2019年10月3日木曜日

日本人と韓国人とでは、使っている言葉が異なる。だから、日本人には韓国人は異星人のように見える


日韓の間での齟齬・確執はこんなところに原因があるのだ。 
  隣国だからどうたらなんて、さほどに関係しない。 
 異なる言葉を使うものが、理解しあえるなんて、夢想というものだろう。  
 以下、新聞から抜粋。  

 2019/10/1 西日本新聞
 『週刊ポスト』913日号の見出しが大きな問題になった。表紙には「『嫌韓』ではなく『断韓』だ 厄介な隣人にサヨウナラ 韓国なんて要らない」「『10人に1人は治療が必要』(大韓神経精神医学会)-怒りを抑制できない『韓国人という病理』」という文字が並び、批判が湧きあがった。
 版元の小学館は「誤解を広めかねず、配慮に欠けておりました」と謝罪したものの、雑誌の回収などはなされなかった。
 右派メディアでは、中国や韓国に対して以前から過激な言葉が浴びせられてきたが、『文芸春秋』(10月号)のような伝統ある総合誌でも「日韓断絶」という見出しが躍っている。背景には、何があるのか?
 山崎雅弘「1937年と似た憎悪の煽動」(『週刊金曜日』913日号)では、『週刊ポスト』が想定する読者層に注目する。
 問題になった同じ号には「50歳すぎて『はじめての女とのセックス』入門」や「『9月バテ』の対策 中高年男性に急増中」などの見出しが並ぶ。
 編集部がターゲットにしているのは、明らかに中高年の日本人男性だ。
 なぜ彼らは、嫌韓意識を募らせる傾向があるのか。彼らは高度経済成長からバブル経済を経験してきた世代で、アジアの中で日本が圧倒的な経済大国だという自負心をもってきた。
 そのため、経済規模で中国に追い抜かれ、国際的地位の低下に直面している現状は受け入れがたい。
 そんな中、「無理に優越感を味わいたければ、かつて『日本よりも下』だった国を敵視して見下す本や雑誌記事を読み、麻薬のように耽溺(たんでき)するのが一番手っ取り早い」。
 「嫌韓」の背景には、日本人中年男性のアイデンティティ・クライシスがあるというのだ。

 一方、日韓対立の背景には、韓国側の意識の変容にも注目する必要がある。
 韓国政治を専門とする浅羽祐樹は、「韓国と『友人』であることは諦めた方がいい」(文春オンライン、87日)の中で、国力をつけた韓国が「日本による植民地時代の過去を遅ればせながら『正す』力が付いたと自負していること」があると指摘する。
 日韓基本条約と日韓請求権協定が結ばれたのは1965年。この頃の韓国の国力は小さく、日本が「経済協力金」「独立祝賀金」の名目のもと提供した資金で経済政策を行った。
 当時は日韓の間に明確なパワーバランスの差があった。しかし、韓国の国力の飛躍的高まりにより、両国の関係性が変化した。
 「朝鮮戦争後、『外勢』に押し付けられた休戦協定体制から、『朝鮮半島における平和体制』を自ら創っていこうとしているのは、その際たる例」だという。
 相対的なパワーの低下に陥る日本。国力をつけ自負心を持った韓国。両国間のパワーバランスが大きく変化したことが、国民のアイデンティティの問題へと転化し、亀裂が生じているのだ。

 こういう時こそ冷静で中長期的な視点から外交を行うのがプロの外交官の役割だが、外務省の影が薄い。
 元外交官の田中均は「総合的な視野に立った外交判断はなされているか」(『世界』10月号)の中で、一連の外務省の行動は「きちんとした外交判断」に基づいていないと指摘し、韓国への対抗というナショナリズムが先行する外交を「きわめて危険」と批判する。
 元駐日韓国大使の崔相龍(チェサンヨン)は「いま、金大中-小渕恵三共同宣言を考える」(『世界』10月号)の中で、1998年に両国首脳によって署名された「21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ共同宣言」の再認識を訴える。
 この共同宣言は、両首脳が「真剣に、お互いを尊重する心をもっていた」ことで成立した。結果、韓国では強い反対世論があったにもかかわらず、和解の具体的実践として、日本の大衆文化の市場開放が行われた。その後、相互の文化交流は盛んになり、日本でも韓流ブームが起こった。
 金大中と小渕恵三のような「忍耐と寛容」こそが、いま必要なのだろう。共同宣言の精神に立ち返ると同時に、日本のプレゼンス(存在感)の低下という現実とも冷静に向き合わなければならない。
(なかじま・たけし=東京工業大教授)

補足、感想など

 「なかじま」とか日本人風の名前だが、evenk族工作員であろう。
 金とか朴とかの本名でこんな文章を書けよ。

 冒頭で、日韓では使う言葉が異なるのだと書いた。
 日本人は、合理性>>>>感情という言葉を使い、韓国人は、合理性<<<<感情 という言葉を使うのだ。
 どんな言葉を使おうとそれは、そもそも「民族自決」の問題であり、勝手にすればいいことだ。

 ただ。
 合理性<<<<感情という判断・言動は、世界のスタンダードではなく、日米を含む世界の通常人には通用しない。
 合理性>>>感情 という「言葉を選択した民族」にとっては、合理性<<<<感情という言葉は、意味不明で理解できないのだ。だから、意思疎通ができない。
 どこに核心があるかというと、合理性<<<<感情 という「言葉」では、合理性が薄れてしまい、他者への説得力・説明力が失われて、結局、自壊・自滅してしまうのだ。

 上の文章をちょいとみてみようか。

 --高度経済成長からバブル経済を経験してきた世代で、アジアの中で日本が圧倒的な経済大国だという自負心をもってきた。 そのため、経済規模で中国に追い抜かれ、国際的地位の低下に直面している現状は受け入れがたい。 そんな中、「無理に優越感を味わいたければ、かつて『日本よりも下』だった国を敵視して見下す本や雑誌記事を読み、麻薬のように耽溺するのが一番手っ取り早い   --って。

 なんだ。この文章は。
 感情>>>>合理性という文章そのものであろう。
 韓国人(および日本にいるevenk族工作員達)のもつ「劣等感」「嫉妬心」むき出しの理解不能な「デッチアゲ文章」であろう。
 上でもふれた。
 合理性のない文章では、他者を納得、説得できない。
 合理性がないために、結局、自滅・自壊してしまうのだ。

 そういえば、evenk族の水道橋博士が、日本人へ影響を与えることができなくて、もう「疲れた」とか言っていたなぁ。
 水道橋博士と同じだ。
 いくらドギツイ言葉を使ったとしても、合理性のない言葉・文章では、他者を納得・説得なんてできない。
 日本人は、合理性>>>>感情という判断・言動を採用している。
 そして、それが世界のスタンダードだ。

 日本人を説得・納得させようと思ったら、世界のスタンダードである合理性>>>>感情という判断・言動を採用するしかない。
 それができない限り、韓国人(および、日本にいるevenk族)の言葉は世界のローカルな言語であり、世界の通常人には理解不能な、異星人の言語としか受け止められない。
 意思疎通が不可能ということだ。世界中で韓国人が嫌われているのはそのためであろう。

 どんな言語を採用するかは、民族自決だ。
 どうぞ、お好きな言語を採用すればいいこと。