2011年5月27日金曜日

インドのヒーローグループは、ホンダの恐ろしさを知らない。

インドのヒーローグループは、ホンダという会社の恐ろしさを知らないようだ。

 ホンダがインドに進出した時、インドの資本であるヒーローグループと組んで、現地工場を立ち上げた。

 今、500万台くらいか。

 このくらいの大きさになり、ホンダ自体の思惑もあり、互いの方向性が異なったのだろう。

 昨年末、合弁を解消した。

 その時点から、ホンダは2輪車の増産にひたはしっている。

 以下、新聞から抜粋。

 ホンダは26日、インドでの二輪車生産能力を大幅に引き上げると発表した。

 インドでの生産能力はデリー郊外にある第1工場の年160万台だが、現在建設中の第2工場の規模を増強し、第3工場を南部に新設する。

 総額340億円を投じ、2013年前半をめどに年産400万台態勢を整え、 現行の2.5倍に引き上げる計画だ。

 インドでホンダは、100%子会社の「HMSI」と現地財閥のヒーローグループとの 合弁会社「ヒーローホンダ」の2社で二輪車を製造・販売。

 生産規模はヒーローホンダが年490万台と、HMSIの160万台を上回っていた。

 しかし、昨年末にヒーローとの合弁解消を発表。

 インドでの展開をHMSIだけに切り替え、生産態勢の整備を検討していた。

 HMSIがデリー郊外に建設中の第2工場は、7月に年産60万台の態勢で 稼働する予定。

 今回の追加投資で60万台分の能力増強を図り、12年3月には 年産120万台に引き上げる。

 さらにインド南部のバンガロールに第3工場を建設。13年前半に 年産120万台規模で立ち上げる計画だ。

 北部の第1、第2工場を補完、インド国内を効率的にカバーできる態勢をとる。

 インドの二輪車市場は中国に次ぐ世界第2位で、10年の販売台数は前年比約30%増の1132万台。

 ホンダは今後も二輪車需要の拡大が続くと判断した。

▲補足、感想など

 ホンダは、インドでの二輪車の台数を2年間で、160万台 →400万台 にするという。

 まぁ、ホンダらしいなぁ、と思う。

 もう、30年前くらいか、ホンダはヤマハと二輪車で争ったことがある。yh戦争とか知らない人も多いだろうなぁ。

 検索して、文章をご紹介したい。

--ここから--

 1980年代初頭から始まった、ホンダとヤマハの二輪車市場での戦い(YH戦争)で、181年、ヤマハは世界一のオートバイメーカーになると宣言した。

 しかし、ホンダも徹底的にヤマハに対抗して最後は勝利するのだが、最も大きな勝因は製品の多様性であった。

 YH戦争が始まった時に、ホンダには60のモデルがあったが、その後1年半の間に113のモデルを市場に投入したのである。

--ここまで--

 このyh戦争は、まさに体力勝負だった。

 (少し、このyh戦争の背景のようなものを説明しておきたい。

 ヤマハがホンダに挑戦した理由として、この1980年頃は、50ccのバイクというものが、いわゆる実用的なカブからちょっとしゃれた女性も乗れる乗り物にへと切り替わったタイミングだったからだ。

 その50cc二輪車の切り替わりかたは、新鮮だった。

 はじめはホンダだったかな。ホンダタクトとかいう50ccのかわいい乗り物を売りだしたのだ。

 これを契機に、さまざまなメーカーが出し始めた。そういうタイミングにヤマハが挑戦してきたのだ。だからこそ、以後60ものニューモデルをだしてきた・・ということだ。)

 文章にあるように、ホンダはもう次々とニューモデルを出して、ヤマハを圧倒した。

 1年半で60近いモデルということは、毎週、新しいものを出したということなのだ。

 結局、ヤマハは白旗を掲げて、二輪車でホンダに対抗することを諦めた。

 さて、インドでの二輪車の増産のニュースをみながら、この30年も前に起こったyh戦争の顛末を思い出していた。

 インドのヒーローグループがこれから、ホンダにどう対応するつもりかは知らない。

 しかしなぁ。

 ホンダの逆鱗に触れれば、インドでもyh戦争と同じことが起きる。

 2年間で2.5倍どころか、5倍くらいにはしかねない会社だ。ホンダというところは。