2012年12月4日火曜日

景気回復はオレに任せろ—と麻生さん。


▲麻生さんの人気が根強いようだ。
やはり、人徳もあるのだろうな。なんといってもあの笑い顔がいい。
4年前のリーマン・ショックの後始末では、2008年秋から2009年春に架けて世界中を飛び回っていた。
あの世界中を巻き込んだ金融危機の中で、まともに解決への方向が示せたのは世界の首脳達の間では「麻生さん唯一人だけ」であった。
やっと、モンゴロイドの代表として、非コーカソイドの人間として、世界秩序の回復に貢献できた「最初の人間」とも言ってよかろう。
上で言っていることがなにか「大袈裟」に聞こえるかもしれない。
でもなぁ。
日本という国は、19世紀後半、英国の産業革命に約100年遅れて出発した。
そして、21世紀に入った頃、明治維新の元勲達が望んでいた「欧米列強と肩を並べる」という位置までやっと辿り着いたのだ。
つまり、その間は、欧米列強諸国(英国、米国、トイツあたり)の後追い、また、留学生達を送り出し学び続けていた、教えを乞うていた時代でもあるのだ。
21世紀に入り、欧米列強と肩を並べた次のタイミングで上で書いた「リーマン・ショック」というものが発生した。
日本は1990年代始めから失われた◯◯年という経済の低迷した時代を送り、様々な工夫をしながら、これからの脱出を図っていた。
その15年にも及ぶ試行錯誤の経験があるから、麻生さんは、苦もなくリーマン・ショックからの脱出の方向性が示せた。
「人類の進歩のために初めて(経済の世界で)貢献しえた非コーカソイド」---といったら、言い過ぎかな。
まぁ、そんな感じの人ということだ。
以下、新聞から抜粋。

「景気回復は俺に任せてくれ!」-。
自民党の麻生太郎元首相(福岡8区)が、福岡入りし、博多川端商店街を練り歩き、自民党への支持を訴えた。
福岡1区は公認候補選定でもめた経緯があるだけに、一致結束を呼びかけたいとの思いがあるようだ。
博多での「麻生人気」は根強くどこに行っても人だかり。
野田佳彦首相も同商店街を視察したが、これほどの反響はなく、栄枯盛衰をうかがわせた。
 麻生氏は午後4時半、博多川端商店街北口の博多リバレイン前に到着。
商店街振興組合のメンバーが拍手で出迎えた。
 福岡1区をめぐっては、元県議の井上貴博氏(50)が公認候補に決まった経緯がある。
 麻生氏は井上氏の肩を叩きながら「こいつはいい奴です。よろしく頼みますよ」と満面の笑顔。
商店街の店舗を1軒ずつ訪ね、商店主や買い物客らと握手を交わして回った。
 麻生氏は先の総裁選で、安倍総裁誕生の立役者となっただけに、自民党が衆院選で勝利すれば、 重要ポストで処遇されるのは確実な情勢。
商店主らが「景気をよくしてください」「日本を元気にしてください」と訴えると、麻生氏は握手で応えた。
 麻生人気は根強く、支持者らが続々と麻生氏の後を追ったため、まさに「桃太郎」状態に。
約500メートルの商店街を歩き終えるころには約50メートルの行列ができた。
 商店街南口の櫛田神社前ではマイクを握り「博多生まれ、博多育ちの井上氏に力を貸してください」とあいさつ。
井上氏は「伝統ある博多の町に教えてもらったことを生かし、国益のために頑張りたい」と決意を語った。
 洋品店経営の男性は「自民党に景気を何とかしてほしいという期待が高い」。
主婦のkさんは「麻生さんはざっくばらんに接してくれるので前から大好き。安倍さんの後にもう一回首相をやってほしい」と語った。
 上川端商店街振興組合の理事長は「麻生さんも井上さんももともとは私らと同じ商売人。景気最優先でデフレ脱却などに取り組んでほしい」と期待を込めた。


▲補足、感想など
50mもゾロゾロと人がついて回ったのか。
地元福岡だものなぁ。麻生グループなんて九州では盤石だし。
あぁ、セメントが主か---このあたり、自民党の政策である「国土強靭化構想」を麻生さんとしては表立っていえない理由があるのだな。
下手すると、自分のところのセメントを宣伝しているような感じだしなぁ。
そういえばと思い出した。
2009年春頃、リーマンショックから半年経った頃、これからどうすればいいのか---と日本の各分野の人に尋ねようという企画をして、多くの各界の識者達が直接麻生首相(当時)へ意見をのべた。
ああいう企画ができるというところに麻生さんの真髄があるような気がする。
その後の民主党の鳩山さんなどの子供っぽい言動と比較して、麻生さんの「聡明さ」が窺えよう。
確実に、この年末には、財務大臣が外務大臣かを任命されていよう。
麻生さんももう70才かな。
健康に留意して、ぜひ、頑張って頂きたい。