2011年7月28日木曜日

津波で死んだのは自動車学校に過失がある…てか。

▲そろそろ、東日本大震災で死亡した人の遺族から、その日、亡くなった人が関わりあっていた組織の対応がまずいとか過失があっただとかで、裁判に訴えるという人がでてきた。

 まぁ、訴えるのは自由だし勝手だ。

 また、亡くなったことは事実だから、遺族としてはだれかに責任に押し付けたい…というのもあるだろう。

 しかしなぁ、と筆者は思う。

 神ならぬ身で、どうして津波の大きさを正確に把握できる?

 津波がくると分かっていても、正しい対応ができた人が何人いる?

 助かった人は、それこそ、たまたま運よく助かった人なのだぞ。

 以下、新聞から抜粋。

 宮城県山元町の常磐山元自動車学校が東日本大震災の津波に襲われ、送迎用マイクロバスなどに分乗して帰宅しようとしていた18~19歳の教習生25人が死亡した。

 25人の遺族は「学校が迅速に避難させていれば犠牲者は出なかった」として、同校側を相手取り、総額約17億円の損害賠償を求めて仙台地裁に 提訴する。

 同校が遺族会に行った説明などによると、3月11日に地震が起きると、教習生ら約40人は校舎外や車外に出た。

 校舎が壊れた恐れがあり、寒さをしのぐため、教官らの指示で何台かのマイクロバスに乗り込んだ。

 「地震直後、教官らには『1時間後に教習を再開するので、少し待っていてください』と大きい声で言われた」と、助かった女子大学生は証言する。

 しかし、同3時20分頃に停電し、同校側は教習生を帰宅させることにした。

 教習生らはマイクロバスやワゴン車、教習車計7台に分乗して同3時40分頃から順次出発。

約10分後に山元町の沿岸部が津波に襲われ、7台のうち、山の手に向かったワゴン車と教習車を除く5台がのみ込まれた。

 死亡した教習生25人は、5台に乗っていた23人と、路上教習を打ち切って同校に戻った後、 徒歩で帰宅していた2人。

 同校側も、校舎が津波で壊滅し、マイクロバスなどを運転していた 教官4人と、学校にいた校長や教官、事務員ら5人が犠牲になった。

 遺族会によると、同校側は「津波の際の避難マニュアルは用意しておらず、対応に危機感が なかった」ことは認めたという。

 だが、話し合いを重ねている途中、代理人から「このような 大規模な津波は予見できなかった。仮に予見が可能だったとしても、生徒たちは自ら避難することができた」などとして、一連の対応に過失はなかったと主張する文書が遺族に送られてきたという。

▲補足、感想など

 亡くなった方々は確かに痛ましいことと思う。

 しかし、この津波への対応は、代理人のいう通りであろう。

 よく似た案件で、東京の昭和20年3月の大空襲で亡くなった遺族が国を相手に訴えたという裁判があったような記憶がある。

 判決は、国民の誰もが等しく負担すべき…とかではなかったか。

 東日本大震災に伴う津波での被害もそうであろう。

 太平洋側に面していた岩手、宮城、福島の人々が等しく負担すべきことであろう。

 一体、誰を過失ありと責めることができるのか。

 津波の対策マニュアルがあるとかないとか…で責めているようだが、津波の規模が把握できないものを正しく対応できる訳がない。

 冒頭でふれたように、本当にたまたま運の良い人だけが生き残れたのだ。

 責めるべき他者をさがすより、同じような被害を出さないためにはどうすべきか…と前を向いて考え行動すべきなのではないのか。