筆者はこれを支持する。
なんというかなぁ。
漁船側が2名の死者を出している。しかし、死者を出したからといって、判断が左右される訳ではない。
この事故全体を俯瞰した時、過失として大きいのは漁船側であろう。
船の大きさをかんがえてもみよ。
クジラの前を、イルカが横切ろうとするか。
仮に同じような過失割合であったとしても、クジラとイルカがぶっつかれば、イルカが怪我するのは当たり前ではないか。
常識として、イルカはクジラの後ろを通る…のが当たり前だ。
その当たり前のことができないのは、漁船側が多分「居眠り運転をしていたか、ぶざけていたか」だ。
以下、新聞から抜粋。
「どうして」ショック隠せない勝浦の漁師たち
事故から3年-。
海難審判の裁決と異なり、横浜地裁が出したのは、あたご側に対する「無罪」の判断。
吉清治夫さん=当時(58)=と、長男の哲大さん=同(23)=の地元、
千葉県勝浦市川津の漁業関係者からは「あり得ない」など声が相次いだ。
「真実は1つのはずなのに、どうしてこんなに違う結果が出るのか。日本の司法はどうなっているんだ」
新勝浦市漁業協同組合の当時組合長だった外記(さんは、受け入れがたい結論に肩を落とした。
謝罪を撤回してまで無罪をもぎ取っていったのは、どうしても納得がいかない」と。
吉清さんの家族は、事故後も、「そっとしておいてほしい」と話していたと。
今回の裁判で、漁協関係者が不満を持つのは、航跡図の存在だ。
漁協幹部は「一体どこから出てきたものなのか。相手は無罪で、吉清さん親子は亡くなるという結果なんだぞ」と話す。
あたご艦長や石破茂防衛相は遺族宅などを訪れ、謝罪した。
しかし、公判の中で被告2人を含め、海自側から謝罪の言葉が出ることはなかった。
漁師の男性は「清徳丸の方が悪かったならば、艦長や大臣がなぜ謝罪したのか。
今でも海難審判の裁決が真っ当だと考えている。小型船が艦船の前を横切るなんて、そんな回避を取る漁師はいない」と話す。
裁判で一言でいいから、海自から事故について謝罪や反省の言葉が欲しかった」と。
▲補足、感想など
確かに漁船側は2名の死者を出している。
例えば、自転車と自転車がぶっつかって、片方が怪我でもすれば、もう片方はお見舞いにはいくだろう。
そこで謝罪したということと、事故全体を俯瞰して、過失割合を決めることとは話がまったく別だ。
情の部分からみた場合と、合理性という視点からみた場合はハッキリ違うことをまず認識せよ。
記事にある海難審判については、かっての潜水艦なだしおの時の自衛隊側の対応のまずさを色濃くひきずっていて、どうしても自衛隊側に罪をおしかぶせよう…という意識が あるように感じた。
こうして、事故から3年を経過し、地裁の裁判官もこの事故を冷静に見れるようになったと感じる。
この事故は、確かに記事にあるように、イージス艦あたごと一隻の漁船がぶっつかったものだ。
しかし、この漁船には多くの仲間がいて、イージス艦あたごから見れば、右斜め前から○十隻の漁船群がまるで猟犬のように海上をつっぱしてきていたように見えたはずだ。
あたごから見たとき、その漁船の一隻一隻をみている訳がないではないか。
冒頭でふれたように、クジラとしてはイルカの群れが自分の後ろ側を通るものと、安心してそのまま直進したのだ。
そのイルカの群れの中の一匹が、とんでもない行動にでてぶっつかった…というのが真相であろう。
考えても見よ。こんな状況で、クジラを責められるか。
大きな船(ましてや海自の船だ)が優先するという慣例をつくれ。
筆者は、この地裁の判決を妥当と思うし、支持する。