2011年7月15日金曜日

中国大陸からノーベル賞の受賞者は絶対に出てこない。

▲中国人には、きわめて刺激的な表題かなぁ。

でも、気をつけてもらいたいことは、中国人から…と言っているのではないということだ。

 中国人がアメリカとか、フランスとかどこか外国で学び、帰化したという場合ならありうるであろう。(実際、仏に帰化した中国人が受賞していなかったか)

 中国大陸というところは、学問とか技術というような分野では、「暗黒大陸」だ。

 中国の北京大学とか清華大学というところから、ノーベル賞の受賞者は絶対に出てこない。

 それは、資金があるとか、最新の実験器具があるとかどうとかの問題ではない。

 中国人はこの部分で間違えるのだ。核心部分を。

 話は、中国の高速鉄道がとまった…という話から。

 まず、新聞から抜粋。

 『環球網』に中国の高速鉄道の故障は日本や韓国のマスコミの関心をひき、「他人の不幸を楽しんでいる」という記事が掲載。

 記事で触れているのは日本と韓国だけ。

『産経新聞』では「中国“パクリ”新幹線もう故障」と、他人の不幸を楽しんでいる標題をつけていると苦言を。

 ちなみに引用されたのが、『産経新聞』『2チャンネル』及び『Yahoo Japan』のコメント。

『Yahoo Japan』のコメントには、「中国の高速鉄道はいつ大事故を起こすの」という書き込みもあったと紹介。

 日本のマスコミの記事を紹介するだけで終わっていますが、対しコメントが書き込まれています。

当然反日的なものも数多くあったのですが、「とても恥ずかしいことだ、90周年の贈り物だ、悲劇」といったものや、「手抜き工事」と中国鉄道に対する非難がいつもより多い。

「私たちは日本のためにあんなに多くの手助けをしたのに、日本はどうして中国を嘲笑するのか?」という意見でした。

▲補足、感想など

 筆者が気になるのは、この記事の「他人の不幸を楽しんでいる、嘲笑している」という表現の仕方だ。

 ここに中国人の物の考え方があからさまに現れていると思える。

 前に、中国の胡主席の「中国の5千年の歴史」という言葉にひっかかった。

胡錦濤国家主席は、中国でははじめてのテクノクラートの政治家だ。当然、高等教育を受けているし、科学的にものが考えられる人であろう。

さて、中国の一番古い王朝は殷の前の夏王朝だ。まぁ、本当にあったのやら判然とはしない王朝ではある。

しかし、夏王朝が仮にあったとしても、せいぜい3千5百年くらい前であろう。

それを胡主席は、5千年の歴史だ…と言ったのだ。

科学者であるならば、まぁ、4千年を切れるぐらいでしょう…とか答えるのが妥当であろう。

これこそが、中国大陸からノーベル賞を受賞する人間がでてこないと筆者が推測する(断定してもいい)理由だ。 

 これは、見得とか中華思想というものが、科学的な思考・推論を上から塗りつぶしているということなのだ。

 科学者には、知的正直(intellectual honesty)というものが必要だ。泥臭く真っ当で、まっすぐでなければならない。

 それが科学者(技術者を含めて)であるための条件だ。

 中国大陸に居住する中国人には、この知的正直というものが致命的に欠けている。また、その価値が分からない。

 胡主席という国のトップが分からないのだから、その下のものも当然分かるまい。

 話がそれた。

 冒頭の記事に戻って、--他人の不幸を楽しんでいると捉える、その捉え方に中国人の特徴がある。

 技術というものには、「優劣」しかない。だから、技術者は、自分の方が優れているか劣っているか…という見方しかない。

 劣っていると自分で認識すれば、なんとか頑張ってもう少し優れたものにしたい…と考えるだけだ。

 この視点から中国人の他人の不幸をの文章を見ると奇妙な捉え方だと感じるだろう。

 つまり、日本人からすれば「優劣」しかないところを、中国人は「情」という感覚から捉えるのだ。だから、不幸を笑っているとか言わば、逆恨みをするのだ。

 日本の技術者は、中国の高速鉄道の技術を笑ってなどいない。劣ったものだと認識しているだけだ。これから頑張ってね…ぐらいを考えているのが本当だろう。

 そもそも、技術とか科学の世界には、「情」など入ってはこない。

 どこに核心があるのかなぁ。

 上で書いた「知的正直」もあろうが、やはり「合理性」というものが、根本のところで理解できないのだろう。

 1+1=2なのだ。先生が・親がこれは3だからといって、1+1=が3になる訳ではない。

 こうしてみろと、さすがに中国人と朝鮮人ってモノの考え方が似ているなぁ。

 合理性が腹の底から理解できていない(合理性に情が勝つというのが正しいのかなぁ)…という点がそっくりだ。

中国大陸の中国人も朝鮮人も、ノーベル賞からほど遠い民族ではある。