▲韓国の元慰安婦と自称する人の話を聞いていると、奇妙な感じを受ける。
要するに、話がぶつ切りなのだ。
いや、本人はそうしゃべってはいないのだろうが、記事に書く段階で、じゃまになる用語を斬り捨てているためだろう。
警察につれていかれて、軍隊でどうされた—とかの証言だが、ある日突然に警察につれていかれた--というもの理解できないし、じゃ、親はどうしていたのだ?
自分の子供がある日、突然にいなくなって騒がない親などいやしない。
半狂乱になって探しまわるだろう。普通。
ところが、元慰安婦達の証言には一切、親がどうした—という証言がないのだ。
この部分が、この不可思議な作為に満ちた文章を解く鍵なのだ。
つまり、親が自分の娘を女衒業者へ高額の前払金をもらって売り飛ばした—という話なのだ。
女衒業者は、誘拐と周囲から思われないために、警察に立会いを願ったのだろう。
女衒業者は、慰安所へ彼女たちを連れていって、顧客が若い日本軍兵士であった—というなら、流れからして理解できる。
記事は意図的に文章をぶつ切りにして、日本軍がどうたら—としている。
まぁ、日本と韓国の間では不可逆的に解決したものだ。
もう、韓国政府と自称慰安婦達 の間の問題だ。
日本はもうなんの関係もない。
以下、韓国の新聞から抜粋。
プサンの90才のハルモニが日帝強制支配期に慰安婦に引きずられて行って苦難
にあって帰ってきたと告白。ハルモニは「子供に被害が及ぶかと思って一生隠して生きた」と。
パクハルモニ90はこのように明らかにして「死ぬ前に打ち明けたかった」と。
パクハルモニは二十歳頃、日本軍に引きずられて行ったと言う。
パクハルモニは「山で友人たちと遊んでいたら、日本の警察がお下げをつかまれて車に乗り汽車に乗って日本の大阪に引っ張っていかれた」と。
日本軍部隊で昼間は清掃と皿洗いなど雑事をし、夜は日本軍を相手にしたという。言うことを
聞かなければ銃と軍靴で殴打され、日本語を使うよう強要されたと。
自分の他にも多くの女性がいたが逃げようとして死ぬほど殴られる姿も見たと。
4カ月余り日本で様々な苦難に会う間に光復になって日本から帰国船に乗って釜山へ渡ってきた。
その後、結婚をしたパクハルモニは、自分が慰安婦だった事実を娘の他には絶対話さずに生きた。
パクハルモニは「慰安婦交渉も終わったと言うので、これまで隠して暮らしてきた事実を打ち明けることにした」として「みな終わったのでみな忘れるかと思って死ぬ前に話さなければならないと考えた」と話した。
影島区はハルモニから慰安婦対象登録申込書を受けて慰安婦認定手続きをすることにした。
女性家族部は慰安婦被害が受け入れられたら事実可否を明らかにする専門家調査に着手することに
なる。
現在、国内に生存した慰安婦は42人だ。
クォン・キジョン記者
▲補足、感想など
日本の軍隊に、慰安婦などの女性を管理するための部署など存在しない。
記事のようなことが実際にあったとしたら、それは民間の女衒業者が行ったことであろう。
日本軍がどうたらは、完全なウソの証言だ。
冒頭でふれた。
日本と韓国との間では、最終的かつ不可逆的に解決した問題だ。
元慰安婦と自称する女性がなにか不満でもあるならば、それは韓国政府へ言えばいいこと。
もはや日本にはなんら関係のない話だ。