▲麻生さんの人気が根強いようだ。
やはり、人徳もあるのだろうな。なんといってもあの笑い顔がいい。
4年前のリーマン・ショックの後始末では、2008年秋から2009年春に架けて世界中を飛び回っていた。
あの世界中を巻き込んだ金融危機の中で、まともに解決への方向が示せたのは世界の首脳達の間では「麻生さん唯一人だけ」であった。
やっと、モンゴロイドの代表として、非コーカソイドの人間として、世界秩序の回復に貢献できた「最初の人間」とも言ってよかろう。
上で言っていることがなにか「大袈裟」に聞こえるかもしれない。
でもなぁ。
日本という国は、19世紀後半、英国の産業革命に約100年遅れて出発した。
そして、21世紀に入った頃、明治維新の元勲達が望んでいた「欧米列強と肩を並べる」という位置までやっと辿り着いたのだ。
つまり、その間は、欧米列強諸国(英国、米国、トイツあたり)の後追い、また、留学生達を送り出し学び続けていた、教えを乞うていた時代でもあるのだ。
21世紀に入り、欧米列強と肩を並べた次のタイミングで上で書いた「リーマン・ショック」というものが発生した。
日本は1990年代始めから失われた◯◯年という経済の低迷した時代を送り、様々な工夫をしながら、これからの脱出を図っていた。
その15年にも及ぶ試行錯誤の経験があるから、麻生さんは、苦もなくリーマン・ショックからの脱出の方向性が示せた。
「人類の進歩のために初めて(経済の世界で)貢献しえた非コーカソイド」---といったら、言い過ぎかな。
まぁ、そんな感じの人ということだ。
以下、新聞から抜粋。
「景気回復は俺に任せてくれ!」-。
自民党の麻生太郎元首相(福岡8区)が、福岡入りし、博多川端商店街を練り歩き、自民党への支持を訴えた。
福岡1区は公認候補選定でもめた経緯があるだけに、一致結束を呼びかけたいとの思いがあるようだ。
博多での「麻生人気」は根強くどこに行っても人だかり。
野田佳彦首相も同商店街を視察したが、これほどの反響はなく、栄枯盛衰をうかがわせた。
麻生氏は午後4時半、博多川端商店街北口の博多リバレイン前に到着。
商店街振興組合のメンバーが拍手で出迎えた。
福岡1区をめぐっては、元県議の井上貴博氏(50)が公認候補に決まった経緯がある。
麻生氏は井上氏の肩を叩きながら「こいつはいい奴です。よろしく頼みますよ」と満面の笑顔。
商店街の店舗を1軒ずつ訪ね、商店主や買い物客らと握手を交わして回った。
麻生氏は先の総裁選で、安倍総裁誕生の立役者となっただけに、自民党が衆院選で勝利すれば、 重要ポストで処遇されるのは確実な情勢。
商店主らが「景気をよくしてください」「日本を元気にしてください」と訴えると、麻生氏は握手で応えた。
麻生人気は根強く、支持者らが続々と麻生氏の後を追ったため、まさに「桃太郎」状態に。
約500メートルの商店街を歩き終えるころには約50メートルの行列ができた。
商店街南口の櫛田神社前ではマイクを握り「博多生まれ、博多育ちの井上氏に力を貸してください」とあいさつ。
井上氏は「伝統ある博多の町に教えてもらったことを生かし、国益のために頑張りたい」と決意を語った。
洋品店経営の男性は「自民党に景気を何とかしてほしいという期待が高い」。
主婦のkさんは「麻生さんはざっくばらんに接してくれるので前から大好き。安倍さんの後にもう一回首相をやってほしい」と語った。
上川端商店街振興組合の理事長は「麻生さんも井上さんももともとは私らと同じ商売人。景気最優先でデフレ脱却などに取り組んでほしい」と期待を込めた。
▲補足、感想など
50mもゾロゾロと人がついて回ったのか。
地元福岡だものなぁ。麻生グループなんて九州では盤石だし。
あぁ、セメントが主か---このあたり、自民党の政策である「国土強靭化構想」を麻生さんとしては表立っていえない理由があるのだな。
下手すると、自分のところのセメントを宣伝しているような感じだしなぁ。
そういえば—と思い出した。
2009年春頃、リーマンショックから半年経った頃、これからどうすればいいのか---と日本の各分野の人に尋ねようという企画をして、多くの各界の識者達が直接麻生首相(当時)へ意見をのべた。
ああいう企画ができる—というところに麻生さんの真髄があるような気がする。
その後の民主党の鳩山さんなどの子供っぽい言動と比較して、麻生さんの「聡明さ」が窺えよう。
確実に、この年末には、財務大臣が外務大臣かを任命されていよう。
麻生さんももう70才かな。
健康に留意して、ぜひ、頑張って頂きたい。