2011年11月16日水曜日

大きくなったら幸せになれるから、頑張るんだよ…と言ってあげたい。

▲掲示板を読んでいて、ホロっときてしまった。

子供の頃って、経験が乏しくてちょっとしたことで、悲観しがちとなる。

でも、いつかは「こうして生きていて良かった」と思う瞬間が来る。

そんな「大人の智慧」を子供達に教えてあげることはできないものか。

そういえば、アキハバラで多数の死傷者を出した事件の犯人である加藤という若い男も、ちょっとしたことで自棄(やけ)になる破滅型の人間だった。

そうじゃなくて。

どんなにブサイクであろうが、どんなにドンクサクでも、日々真面目に生きていれば、必ず、「生きていて良かった」と思う瞬間がくる。

そんな大人になれば当たり前のことを「生きる智慧」として子供達に伝えたい。

以下、掲示板から抜粋。

私もタイムマシンにのって子供の頃の自分に会いたい。

大丈夫だよって言ってやりたい。

友達とお揃いの文房具が買えなくて仲間はずれになる心配したり、習い事や塾に忙しい友達と自分比較して惨めな気分になったり、私も大人になっても母親みたいに苦労するしかないのかと考え絶望したりしてた子供時代だったけど。

大丈夫だよ、頑張って真面目に生きていれば、先生が奨学金の取り方教えてくれて、バイト先の板前さんに可愛がられてご飯たらふく食べられて、そのうち就職先で優しくて真面目な人に告白されてお嫁さんになれるよ。

真夏に公園の水で飢えをしのぐこともない、不潔なシーツのせいで、身体中引っかき傷だらけになることもないって教えてあげたい。

▲補足、感想など

それは大人になって、ある程度の経験を積めば分かる。

でも、子供たちには分からない。

分からないからこそ、自滅型の人間は、アキハバラ事件のようなことを起こすのであろう。

昭和30年代までのムラ社会であれば、村の古老とか言われる人が子供たちに訓話のような形で話をしていたのだろう。

昭和40年代以降、ムラ社会が崩壊して、こういう「経験を重ねて始めて分かる」というものがうまく若い人に伝えることができなくなったものだろう。

上で転記したように、インターネット上に膨大な量で積み上がっている「様々な文章」が、かっての古老の訓話に替わってきたのかもしれない。

インターネット上での「智慧の蓄積」か。

そんなものかもしれないなぁ。