2013年11月29日金曜日

大津波を想定できないため—と大槌町検証委員会。

こうなんというか。
 世の中には、人智の及ばないことってある。

 普通の人間が、千年に一度の災害なんて、想定するわけがない。
 当たり前ではあるまいか。

 いや、なにかというと、大槌町という2011年大震災で大きな被害を受けた町が、この災害を検証をした記事をみて、筆者が感じたことだ。

 この検証委員会の結果報告をみて、その通りだろうなぁ、とは思う。

 でも。
 「人智の及ばない」「考えたこともない」--そんな世界ってあるのじゃないか。
 そんな災害に出会ったとき、人間が感じるのはただただ「驚愕」のみであろう。

 いや、もっというと。
 ニュートンの言ったという、「人間は、真理という大海の浜辺で砂遊びをしている子供にすぎない」--そんな感想に結びついてしまう。

 以下、新聞から抜粋。

 東日本大震災で関連死を含め1300人近くが犠牲となぅた岩手県大槌町の震災検証委員会が、当時の行政対応に関して「津波規模の過小評価や防潮堤のなどへの過信により、巨大津波を想定できなかった」との中間報告をまとめた。

 想定が及ばなかった理由として、気象庁の大津波警報が実際の津波の高さを下回っていたことや、過去に大津波が来なかった経験に縛られたと指摘。

 防潮堤で被害を食い止める防災シュミレーションにも引きすられたと分析した。
 さらに、災害対策本部を高台に置かなかったため職員が津波の犠牲になり、住民対応に影響が出たとした。

 仮役場で町長に報告書を手渡した委員長は、「職員、住民の危機意識の欠如が一番の原因と感じる」と述べた。


▲補足、感想など

 いや、それは、その通りなのだけど。
 なにかなぁ。

 昨年だったかな。福島の原発事故についても、黒川さんという人がこんな検証委員会のようなことをやって、報告したが、あの時と同じ感じを受ける。

 どこに筆者がひっかかるのかぁ。どこにイラッとするのかなぁ。
 
 う~ん。
 人間って、スーパーマンではない。

 「危機意識の欠如が一番の原因」とか被害を受けた人達が「責められている感じ」がするからだろうな。
 悪く取れば、お前がアホだから死んだのだ—と言われているような---

 いや、勘ぐりすぎかもしれない。
 筆者が感じているのは、人間のもつ「愚かしさ」を肯定的に認めてあげて欲しい—ということなのだろうな。

 大きな犠牲を払ったことで、地震とか津波に対する対策をより深く考えることなったのだ—とか。
 検証委員会の役目とは、「どうしてこれだけの犠牲がでたのか」という原因を究明し、では、その犠牲を少なくするためにはどうするべきか—と提言することであろう。

 お前達がアホだからこれだけ犠牲がでたのだ—で終わってしまうと「救いがあるまい」。
 検証委員会の意味を疑っているのではないが、発表のしかたにもっと工夫して、「ではどうすべきか」--というところに踏み込んで欲しい。

 犠牲となられた方々が、未来へのステップの礎(いしずえ)となった形にしてあげて欲しい。