▲国を捨てる—って。
そんなに簡単にいうような言葉ではあるまいに。
韓国人の矛盾だな。
国とか民族というものに、深い劣等感を抱いていて、なにかのきっかけでそれが表面に噴出する。
で。
技術もなにもなしに、外国へでていくものだから、女性は売春に、男性は自営の仕事に関わりがちだ。アメリカでは韓国の女性は要注意人物とみられ、入国が厳しく制限されている。
以下、新聞から抜粋。
連載【韓国で考えた、旅客船沈没事故のこと】
「こんな国は捨ててやる」、愛国者たちの悲しみ
i(ジャーナリスト)
2014年06月05日
先日、古い友人に会った。
80年代から「大韓民国の既存体制」と戦ってきた闘士だ。
「日本の友達に会うと励まされる。こんな生き方もありなんだと」
彼の世話になった日本人も多い。
日韓関係が悪化しようと、日本人アーティストの韓国公演を応援してきた。
彼はいきなり
セウォル号の話を始めた。
「あきれた国だ、大韓民国は。反政府デモが起こり、テレビ局はストライキ、オーナーは潜伏中。また、これかって」
外観からは想像できない韓国の闇の深さ。
「過去の日本もそうだった」
という人も、「日本の将来を暗示している」という人もいる。
日本人にとって、理解しにくいこともある。
「涙も希望も枯れ果てた…‘移民する’という家族」
「セウォル号惨事に会った母親‘移民する’と慟哭」
ムン・ジェインとは野党の元大統領候補である。
現地を訪問した彼に、母親は泣きながら語った。
「米国に移民した友人が来いという。子供を守ってやれないような国にいる必要はないと」
「事故から1週間後のハンギョレ新聞には大見出しが出た。 「姉さん、兄さん、もう二度とこんな国に生まれないでください」
写真にはセウォル号で亡くなった高校生たちの遺影、その前に下級生が並んで手を合わせている。見出しは下級生が書いた追悼の言葉だという。
韓国人といえば愛国心が強いイメージがある。
なのに「移民」とか「この国に生まれてくるな」とか。
いったいどうなっているのだろう?
そんな空気を読み取ってか、5月28日市民派のメディアが開いた討論会の冒頭で、製作所のス副所長はこう呼びかけていた。
「みなさん、セウォル号事故後に移民するとよく言っています。言わないでください。ここにいなければ
なりません。移民しないと約束してください」
▲補足、感想など
朝鮮民族って弱い民族だなぁ。
精神的に---。
そうか、守るべき歴史も文化も伝統もない—ということなのか。
対して。
ブラジルに日本人が移民したのは、1900年代はじめくらいかな。
ちょいと、日本人移民についてウイキペディアから抜粋してみよう。
--ここから--
日本の貢献
かつて日本人が農業移民としてブラジルに入植して以来、日本人は「農業の神様」と呼ばれ、現在に至るまでブラジル社会における日系ブラジル人の高いステータスを確保する重要な礎になっている。
ブラジルの首都ブラジリアが建設された際には、首都建設に必要な食料生産を日系人に任せる目的で、当時の政府はブラジリア周辺に日系人を入植させた。
日本人の農業を通じたこうした功績に対し、ブラジリア建設40周年記念式典の際には、日系人に対して連邦区知事から特別に感謝の言葉が述べられた。
果実生産も日本の経済協力を契機に盛んになっており、特に南部サンタ・カタリーナ州におけるリンゴ栽培等への協力は、ブラジルにおける日本のプレゼンス向上に大いに役立った。
リンゴ栽培に関するブラジル側研究施設の所長に日系人が抜擢されたこともある上、同協力に殉じた日本人研究者の胸像まで設置されているなど、日本の農業協力の一つの象徴として位置付けられる。
また、2005年9月29日解禁のマンゴウの対日輸出は、両国政府の間で20年以上に渡る懸案となっていたものである。
--ここまで--
フラジル人からすれば、日本からの初めての移民達は、「貧相なアジア人」であった。
しかし。
日本人は、ブラジル人に理解されなくても、自分たちは二千年近い「日本文化」の継承者であり、体現者なのだ—と。その誇りも胸に黙々と働いたのだ。
その結果が上のウイキペディアの文章であろう。
話がどこかにいった。
韓国人って、まるで砂粒のような人達だな。
個人個人がバラバラで、自分のことしか考えていない---。
自国の行動を決めているのは、結局、個人々の行動であろう。
漢字を放棄することで、精神性のようなものも継承できなくなったのだろうな。
戦後、70年近い年月の間、自分たちが撒き続けた種を、今自分で刈り取らねばならない時期がきたということであろう。