2019年3月26日火曜日

倭国 東アジア世界の中で 岡田英弘著 中公新書 昭和52年10月刊 感想


倭国という名称は、7世紀後半(663年)、白村江の戦いで唐・新羅軍に壊滅的に破れた後、日本と名乗る前の「名称」だ。
 中国人のつけた名前だが、司馬さんは、倭国の「倭」を単に小さいというよりは、従順なとか、空っぽの容器のような--てな意味ではと書かれてあった記憶がある。
 なお、任那日本府、日本語の由来までふれている。まぁ、魅力的な本ではある。

 例のごとく、アマゾンでの評などを例示し、最後に筆者の感想を付け足したい。
 アマゾンの評では、4.3/5

 先にアマゾンの評を抜粋してみたい。

 --ここから--

★日本書紀が日本の正史として書かれたのは、日本国のアイデンティティを成立させる、日本国を治める天皇家の立場を正統化する、という目的をもっていた、というのはその通りであろう。
 歴史が書かれるとはそういうことである。
 たとえば、日本近代史を、自民党が書くもの、立憲民主党や共産党が書くものでは、同じ「正史」であっても全く違うものになろうし、もっと言えば、同じニュースを産経新聞が書いた記事と朝日や赤旗が書いた記事では全く違うものになるのと同様であろう。

 岡田英弘氏の著作「倭国」では、中国の正史である歴代の書や記紀などを、「文献批判」という手法(江戸時代の不世出の天才学者、富永仲基が膨大な仏典を分析批判した「加上」の指標を使ったような方法論)でもって、「日本」という国が成立し、「日本」という国号ができたのは天智天皇のとき、契機となったのは白村江の敗戦による、当時の世界であった中国(唐)や朝鮮半島からの孤立、これ以上ない国難に対応するための唯一の手段としての民族国家の成立、すなわち「日本語」の作成、「日本書紀」という歴史書の作成が、天武天皇によって始められたとする。

 岡田英弘氏の説明により、歴史時代以前の倭国の都市の発生 奴国 邪馬台国 倭の五王
継体天皇に始まる越前王朝の流れが一応納得できる形で整理された。
 今までの古代史に合点がいかなかったのは、政治的・経済的人間が登場しない点にあった。
 岡田英弘氏の古代史では、「縄文人」「弥生人」というくくりではなく、しっかりと経済活動、交易をする、現在と変わらない人間の姿が表現され、その復元の材料には、中国の正史の文献批判のみならず、現在の中国が、東南アジアに進出するときの様子を当時の日本に当てはめて使っており、実にリアルな人間が浮かび上がっている。
 108年に、漢が半島を征服する。
 これを境にして、日本列島の市場の開拓が猛烈な勢いで始まる。日本列島に中国の商船が定期に来航するようになって、交易のために山から下りてきたきた人々や、浦々から集まってきた人々が、河口の船着場に近い、ちょっと小高くなって増水期にも水没の心配のないところに聚落を作る。その人々の食糧を作るために、少し離れた山の谷間が開墾されて農園ができる。
 やがて頭の回転が速くて中国語の弁の立つ原住民が、仲間と中国商人との間に立って斡旋するようになる。
 さらに取引の規模が大きくなり、参加する人数も多くなってくると、この仲介の機能が組織化されて、周りに囲いのある指定交易場が出現し、これを管理する世襲の酋長が出現する。
 いったん始まった倭人の社会の都市化、中国化は止まらず、今度は倭人からも、朝鮮海峡を渡り洛東江を遡って、楽浪郡まで出かけていくことになる。
 それが『漢書』の「地理史」に初めて現れる倭人の姿である。
 そののち、前漢の消滅(王莽の乱)、新の成立、滅亡、人口激減、そのあおりで、後漢の政府が経費削減を目的として、日本列島の原住民の酋長を名誉総領事に任命した。
 それが漢倭奴国王である。
 後漢末の黄巾の乱の際に華僑のバックを失った倭国が乱れ、鬼道(五斗米道)の使い手、卑弥呼を立てることにより、アムフィクテュオニアを形成した邪馬台国が現れ、三国志が書かれた当時の中国の事情で「烏丸・鮮卑・東夷伝」(三国志の中で外国に触れられた記事は、魏書のこの部分のみ)の倭人の条に記載されたこと
 南朝の宋に朝貢した倭の五王は河内王朝(これが記紀成立当事に伝承されていた王朝の初めであり、倭王武(雄略天皇)の祖父である仁徳天皇に始まる)、
 その後、播磨王朝、越前王朝(継体王朝)と引き継がれたことなど。しかし、ここには古事記神代巻の三分の一を占める出雲の話が一切出てこない。と疑問を持っていたところ、巻末に、

 出雲に関しては鳥越憲三郎氏の「出雲神話の成立」を参照されたい、とのこと。
 「出雲神話の成立」(改題再販「出雲神話の誕生」)の内容も別にメモをまとめてみたが、これも精緻な文献批判による出雲の分析であり、これは荒神谷遺跡発見前の著作であるが、かなり興味深い中身であった。


