▲中国人には、きわめて刺激的な表題かなぁ。
でも、気をつけてもらいたいことは、中国人から…と言っているのではないということだ。
中国人がアメリカとか、フランスとかどこか外国で学び、帰化したという場合ならありうるであろう。(実際、仏に帰化した中国人が受賞していなかったか)
中国大陸というところは、学問とか技術というような分野では、「暗黒大陸」だ。
中国の北京大学とか清華大学というところから、ノーベル賞の受賞者は絶対に出てこない。
それは、資金があるとか、最新の実験器具があるとかどうとかの問題ではない。
中国人はこの部分で間違えるのだ。核心部分を。
話は、中国の高速鉄道がとまった…という話から。
まず、新聞から抜粋。
『環球網』に中国の高速鉄道の故障は日本や韓国のマスコミの関心をひき、「他人の不幸を楽しんでいる」という記事が掲載。
記事で触れているのは日本と韓国だけ。
『産経新聞』では「中国“パクリ”新幹線もう故障」と、他人の不幸を楽しんでいる標題をつけていると苦言を。
ちなみに引用されたのが、『産経新聞』『2チャンネル』及び『Yahoo Japan』のコメント。
『Yahoo Japan』のコメントには、「中国の高速鉄道はいつ大事故を起こすの」という書き込みもあったと紹介。
日本のマスコミの記事を紹介するだけで終わっていますが、対しコメントが書き込まれています。
当然反日的なものも数多くあったのですが、「とても恥ずかしいことだ、90周年の贈り物だ、悲劇」といったものや、「手抜き工事」と中国鉄道に対する非難がいつもより多い。
「私たちは日本のためにあんなに多くの手助けをしたのに、日本はどうして中国を嘲笑するのか?」という意見でした。
▲補足、感想など
筆者が気になるのは、この記事の「他人の不幸を楽しんでいる、嘲笑している」という表現の仕方だ。
ここに中国人の物の考え方があからさまに現れていると思える。
前に、中国の胡主席の「中国の5千年の歴史」という言葉にひっかかった。
胡錦濤国家主席は、中国でははじめてのテクノクラートの政治家だ。当然、高等教育を受けているし、科学的にものが考えられる人であろう。
さて、中国の一番古い王朝は殷の前の夏王朝だ。まぁ、本当にあったのやら判然とはしない王朝ではある。
しかし、夏王朝が仮にあったとしても、せいぜい3千5百年くらい前であろう。
それを胡主席は、5千年の歴史だ…と言ったのだ。
科学者であるならば、まぁ、4千年を切れるぐらいでしょう…とか答えるのが妥当であろう。
これこそが、中国大陸からノーベル賞を受賞する人間がでてこないと筆者が推測する(断定してもいい)理由だ。
これは、見得とか中華思想というものが、科学的な思考・推論を上から塗りつぶしているということなのだ。
科学者には、知的正直(intellectual honesty)というものが必要だ。泥臭く真っ当で、まっすぐでなければならない。
それが科学者(技術者を含めて)であるための条件だ。
中国大陸に居住する中国人には、この知的正直というものが致命的に欠けている。また、その価値が分からない。
胡主席という国のトップが分からないのだから、その下のものも当然分かるまい。
話がそれた。
冒頭の記事に戻って、--他人の不幸を楽しんでいる—と捉える、その捉え方に中国人の特徴がある。
技術というものには、「優劣」しかない。だから、技術者は、自分の方が優れているか劣っているか…という見方しかない。
劣っていると自分で認識すれば、なんとか頑張ってもう少し優れたものにしたい…と考えるだけだ。
この視点から中国人の—他人の不幸を—の文章を見ると奇妙な捉え方だと感じるだろう。
つまり、日本人からすれば「優劣」しかないところを、中国人は「情」という感覚から捉えるのだ。だから、不幸を笑っているとか—言わば、逆恨みをするのだ。
日本の技術者は、中国の高速鉄道の技術を笑ってなどいない。劣ったものだと認識しているだけだ。これから頑張ってね…ぐらいを考えているのが本当だろう。
そもそも、技術とか科学の世界には、「情」など入ってはこない。
どこに核心があるのかなぁ。
上で書いた「知的正直」もあろうが、やはり「合理性」というものが、根本のところで理解できないのだろう。
1+1=2なのだ。先生が・親がこれは3だからといって、1+1=が3になる訳ではない。
こうしてみろと、さすがに中国人と朝鮮人ってモノの考え方が似ているなぁ。
合理性が腹の底から理解できていない(合理性に情が勝つというのが正しいのかなぁ)…という点がそっくりだ。
中国大陸の中国人も朝鮮人も、ノーベル賞からほど遠い民族ではある。