2016年4月26日火曜日

中国人と匠(たくみ)の精神なんて、似合わない。

まるで、木によって魚を求む—てな話か。
 中国人と匠(たくみ)という言葉を並べてみると、いよいよ違和感が増す。

 なんども言うが。
 中国人は、科学技術というものへの畏敬・畏怖の念をもっていないだろう。
 単なる金儲けの手段、生きるための手法ぐらいにしか考えていまい。

 そんな人間が、匠(たくみ)がどうたら、百年早い—と感じる。
 そもそも、そんなものになる気もない人間が、ごちゃごちゃ言うなよ。

 以下、新聞から抜粋。

 人件費の高騰の影響により、コスト優位を失いつつある中国製造業に対し、中国政府は製品の質の向上を目指す構想を打ち出した。

 中国では日本製品の質が高い理由は「日本人が匠の精神を持っているから」であるとして、中国も匠の精神を育むべきとの論調が高まっているが、どうすれば日本に存在する「ものづくりを愛する精神」を育てることができるのだろうか。

 中国メディアは、日本がどのようにして匠の精神を育んだのかという点について論じている。
 中国が匠の精神の育成を目指しているのは、中国企業が国際競争力を持つ質の高い製品を造り出せるようになるためだ。

 企業の利益を考えると同時に、製品を愛し、品質を向上させられる労働者を育成したいと願っている。
 記事は匠の精神が日本経済の発展において重要な精神的支柱になっていると指摘。

 日本が匠の精神を育むことができた理由のいくつかを紹介、その1つはブルーカラーの給与水準が高いことにあると指摘。
 日本のブルーカラーの給与はホワイトカラーと変わらないため、十分な給与という後ろ盾がある日本の技術者は自分の仕事の向上に 打ち込むことができると主張。

 別の理由として、日本の市場は競争が激しく品質を向上させなければ生き残ることができないという環境が日本企業に匠の精神を育ませたと説明、

 給与待遇や市場競争という環境は技術者が良い仕事をする助けにはなるが、 これらは匠の精神を日本企業に育ませた主要な要因ではない。
 日本にはお金にならなくとも、1つの仕事に打ち込む職人は多く存在し、妥協せずにこだわり続ける精神こそ「匠の精神」といえるだろう。

 お金や待遇といった条件さえ整えれば、中国人に「匠の精神」が身につくと考えているようでは、中国で「匠の精神」が根付くのは不可能と言えそうだ。

補足、感想など

 最下段は、日本人からの感想かな。

 日本人のよく使う「かわいい」という言葉をこのブログで説明した。
 植物学者が、単なる海藻を「かわいいねぇ」といい、水産大学の学生がチョウザメの子供を「かわいいでしょう」とか言いながら客人に見せる---こういう感覚が、日本人を対象に近づけさせている、もっと言えばのめりこませている。

 中国人が、自分の育てている白菜を「かわいい」とか思うか? 中国人が自分の作った中華マンを「かわいい」と思うか?

 日本人の匠(たくみ)の精神の根底にあるのは、この感覚だ。
 対象にのめりこむ程に「ちかづいて」いるのだ。

 この日本人の感覚が分からない限り、匠(たくみ)がどうたらなんて、中国人がらみのお笑いに過ぎない。
 できもしないことを考えたって、無駄そのものだ。