▲アメリカで、家庭内暴力が激しくなっているようだ。
なぜだろうか?
筆者はアメリカという国に旅行に行ったことはない。ニューヨークなんてなにも知らない。
ただ、アメリカの小説などはよく読むほうだろう。
小説を読んで、気がつくことがある。
それは、アメリカ人にとって、価値のあるもの—という範囲が非常に狭いのだ。
1.容貌がどうか、2.お金をもっているかどうか、3.セックスがどうか---その3つしかない、まぁ、暴論かもしれないが、そんなものだろう。
つまり、それ以外は、アメリカ人にとって価値がない、ないし、価値が非常に乏しいものなのだ。
だから。
上で価値のあるものに外れた人というものが当然いる。
そこで、ブサイクで、貧乏人など、チリ、芥の類となる。
じゃ、ブサイクで貧乏人は生きている価値もないのか---と喚(わめ)きたくなるも当然ではないか。
家庭内暴力というものの原因が、すべてがすべて上で筆者が述べたことに該当するとはいわない。
しかし、アメリカ人のもつ「価値観の狭さ」というものがなんらかの遠因になっているものと思える。
以下、新聞から抜粋。
家庭内暴力は米国では深刻な社会問題となっている。
被害者は後を絶たず、年間200万~300万人の女性が被害に遭っているともいわれる。
また夫婦間での暴行だけでなく児童、老人虐待も多い。
加害者は逮捕され、裁判所から数カ月間の接近禁止命令が出されるなど、一定の刑事処分が科される。
加害者の対象は配偶者や元配偶者だけではなく、恋人関係でも適用される。
大リーグの選手が逮捕されることも珍しくなく、06年にはフィリーズのブレット・マイヤーズ投手(現ホワイトソックスからFA)が夫人の顔面を殴り逮捕。
11年には元レイズのマニー・ラミレスが夫人の顔面を平手打ちし大ケガをさせ、逮捕後に起訴された。
今年の9月には、ブルワーズのフランシスコ・ロドリゲス投手(現FA)が交際中の恋人に暴行し逮捕されている。
▲補足、感想など
日本の文化の特徴として、「お稽古ごと」というものがある。
筆者も「歌を唄って」いるが、筆者の上の世代の女性達も「お稽古ごと」で随分、忙しそうだ。
これはもう、日本では江戸時代ぐらいからの伝統であろう。
文化教室とかのhpを見てみるがいい。
どれだけ多種類の「お稽古」があるか。その豊富さに驚かされる。
このあたりだなぁ。
こういうものが、日本人の「価値観の範囲を広げている」のだ。
つまり、冒頭の話から広げると、ブサイクで貧乏人でも、この分野では「玄人はだし」だ—という人が一杯いるということだ。
その人は、そのことに「誇りをもっている」し、他者からも「尊敬の眼差し」で見られる。
このことが、日本の社会の「安定」にも寄与するし、「家庭内暴力の少なさ」にも寄与しているのだ。
アメリカの小説などを読んでいて、自国内で上の「文化教室で○○を習っている」などという文言を読んだこともない。
アメリカには、日本にあるような「文化教室」に類するものは存在しないのであろう。
そこから、記事にある「家庭内暴力が減少する可能性」もアメリカではあるまい—と推定せざるをえない。