▲こうなんというか。
世の中には、人智の及ばないことってある。
普通の人間が、千年に一度の災害なんて、想定するわけがない。
当たり前ではあるまいか。
いや、なにかというと、大槌町という2011年大震災で大きな被害を受けた町が、この災害を検証をした記事をみて、筆者が感じたことだ。
この検証委員会の結果報告をみて、その通りだろうなぁ、とは思う。
でも。
「人智の及ばない」「考えたこともない」--そんな世界ってあるのじゃないか。
そんな災害に出会ったとき、人間が感じるのはただただ「驚愕」のみであろう。
いや、もっというと。
ニュートンの言ったという、「人間は、真理という大海の浜辺で砂遊びをしている子供にすぎない」--そんな感想に結びついてしまう。
以下、新聞から抜粋。
東日本大震災で関連死を含め1300人近くが犠牲となぅた岩手県大槌町の震災検証委員会が、当時の行政対応に関して「津波規模の過小評価や防潮堤のなどへの過信により、巨大津波を想定できなかった」との中間報告をまとめた。
想定が及ばなかった理由として、気象庁の大津波警報が実際の津波の高さを下回っていたことや、過去に大津波が来なかった経験に縛られたと指摘。
防潮堤で被害を食い止める防災シュミレーションにも引きすられたと分析した。
さらに、災害対策本部を高台に置かなかったため職員が津波の犠牲になり、住民対応に影響が出たとした。
仮役場で町長に報告書を手渡した委員長は、「職員、住民の危機意識の欠如が一番の原因と感じる」と述べた。
▲補足、感想など
いや、それは、その通りなのだけど。
なにかなぁ。
昨年だったかな。福島の原発事故についても、黒川さんという人がこんな検証委員会のようなことをやって、報告したが、あの時と同じ感じを受ける。
どこに筆者がひっかかるのかぁ。どこにイラッとするのかなぁ。
う~ん。
人間って、スーパーマンではない。
「危機意識の欠如が一番の原因」とか被害を受けた人達が「責められている感じ」がするからだろうな。
悪く取れば、お前がアホだから死んだのだ—と言われているような---。
いや、勘ぐりすぎかもしれない。
筆者が感じているのは、人間のもつ「愚かしさ」を肯定的に認めてあげて欲しい—ということなのだろうな。
大きな犠牲を払ったことで、地震とか津波に対する対策をより深く考えることなったのだ—とか。
検証委員会の役目とは、「どうしてこれだけの犠牲がでたのか」という原因を究明し、では、その犠牲を少なくするためにはどうするべきか—と提言することであろう。
お前達がアホだからこれだけ犠牲がでたのだ—で終わってしまうと「救いがあるまい」。
検証委員会の意味を疑っているのではないが、発表のしかたにもっと工夫して、「ではどうすべきか」--というところに踏み込んで欲しい。
犠牲となられた方々が、未来へのステップの礎(いしずえ)となった形にしてあげて欲しい。