▲なにか、時の回廊に迷い込んだように感じる。
日本にある葡萄の種類が、シルクロードをはるばる運ばれた品種だということか。
奈良時代に、遣唐使としていった人が、当時の唐からもってかえってきた種類ということなのだろうなぁ。
西域とかフェルガナ(古代、ブドウの産地として有名だった)とかよばれた国から → 日本へ ということか。
7・8世紀という茫々たる時間の厚みと、コーカサスからという距離の大きさに、圧倒される思いだ。
以下、新聞から抜粋。
ワイン用として使われる日本の在来ブドウ品種「甲州」は、
ロシア南部・コーカサス地方の品種「ビニフェラ」と中国の野生種が交雑・交配して誕生したことが、
酒類総合研究所のDNA解析でわかった。
山梨大で開かれる「日本ブドウ・ワイン学会」で発表される。
同研究所によると、奈良時代の僧・行基が薬師如来から授けられたなどの言い伝えを持つ甲州の起源を巡っては諸説あり、
これまではビニフェラがシルクロードを経て日本に伝わったという説が有力だった。
その一方で、「ビニフェラではない」とする説もあり、同研究所が米・コーネル大など共同で昨年からDNA解析をしていた。
結果、甲州は、71・5%がビニフェラの遺伝子を、残り28・5%は中国の野生種の遺伝子を受け継いでおり、
ビニフェラと野生種が交雑した後、さらにもう1度、ビニフェラと交配した品種である可能性が高いことがわかった。
同研究所のgさん(56)(ワイン醸造学)は
「甲州の起源を解明することで、甲州の特長を生かした新種開発につながれば」と話している。
▲補足、感想など
記事で行基がとりあげられている。
行基について、ウィキペディアから抜粋してみよう。
--ここから--
河内国大鳥郡(現在の堺市家原寺町)に生まれる。
682年(天武天皇11年)に15歳で出家し、飛鳥寺(官大寺)で法相宗などの教学を学び、集団を形成して近畿地方を中心に貧民救済・治水・架橋などの社会事業に活動した。
704年(大宝4年)に生家を家原寺としてそこに居住した。
その師とされる道昭は、入唐して玄奘の教えを受けたことで有名である。
民衆を煽動する人物であると朝廷から疑われたこと、また寺の外での活動が僧尼令に違反するとされたことから、養老元年4月23日詔をもって糾弾されて弾圧を受けた。だが、行基の指導により墾田開発や社会事業が進展したこと、豪族や民衆らを中心とした教団の拡大を抑えきれなかったこと、行基の活動を朝廷が恐れていた「反政府」的な意図を有したものではないと判断したことから、731年(天平3年)弾圧を緩め、翌年河内国の狭山池の築造に行基の技術力や農民動員の力量を利用した。
736年(天平8年)に、インド出身の僧・菩提僊那がチャンパ王国出身の僧・仏哲、唐の僧・道璿とともに来日した。
彼らは九州の大宰府に赴き、行基に迎えられて平城京に入京し大安寺に住し、時服を与えられている。
738年(天平10年)に朝廷より「行基大徳」の諡号が授けられた。
--ここまで--
唐との関係は上に記事では2つしかない。
行基の師である道昭が入唐していること。インドの僧菩提僊那、仏哲などが来日したこと。
このいずれかが、行基がシルクロードを経由してはるばる日本まで届いた「甲州」を広めるきっかけとなったものだろう。
<ついでながら、このあたりが、中国の都(唐は長安)が内陸部にあった理由の1つなのだろうな。珍しいもの、新しい情報が西方からシルクロードを通じてやってくるのだ。>
<ついでながら、このあたりが、中国の都(唐は長安)が内陸部にあった理由の1つなのだろうな。珍しいもの、新しい情報が西方からシルクロードを通じてやってくるのだ。>
8世紀始め頃の話か。
もう、1300年も前の話なのだな。
そういえば、柴犬という日本犬がいるが、9000年前頃に、ユーラシア大陸から縄文人達と一緒に来たものらしい。
身近にいるものが、意外にも長いつきあいであったということにびっくりさせられる。