▲中国のバブルの崩壊が刻々近づいている。
それはそれで視野に入っていることだが。
中国の国産ブランドの自動車が売れなくなった…という記事をみて、日本の昭和40年代始め頃を思い出した。
日本は今でも、他の国に比較にならないほど沢山の製造企業があるが、昭和40年代まではもっと多かった。
淘汰(合併、吸収など)されながら、今の数となったものだ。
以下、新聞から抜粋。
中国国内メーカーの自主ブランド車が軒並み販売台数を落としていることが、2011年上半期(1-6月)の販売台数統計で明らかになった。
なかでも国産高級車ブランドの栄威(ROEWE)は、ピーク時の半数以下にまで落ち込んでいる。
上半期の乗用車市場全体の成長率は、前年同期比5.75%増だったが、国産ブランド車に限れば、販売台数は同0.82%減の315.61万台にとどまった。
乗用車の全販売台数に占める割合は44.39%で、奇瑞、比亜迪、華晨、長安、上汽といった大手自主ブランド車はいずれも振るわなかった。
「栄威350」もピーク時には1万台近く売れていたが、現在は4000台程度にとどまる。
「自主ブランド車の安かろう悪かろうというイメージを払拭する必要がある」と。
一方、合弁メーカーの販売台数は、フォルクスワーゲンが同22.2%増、GMが同23.1%増、起亜が同18.2%増。
日産は同14.5%増、マツダは同13.3%増と好調だった。輸入車のベンツ、BMW、アウディは2倍以上の伸びを見せた。
▲補足、感想など
いつかみた道だなぁ、と思う。
日本でトヨタ、日産が抜きん出たのは、昭和40年代始め頃、トヨタはカローラという車からだった。
昭和30年代末までは、記事にある中国の姿によく似ている。
昭和40年代以降、トヨタと日産が先頭をつっぱしったまま、現在にいたっている。
えっと、アメリカ車なんて、いつごろまで見ていたろう。
当然、高率の関税を掛けて、輸入は少なかったのだが、昭和30年代末までだろうなぁ。
日本人だから、日本車が好きということもあったのだろうが、日産のスカイラインなんて、昭和40年代半ば過ぎには若者には随分人気が高かった。
この日本の昭和40年代の姿と記事にある中国人の姿の違いの根底にはなにがあるのだろう。
結局、中国人には中国国産ブランドの品質が信頼できないのだろう。
そうか、中国人は、「技術」というものに「畏敬の念」をもたない民族だったなぁ。
自動車は、自分の生命を預ける機器だ。
その意味でよりシビアにならざるを得ない。
まぁなぁ、と筆者は思う。
---自主ブランド車の安かろう悪かろうというイメージを払拭する—ための道のりは遥かに遠い。
それは、中国人という民族自らのもっている宿痾(科学とか技術とかを単なる商売のタネとしか見えない)と戦い、これに勝利することだからだ。