▲橋下さんが、市バスの敬老パスを見直すと発言した。
筆者は賛成だ。無償になぞする必要はない。お年寄りからでも、お金をとればいい。
そういえば—と思いだした。
随分昔、イタリアのローマで市営のバスにのったことがある。
バス停で待っていると、バスが来て簡単に乗れる。
駅について、料金を払おうとすると、料金をどこに払っていいのか分からないのだ。
運転手は知らん顔、料金を収納する箱すらない。
致し方なく、無賃乗車という形となった。
これは一体なんなんだ。このイタリアという国はどうなっているのだ?
お金を取るべきところではとり、払うべきところで払わなくては社会のシステムがなりたたないはずだ。
イタリアという国は、その一番基本的な部分が充分に機能していないのだ。
こんな国家で、経済が発展するのか?
これは、「次はイタリア抜きで」と考えるのが当たり前だな。
以下、新聞から抜粋。
大阪市の橋下徹市長は1日、70歳以上の市民が無料で市営地下鉄・バスを利用できる 「敬老優待乗車証」(敬老パス)制度を見直し、半額の自己負担を利用者に求める代わりに、 JRや在阪の私鉄でも利用可能にする方針を明らかにした。
早ければ2013年度から実施する。
有料化で市の負担を抑え、将来にわたり制度を維持するのが目的だが、市民や市議会の 反発も予想される。
この日、代表を務める大阪維新の会所属の市議が開いた集会で、 「制度を維持するため(市民に)一定の負担を求める。皆さんの怒りを買う案だが、 このままでは敬老パスをやめないといけなくなる」と語った。
敬老パスは約35万人が利用。
市は運賃相当額年約80億円を肩代わりしているが18年度には交付者数は約41万人、市の負担額は年101億円に膨らむ見通し。
▲補足、感想など
冒頭でも触れたが、お金をとるべきところではきっちり取り、払うべきところでは払わなくては、社会が機能しない。また、相互の不公平感を増進させるだけだ。
日本のお年寄りはお金持ちだ。
単に、70才を越えたから、無償にするという必要がどこにある。
払える人から、お金を集めよ。
そうでなければ、冒頭で紹介したごとく、イタリアの二の舞だ。