2011年6月2日木曜日

なぜ、大川小学校の犠牲者が多かったのか。


▲石巻市の大川小学校の亡くなった子供たちの父兄が、なぜ、大川小学校の犠牲者が多かったのか調べて欲しいと要望書を出した。

 まぁ、子供を亡くされた親の気持ちはよく分かる。

 でも、これは切ないなぁ。

 人間ってやつは、緊急の場合に必ずしも賢明に動けるとは限らない。

 パニックになる人もいる。

 日頃の訓練もあろう、指導者がどうだったかもあろう。

 それを責められるだろうか。実際に先生がたも殆ど亡くなっている。

 まぁ、責める責めないという問題ではなく、この事例からなにが次に残せる教訓なのか、そういう意識ならば意味があろうか。

 以下、新聞から抜粋。

 東日本大震災の津波で全児童の7割近い74人が死亡・行方不明になった石巻市立大川小の 保護者有志が、同市教育委員会に対し、避難時の状況について検証し、改めて説明するよう 要望書を提出した。

 要望書は、「このような惨事を二度と繰り返さないためにも、なぜ子供たちを救えなかったのかについてしっかり検証すべきだ」と訴え、津波到達までの対応や、避難場所として北上川そばの高台を選んだ 経緯など5項目について説明を求めている。

 また、他の学校の例を挙げて、「校舎が津波にのみ込まれながらも安全な高台に避難させ、学校管理下の 児童・生徒の命を守っている」とした。

▲補足、感想など

 これはなぁ、と思う。

 疑問となることは一点であろう。

 地図を見て分かるように、小学校の南側に山がある。あそこに何故逃げなかったのか。

 これは、当日、いなかった校長先生が答えている。

--ここから--

 石巻市は、大川小学校への津波到達を想定していなかった。

 市の「防災ガイド・ハザードマップ」は、同小を避難所として「利用可」 としている。

 柏葉校長は「堤防を越える津波が来たらもたないので、山に避難場所をつくろうと職員で話はしていた。

 裏山は泥炭地で つるつる足が滑るので、階段をつくれるといいなと話していたが、そのまま震災になった」と明かす。

 校舎に残る三つの時計は、いずれも3時37分を指し止まっている。

 地震から津波到達まで、恐らく40~50分あった。

 9日の 保護者への説明会では、校庭で点呼を取るなどした対応に「なんですぐに逃げろって言わなかったのか」と非難の声も出た。

 だが一方「108人誰も欠けないように点呼し、先生はよくやってくれた。誰が悪いと思ったことはない」と話す保護者もいる。

--ここまで--

 また、別のニュースから。

--ここから-

 娘のランドセルが見つかった男性は捜索中、裏山を指しながら柏葉校長に疑問をぶつけた。

 「ここに登れば助かったんじゃないですか」。

 男性によると、柏葉校長は「そうですね。現場にいたらそうしたかもしれません」と答えたという。

 市教委は「想定外の津波だった。

 山が崩れる危険がある中、農道を行く以外に方法があったかは分からない」としている。

--ここまで--

 結局のところ、先生方を含め、この地震による津波について、過小評価をしていたということであろう。

 しかし、それは振り返って、冷静に判断して初めて納得することであろう。

 人間というものは賢くはないのだ。

 その人間のもつ愚かしさを、言い伝えだとか、古老の教えとか、他の地で起こった事件を教訓にしてだとかして、漸く、補えるものであろう。

 この大川小学校の犠牲による教えが、他の場所での教訓となることを願っている。