2014年6月15日日曜日

ハングルだけを使うのが愛国か—と韓国人。

いや、韓国人がどのような言語で教育を受け、日常の生活をしようと勝手なのだが。
 議論がなにか核心の部分をそれているような気がして取り上げたい。
 また、それは日本人の「漢字かな交り文」の優位性を充分の指し示していることでもある。

 韓国が漢字教育を放棄したのは、1970年代だったかな。
 すると、もう約40年を経過したわけか。

 いまさら、漢字教育をしても無駄は無駄だろうな。
 しかし、韓国では1970年代に漢字を捨てることで、図書館が有名無実なものになったという。
 つまり、文化の蓄積ができない-ということを意味している。


 以下、新聞から抜粋。

 漢字教育は反民族行為? ハングルだけ使うのが愛国か

 「40歳以下の若者は漢字を知らず、コミュニケーションの過程で誤解が生じる。
 漢字は外国語ではなく、韓国語の大きなカテゴリーからみるべき。
 韓国文化を理解するには、漢字や漢文の教育が必要だ」

 ドイツ人の韓国学者、ヴェルナー・サシェ元漢陽大学教授は、「学生たちが、韓国文化について あまりに無知なことに驚いた」と語った。
 漢字を教えるべき理由は「韓国文化を十分に理解できるように するため」だという。
 「ハングルだけを使って学ぶことこそ愛国」という主張に、正面から反論した。

■「世宗大王もハングル・漢字を両方使った」

 「ハングルは立派な文字であり、韓国の誇りにして宝だ。漢字の混用は、倭政時代 (植民地時代)に行われた植民地教育の名残であって、最近復活しつつある韓国の自主文化と 『韓流』の風を遮る反民族行為」。

 これは、ハングル関連諸団体が昨年発表した「小学校での漢字 教育は絶対にいけない」と題する声明書の一部だ。ハングルだけで表記することが民族的自主性を守る 行為だと主張し、漢字の教育に反対している。

 ハングル専用論者が唱える見解は、韓国文化の一部となって久しい漢字を「外来文化」 という理由で排斥するもので、「被害意識にとらわれた文化鎖国主義」と批判されている。
 シム元国立国語院長は、反論して「自分のことだけに 固執せず、柔軟かつ開かれた姿勢で外部の文物を受け入れられるとき、その民族の発展は保障される」 と語った。

 またソウル大学国語教育科に所属する米国人のロバート・ファウザー教授は寄稿した記事で「現在は、開かれた姿勢で文化的交流を行うと同時に、自国について深く理解することが 要求される時代。ならばなおのこと、韓国語の文字から漢字を排除する理由はない」と主張。
 「漢字混用は植民地時代の名残」という主張も、韓国の歴史における漢字使用の役割を無視したものだと批判されている。

 訓民正音が作られた当時、「月印千江之曲」などの歌は、漢字語は漢字で、 固有語は訓民正音で、それぞれ区別して記述されていた。
 金草堂大学教授は「世宗大王に始まるハングルと漢字の混用は、朝鮮王朝はもちろん開化期、植民地期、さらに光復後1980年代まで、韓国語の文字表記の主流だった」と語った。

■八万大蔵経は他国の文化遺産なのか

 「ハングルだけが韓国固有の文字」という主張に対しては「およそ2000年にわたって朝鮮民族が使ってきた漢字は『固有のもの』ではなく、570年前に作られたハングルだけが『固有のもの』なのか」という反論もある。

 韓国社会全体に広まっている「漢字音痴」現象は、漢字語が韓国固有の文化の大きな部分を占めている、という客観的事実すら希薄にしている。
 漢字・漢文で書かれた古典が読解できなくなるだけでなく、 現代韓国語の語彙の70%を占める漢字語についても、理解できないまま単にハングルで 発音を表記するだけ、という結果を引き起こす。

 キム中央大学教授は「韓国語では漢字語の語彙が、人体の脊椎のように中心的役割を果たしている。
 漢字使用への反対は、韓国語の最大の特色かつ利点である『表意文字と表音文字の混用』を妨げ、韓国語の発展を阻害している」と語った。
 例を挙げると、ハングルで「住んでいるところ」と書いても問題ないケースもあるが、状況によっては「居処」「処所」「居所」「寓居」「住所」など漢字語表現を選択・使用したほうがより適切なケース
も多い。
 しかし、これらの漢字語をハングルだけで表記すると、意味上の差を見分け難い。

 イ伝統文化研究会長は「韓国人が使う漢字は、発音・形態・意味の面で中国や日本とは区別される 韓国の文字であって、歴史的・慣習的に国字と考えるべき。
 漢字を公用の文字と認めず外国の文字扱いして しまえば、韓国の精神文化において、過去と現在の結びつきを断つ結果をもたらすことになるだろう」と指摘。


▲補足、感想など

 記事にある「漢字を使うべき」という論者達の言い分は、まったくもっともだ。

 でも。核心は。
 「ハングル」のみで高等教育が可能なのか—ということだ。
 漢字を使わずして、抽象的な概念を伝えることが可能なのか-ということだ。

 日本語で考えてみれば分かる。
 ひらかなだけで、小学校高学年以上の教育が可能か?

 そう考えたとき、韓国という国がどれだけ無理をした国か理解できるであろう。
 漢字を使わないだけ、それを英語で補っているのだ。

 それを言うなら、中国語も同じだ。
 あの漢字だけの言語で、抽象的な概念を他者に伝えることができると思うか。
 だから、中国人もその不足の部分を英語で補っているのだ。

 つまり、ハングルのみも、漢字のみも「欠陥言語」なのだ。
 中国人も韓国人も、自国の言語が「欠陥言語」ということを指導者達はしりつつも、そのことを国民に知らせずじまいで、教育を行っているということだろうな。

 そのことが、韓国及び中国で科学系のノーベル賞受賞者が出てこない一番の原因となっているのであろう。

 それにしても。
 自国の言語が欠陥言語であり、それで教育を受けるしかない---という宿命というものは、どれほどの重圧であろうか。
 日本人に生まれた幸運をしみじみ感じることでもある。