2011年5月26日木曜日

分からないということが、科学者だ。地震予知。

▲どんなに偉い学者でも、分からないものは分からない。

 予測できないことは予測できない。

 なんというかなぁ。

 科学者にとって、「分からない」「できない」…ということをはっきり言う事が、科学的な対応の仕方であるし、その勇気をもつことが資格の一つであろう。

 イタリアで、地震の予知について、地震学者が裁判にかけられたそうだ。

 地震の予知は不可能だ。

 学者の世界でも、一般大衆の世界でもそうだおう。

 そんな一般常識のことを罪に問えるものなのか。

 以下、新聞から抜粋。

 2009年4月に309人の犠牲者を出したイタリア中部のラクイラ地震で、地震学者が直前に「安全宣言」を出したために被害が広がったとして、 ラクイラ地裁の予審判事は、学者7人を過失致死罪で起訴した。

 地震予知失敗の刑事責任が問われる、世界でも異例の裁判となる。

 起訴された国立地球物理学火山学研究所(INGV)のエンゾ・ボスキ所長ら7人は、 地震発生6日前の同年3月31日、政府の災害対策機関の幹部やラクイラ市長らと災害対策委員会を開いた。

 ラクイラで半年間にわたって続いていた微震について検討したが、避難勧告は見送られた。

▲補足、感想など

 冒頭でふれたように、地震の予知は不可能だ。

 これはもう、世界での一般常識だ。

 記事では、微震が続くため学者達に対してどうしようか…とか問うだのだろう。

 学者達にすれば、もうすぐ地震が発生しますよ…とか根拠もないことも言えず、また、狼少年となることを恐れて、避難する必要がある…とかまでも踏み込めなかったのであろう。

 地震が起こる可能性は分かる。しかし、何時、発生するのかを口に出すことは不可能だ。

 これは、科学者とすれば「分からない」…という答えしかない。

 安全宣言を出した…という記事になっているが、どんな表現だったのだろう。

 地震の可能性は、あるが、それ以上のことは分からない…と答えた結果が、安全宣言という表現となったのではないのか。

 そして、不可能なことが常識な対象に向かって、地震学者を起訴する…という感覚が異様だと思う。

 まぁ、起訴するのは自由であろうが、上に書いたような事情であろうから、起訴する側の「非常識さ」がむしろ糾弾されるべきであろう。

 確かに、被害者が出たが、これは東日本大震災でみたように、「発生することを知っていても」、適切に動けるかどうかは分からない。

 そういう結果の、被害者の数でと思える。

 まぁ、地震予知の難しさを充分に知っての起訴とも思えないから、判事の非常識さが際立つし、結果として、地震学者を罪に問うことは無理だと明らかになろう。