★日本古代史に関する岡田史観のエッセンスを詰め込んだ名著です。
 歴史を読み解くに際しての手法は、中国の資料を中心とし、朝鮮や日本の資料は補足として使います。資料の信頼性や性格を踏まえつつ、そこから読み取れることだけを採用し、余計な想像は排除されます。その結果、浮かび上がって来るのは、通説とは異なるダイナミックな歴史像となります。倭国を語るには、まずはそれを成立させた中国の政治情勢から説明されます。
 それが朝鮮半島情勢に波及して行き、その中から倭国の姿が見えて来ます。
 古代国家というものが、城郭都市と交易ルートという、点と線に過ぎないという視点は、実に斬新でした。
 また、魏志倭人伝の邪馬台国が、親魏倭王としての政治的配慮から親魏大月氏王と同列に置くため、距離や規模が誇張され、呉を挟む戦略的な位置取りとされたことを、見事に看破します。
 そして何と言っても真骨頂は、仁徳天皇こそが最初の倭国大王であり河内王朝の始祖である、としていることです。その説明には唸らせられました。
 1977年に出版された本ですが、その斬新さには微塵も揺るぎがありません。
 東アジアの古代史を考える際の必読書であると言えます。


★サブタイトルにあるように当時の東アジア世界の中で倭国の位置づけを面白い切り口から書いている。
 日本の古代史といえば、日本書紀、古事記の記述に魏志倭人伝の東夷伝を加えたものが多く、特に日本書紀の記述を重視するのに対して中国・朝鮮の様々な歴史書に重点を置きながら著者の歴史観から快刀乱麻に結論づけるというのは面白いし楽しいのだが、他のレヴュアーも書いているが時に著者の推論を断定的に結論付けているのが気になる。
 時にはあまりアカデミックな議論ではないと感じることもある。
 例えば、邪馬台国の卑弥呼の正体と位置に関しては「当時の中国の内政上の都合によるフィクションである」「鬼道に事える巫女卑弥呼を名目上の盟主とするアムフィクテュオニアを作り上げたのは、諸国の市場を支配して互いに連絡を取り合っている華僑の組織の力であったと考えなければ説明がつかない。......()......それを可能にしたのは華僑であった。」というのは確かに面白い視点だと思うが、断定していいのだろうかという気もする。
 中には「普通、「古事記」がこれよりも古く、712年にできたとされているが、いろいろな証拠をから見てこれは怪しく、実際は百年以上もあとの、平安朝の初期の偽作らしい」というくだりは、結構重大な推論にもかかわらず、著者の感想らしいものが書かれているだけでその推論を検証する「いろいろな証拠」に触れてもいない。
 本題から離れている話題だからかもしれないが、これはちょっといただけない。内容に関しては様々な資料から論証しており、結構説得力がある印象なのだが、批判的な態度で読まないと人をミスリードしてしまうのではないかという懸念もある。
 とは言いながら、古代史を倭国という限定的な地域で捉えるのではなく、東アジアという広い地域から俯瞰しながら理解するというのはとても面白く、知的好奇心をかきたてる本だ。
もっと少なく読む


★凡そ30年前の著作であるのにも拘らず、斬新な切口で挑んでおります。
 倭国の成立を順序立てて、縷々説明しております。
 先ずは、倭国成立に当って、三国志から…ではなく、そもそもの中国の成立から始めないと、東アジアが判らないという強固な壁があるわけです。
 色々と東アジア(東洋)の事件、人物が出て来て、「日本史なのになんで東洋史を学ばねばならんのだ!」という思いに駆られるでしょう。
 だって、日本人の顔は東洋系ですから。


★中国、朝鮮半島と言った東アジアを中心とした視座で捉えた古代史。
 倭と呼ばれる地域、国の状況を再定義した叙事詩である。こういったグローバルな視点、世界状況を捉えて書かれた古代史は少ないので、視座には魅力を感じる。
 ただし、内容がやや古いのと、妙な断定口調が気になる。
 断定口調による叙事詩といった展開であり、紙面に限りがあるためか、そう考えるに至った根拠を十分に明らかにしていない。体験談のような様相を呈し、違和感を覚える。
 あとがきにかえて参考文献を整理して載せているため、今後の読書の指針にはなる。
 その一方で、これだ、という1つの叙事詩のみを掲載して、批判したかったら別の参考書を読め、というスタンスは如何なものか。どの箇所が既に明確になっていて、どの箇所が異論があるところか、本書を読む限りではわからない。
 本書しか読んだことのない人、本書を入門書として捉えた人はすっかり騙されることだろう。
批判や推論を適切に捉えるのが新書の役目だと思っていたが、同じ考えで本書を手に取れば火傷をすることになる。
 吉牛のネタではないが、素人にはオススメできない諸刃の剣、という表現がぴったりだ。
 東アジアという視座を与えてくれるので、参考にはなる。
 本書を読んで冷静に有効な範囲を捉えられるのは、批判力のある読者に限られる。
 ちょっと興味を持って初めて古代史関連のものを読もうという方には、本書はオススメできない。

--ここまで--

 冒頭でふれた。
 663年白村江の戦いで、倭国が唐・新羅連合軍に壊滅的に破れたことは、倭国にとって、強烈な衝撃であったのだろう。
 それ以後、国として制度をかえ、軍備を増強することになり、また、「日本」と国名を変える決断(670年頃)をもすることなる。
 
 倭国 → 日本 への名称変更の根底にあるものは、白村江の敗戦だ。
 そのことが、単なる部族社会から日本という「国」を造るということになったものだろう。

 岡田先生が、日本語の由来についてふれている。その部分を転記してみたい。

 --ここから--

 天智天皇の頃、新しい国語の創造を担当したのは、これまで倭国の政治経済の実務に携わってきた華僑である。かれらの共通語は、朝鮮半島の土着民の中国語である。それが自分たちの言語を基礎として、単語を倭人の土語で置き換えて、日本語が作り出された。人工的な言語であった。倭人の言葉とは、おそらく非常に違っているのであろう。

 --ここまで--
 
 筆者には、反駁する力もないが、こういう考えもあるのだなぁと思った。