2011年7月10日日曜日

小川の辺(ほとり)-感想。

 小川の辺という映画をみた。

 藤沢周平氏の原作をもとにした映画だ。

 全体の印象として、悪くはない…と感じた。

 以下、映画を見ながら感じた様々なことを、粗筋にふれながら箇条書きとしたい。

1.日本の俳優って、外国の俳優にくらべ、もうひとつ確立したジャンルがあることで得(とく)だなぁと思う。

 若い頃にどんなことをしていても、ある年代をなると「時代劇」のどこかにはまるパーツとなりうるのだから。

2.映画を見ながら、挙措(きょそ)とか、立ち居振る舞いというような言葉を思い出していた。

 座っていて、立っていて、歩いていて、外から端然と(キチンと)見えるということは、余程のことなのだなぁ、と感心する。

 主人公である東山紀之という人の武士姿も凛々しくていい。

3.生きていれば、年齢に応じていろんな役割をせざるをえなくなる。

 父親、母親、嫁等々。

 この藤沢さん原作の映画では、父親はいかにも父親らしく、母親はいかにも母親らしく、その役割を正しく行動し果たす。

 愛情の表現もつつましく、そして、正しく行われる。

 単純というか、まさにシンプルに人は行動する。

 このあたり、日本の時代劇の特徴だなぁ、と思う。

 そして、そのことはこういう映画は、海外へもっていっても理解されまい。(ハリウッドの例えば、アクション映画の対極にあるものだろう)

 いや、筆者は外国で理解されない映画であることで、この映画の価値が低いと思っているのではない。

 日本画のように・日本の陶芸のように、日本人が数千年の時間をかけて辿りついた独創の美なのだと感じる。

 他者から理解されないことを、他者から評価されないことを恐れる必要などさらさらない。

 共に生きている日本人には分かる。それで充分ではないか。

 

4.少し粗筋を。

 藩の農政を厳しく批判した若い武士を、藩主が厭う。→ とうとう脱藩してしまう。これを友人であり、嫁の兄である主人公が上意討ちをせざるを得ない立場となる。

 こうして上意討ちのため、海坂藩(山形県あたり?)から江戸近くまで旅をすることになる。

 季節は晩春か。

 東北地方から北関東の春の美しい風景を背景にして、ゆっくり歩く。

5.結末は、なにも特別なことはない。

 正しく果し合いをして、強いものが勝つ。

6.少し気になったことを。

 友人の妻(つまり主人公の妹)を菊池凛子という女優が演じているのだが、ミスキャストだなぁ、と感じた。

 武士の娘で剣も強い…という設定なのだが、刀を振るときの姿勢というか腰の形がおかしく感じた。

 あれでは力が入っていまい。

 また、武士の娘というには、ちょっと口元に品がない。

 顔はその人の全人格を表す。

 そして、ものの言い方、笑い方にその本人の心の持ち方まで顕在化してしまうのだ。その意味で恐ろしい。

 剣も強いという設定のもとでの人選であろうが、気の強さばかりが顔にでている人だ。

 いざとなれば、夫と討死するつもり…と表には出さないが奥に秘めた芯の強さというものを表現しきれないのであろう。

7.まとめ。

 人間は、社会の中でしか生きられない。単独では生きられない。

 この映画は、海坂藩という社会・組織の中で、自分の果たすべきことをキチンと果たしたという物語だ。

 海坂藩という組織にも当然、歴史があろう。

 その歴史の中で、社会が構成され、藩主を頂点とするピラミッドの組織が出来上がっているのだ。

 義理とか命令(上意)とか、名称はともかく、その組織がキチンと働くためにはそれぞれの役割を果たさなければならない。

 主人公は、その役割を正しく果たす。同じく父親も母親も嫁も正しく己に与えられた役割を果たす。

 人はこうして生きているのだな。