそり笑っているのを見かけたことがある。
わからないのは、 なぜあのように悲しそうに笑うかだ。
大笑いしているを見かけたこともある。
だいたいは酒の席 だが、ほろ酔いで喜色満面、生き生きと話していた。
あれは本当に楽しそうに笑っていた。
本物 の心からの笑いだった。
▲補足、感想など
他人を批評しているつもりで、批評する側の精神の乏しさのようなものが浮き彫りとなっている。
そういう意味でコラムってやつは、剣呑だな。
まず、取り上げたコラムの要点のようなものを整理してみよう。
曰く、日本人の笑いは、
1.顧客にサービスとして印象づけるため
2.タケシの笑いは、ワケがわからん
3.日本人にはユーモアが足らない
4.日本人のいろいろな笑っている姿をみるがわけわからん
ぐらいかなぁ。
いや、筆者には、中国人が日本人をどう思おうとどうでもいい。
人間がなにをどう笑うか…というのは、その個人の品性というものと直接に関係する。
その人のもつ教養とか常識のようなものを露呈してしまう。
さて、ここで上掲のコラムなどを読んで、筆者なりに、日本人の笑いと中国人の笑いの差のようなものを整理してみよう。
1.日本人の笑いは、基本的に人間関係をスムースにするためのものだ。
◯◯のために…という明確な意識のあるものではない。
それはここ数十年、繁栄した国家を維持しつづけて獲得した、まぁ、ユトリある笑いなのだろう。
2.中国人の笑いは、成り上がりの笑いだということだ。
まだ、自分で意識しなければ笑うことさえできないということだ。
中華思想で、日本人への優位性のようなものをどこでもいいから…見つけてやろう、と考えているのだろう。
そんなに肩肘はって、無理するなよ…と日本人からは見える。
もう数十年、中国人がお金持ちであれば、日本人のようにスムースに笑えるさ。
3.タケシの笑いについて、わけわからんとか。
う~ん、そうかなぁ。
タケシは確かに漫才師の出身ではあるが、意図的に人を笑わせようという意識はあるまい。
核心をつきながら、それをうまく表現するという部分だと思うのだが。
4.全体をふりかえって、筆者には中国人ってものがよく分からない。
印象として、中国人は、
成り上がり者、繁栄に慣れていない民族、肩肘はって日本人に対抗意識ばかりが強い民族、未熟者…ということだろう。
日本人の笑いが理解できるまで、もう20年くらいかかるのではないのか。