2017年5月31日水曜日

廃れたのではあるまい。自分達が埋めてしまった結果だろうに

表題は妙な表現となった。
 いや、コケオドシ中国人が、オレのところに起源があるのに---という記事が多いものだから。

 廃れたという表現は、真実を言ってはいまい。
 文化というものは、努力しなければ継続しない、残らないのだ。
 そのことがどうしても、人食い中国人には理解できない。

 ちょいと50年前を振り返ってみよ。
 文化大革命なる狂乱の中で、自分達中国人がどれだけの教養人・文化人・職人を殺害したか。
 どれだけの名刹・陶器などの文化財を破壊して葬り去ったか。

 なにもかも、自分達のその手で、その指で破壊し、ことごとく灰燼としたものであろう。
 それを、今になって、やれ起源はオレのところにあるのに---と騒ぎ立てる。

 中国人って、愚かしい、哀しい民族ではある。
 自分達の愚かしさを直視してみよ。
 そして、自分達の文化を必死で再生し、保存することに努力せよ。
 努力なくして、文化を将来へ引き継ぐことができるものか。

 以下、中国の新聞から抜粋。

✦中国では6月1日が「こどもの日(儿童節)」に当たる。
 日本では中国から伝わった端午の節句をこどもの日として祝い、女の子の日は別に「ひな祭り」としてお祝いするのが慣習となっている。
 このように、男の子と女の子を分けて祝うのは世界でも珍しいことのようだ。

 中国メディアは、ひな祭りについて紹介する記事を掲載し、元をたどれば奈良時代に中国から伝わったお祓いの行事だが、中国ではすでに廃れてしまっていると伝えた。
 ひな祭りは「桃の節句」とも呼ばれ、日本ではひな人形と桃の花を飾り、雛あられなどを食べ、女の子の健やかな成長を祈る行事となっている。
 記事は、日本人は「人形を精巧に作り、並べ方にもこだわっている」とひな祭りへの力の入れ具合を伝えた。

 最上段には、内裏雛が豪華な金色の屏風を背に飾られる。
 2段目には三人官女、3段目以降は、五人囃子、随身、仕丁と続き、7段飾りの場合は、さらに嫁入り道具とお輿入れ道具が加わることになる。
 名家ではこの人形が何十体も何百体も代々受け継がれており、毎年飾られる様は圧巻だと紹介。
 また、ひな祭りには食べ物である、はまぐりの吸い物や菱餅、ひなあられ、白酒などにはいずれも縁起を担ぐ意味があり、各地でイベントも開かれ祝われるとして、日本でのひな祭りの普及度合いを伝えた。
 ひな祭りの起源であるはずの中国では行われなくなったが、日本では伝統行事として扱われていると、中国との違いを強調。

 近年、中国では廃れながら日本には残っている文化や習慣があることが指摘され、多くの中国人旅行客の観光目的ともなっている。
 中国由来の行事も、中国人を対象に観光業の目玉になっていくのかもしれない。


✦日本には中国に起源を持つ文化が数多く存在する。
 元々は中国の事物であったものの、日本で発展を遂げ、日本を代表する文化になったものも少なくない。
 中国メディアは、「中国の文化でありながら、日本に奪われ、そして日本を代表する存在となった文化は数多く存在する」と記事を掲載。
 過去の中国は周辺国に大きな影響力を持っていたため、日本を含めた周辺国に中国の文化が伝わったのであり、日本が中国から文化を奪ったわけでないのは言うまでもない。

 だが記事は、「日本が中国から奪った文化のなかには、日本を象徴する存在になったものも少なくない」とし、その例として畳や和服、相撲、芸妓、下駄、京都、桜、茶道などを挙げた。
 たとえば畳については「もともとは漢王朝のころの中国に起源を持ち、隋や唐の時代に最盛期を迎えたが、唐の時代以降に中国では廃れたものだ」と主張。

 また、和服についても呉や唐の時代の服装の影響を強く受けているとしたほか、日本の国技である相撲についても南北朝時代から南宋時代にはすでに中国で同様の競技が「相撲」と呼ばれていたと論じた。
 また、京都が「洛」と呼ばれることがあるのは、北魏や晋、隋、後唐などの王朝が首都とした洛陽を模倣した都市だと主張、今や京都は観光都市として、世界にその名を轟かせる存在であることを伝えた。
 また、日本を象徴する花とされることも多い桜についても「中国が原産地である」と指摘した。

 こうした事物はいずれも「中国に起源を持ちながら、中国では廃れたか、あるいは中国を象徴する文化にはならなかった」にもかかわらず、今日では日本を代表する文化として、世界で広く認知される存在になったと悔しさを滲ませつつ伝えている。

補足、感想など

 日本が奪った—てか。
 そりゃ、もう、いいがかり・難癖の類だ。
 価値があるものだと中国人が認識していれば、当然、中国人は残していったろう。
 残せなかったのは、中国人自身が価値を認めることができないし、残そうと努力もしなかったということだろう。

 そういえば、1960年代半ばの文化大革命最中の情景が浮かんでくる。
 造反有理なるたわごとを大声で喚きながら、空欄の答案用紙を高々と掲げていた女子学生を。

 造反有理か。
 この言葉の下に、どれだけの教養人が殺害され、食われてしまったか。
 この言葉の下に、どれだけの将来へ残すべき文化財が、破壊され粉微塵となってしまったか。

 上の記事など、まず、この文化大革命を総括することから始めろよ。
 文化大革命という狂乱を簡単に錯誤なんぞという言葉で片付けるなよ。

 仮に、将来、この文化大革命に類似した「狂乱」が発生したとしても、「俺たちの民族としての文化」を絶対に守りきるぞ—と決心・覚悟するところから出発しろよ。

 それなくしては、また、日本の端午の節句とか、ひな祭りについて、同じような悔しい思いを繰り返すことになるだろうな。