2011年11月23日水曜日

立川談志師匠が亡くなる。

▲立川談志さんが亡くなった。

 そうだなぁ。

 昭和30-40年代の頃は、こんなに頭の切れる落語家がいるのか…という印象だった。

 毒舌というのではない。

 そうではなくて、いわば大衆に媚びない、妥協しない…そういう生き方、落語の演じ方を追求した人のような気がする。

 そういえば、小さん師匠と袂を分かって、落語協会から離れ、立川流という一派を立てたのだが、その理由がたしか小さん師匠が発した、「あいつは☓☓年やっているから、真打に」とかの言葉に反発したものだった。

 ☓☓年落語をやることと、落語家の実力とになんの関係がある。真打になるならないとは、落語家としての「実力」を問うものではないのか…と。

 以下、新聞から抜粋。

 落語家の立川談志(本名・松岡克由=まつおかかつよし)さんが、喉頭がんのため死去したことがわかった。75歳だった。

通夜、告別式は親近者により執り行なわれ、後日お別れの会を開く予定。

 立川さんは喉頭がんが昨年11年に再発。本人の希望で声帯摘出手術は行わず高座へ上がり続けたが、今年3月、一門会での高座『蜘蛛駕籠(くもかご)』を最後に活動休止。

 東京都出身。昭和27年、五代目柳家小さんに入門。

 早くから才気を表し、先輩からは“天狗”と非難されたものの、38年に真打ちとなり、五代目立川談志となる。
 以後、日本テレビ系番組「笑点」の大切りの仕切り役なども務め、毀誉褒貶はあったが、江戸っ子風の威勢のよさと、歯にきぬ着せぬ毒舌でトップクラスの人気落語家になった。

 46年には参議院選挙に出馬して当選。1期6年の議員活動の後に本業に戻ったが、58年には師の小さんと対立して落語協会を脱会、立川流を創設して家元となるなど、落語界の異端児の健在ぶりを示した。

 平成9年に食道がんを告白。著書に「現代落語論」「立川談志独り会」など。

▲補足、感想など

 才気煥発(さいきかんぱつ)という言葉の権化(ごんげ)のような人だった。

 若い頃は、天狗と言われた。

 (天狗と言われた--というより、あいつ”天狗”になりやがって--と周囲の人達に悪し様に言われたという意味だろうなぁ)

 まぁ、言われても当然だけれども、そう言われたからって、別に気にする人でもなかったなぁ。

 古典落語の中にいて、古典落語に新しい風を吹き込んだ人…といえば、多少は当たっているかなぁ。

 従前からの落語家のイメージから外れて、それらしくない落語家といってもいいか。

 自分の持つ「才気」にトコトン恃(たの)んで、「なにか新しい風を”古典落語”に吹き込み続けようと努力した」人であったような気がする。

 謹んでご冥福をお祈りしたい。