2011年6月19日日曜日

ボランティアの関心が風化? 阪神大震災と比較。

▲どうも新聞の論調が気になる。

 ボランティアはボランティアではないか。

 阪神大震災の時と比較してああだ、こうだ・・・といっているようだが、そもそも比較するようなことか。

 なにか、必要以上にボランティアをあてにしている感じがする。

 他人を、他人の好意をあてにするな。

 カンバレ東北というのは、他人をあてにするという意味ではあるまい。

 まず、被災者自身で、工夫して立て。

 以下、新聞から抜粋。

 被災地でのボランティア減少。

 震災後の3カ月間に岩手・宮城・福島の3県で 活動したボランティアはのべ約42万人で、同時期に約117万人が活動した阪神大震災の約3分の1。

 5月の大型連休には1日に1万人以上のボランティアが集まった。

 これがピークで、その後は一貫して右肩下がり。学生ボランティアが増えると見込まれる7月まで減少傾向が続く。

 「ボランティアが足りません」。

 6月上旬、岩手県で活動する「遠野まごころネット」のメンバーは東京・中野でチラシを配った。

 だが被災地の写真パネルの前で足を止める人はまばら。
 連休後に訪れるボランティアはピーク時の3分の1。

 「今後は仮設住宅に移った被災者の心のケアも必要なのに。

 ボランティア不足の背景には、現地へのアクセスの難しさがある。

 今回の被災地は都市部から遠く、広い。

 宿泊施設のない集落も多く、安全面からテント設置や車中泊を認めない自治体も多い。

▲補足、感想など

 阪神大震災の時、こうだったから・・なんて意味があるのか。

 この記事の論調に他人に、他人の善意に対する甘えがある。

 ボランティアというものは他人の善意に頼ったものだ。

 風の向くまま、気の向くままであろう。

 そんなことより、自分達で工夫せよ。自分の足で立て。

 その地元民たちの覚悟をみて、ならば自分たちも・・・ということがボランティアの意味であろう。

 まず、被災した人自身が、自分でなんとか立ち上がろうと努力せよ。

 その姿を世間に見せよ。

 それなくして、なにがボランティアか。

 なにが関心の風化か。

 本末転倒であろう。