2014年10月9日木曜日

19対0が雄弁に語ること。

韓国の新聞が、日本のノーベル賞受賞について、割合、冷静に対応している。
 ふ~ん、なんだろうなぁ。

 なにか突き放したような—そんな書き方をしている。
 自分の姿を「直視」できる--そんな記者がいるのだろうな。

 以下、新聞から抜粋。

 日本出身の科学者3人が今年、ノーベル物理学賞を受けた。
 青色発光ダイオード(LED)を開発した功労だ。
 今年のノーベル物理学賞は、人類に有益な技術開発に成功した応用科学者に渡ったという点で意味が大きい。
 今後、多様な応用科学分野でもノーベル賞を期待できるようになった。

 今回の受賞で日本出身のノーベル科学賞受賞者は19人、日本国籍者は17人になった。
 1人のノーベル科学賞の受賞者も輩出できない韓国の立場としては、うらやましいばかりだ。

 韓国科学者の中からノーベル賞受賞者が出てくれば、科学に対する国民の関心や国家的な投資が促進されると期待できる。
 科学技術研究がより一層促進される効果も出すことができる。

 だがノーベル賞は長年の科学研究に献身した結果として受けとるものであって、
 ノーベル賞受賞を国家科学技術政策の目標にすることもできない事情だ。

 政府がノーベル賞に焦燥感を抱く必要はない。
 ただし科学技術に対する国民的な認識を高め、人材と資金が集まるよう努力する必要はある。
 科学技術は、私たちの未来を担う価値を創造する源泉だからだ。

 このためには科学技術者を尊重する社会的風土が切実だ。
 実績中心の研究が科学者を圧迫する雰囲気では、韓国の未来の生きる術の責任を負うべき一般技術さえまともに開発され難い。
 政府は焦燥感を抱かずに、冷静に韓国の未来にむけた科学技術研究の青写真を広げなければならない。

 ノーベル科学賞の受賞は、一国の科学技術水準はもちろん、これに対する国民の認識水準、そして未来を開く創造的雰囲気にかかっていることを忘れてはならない。



補足、感想など

 ほう、エラくまともな記事となっている。
 そうならば、と思う。
 ノーベル賞がとれるかどうかは分からないが、それに近づく最も有効なアプローチのやり方を伝授しようか。

 それは「漢字の復活」だ。
 小学校から、「漢字ハングル交り文」で教育することだ。

 アメリカ人・ノーベル賞受賞者に、韓国に来て授業をしてもらうより、遥かに効果的だ。
 少なくとも、どうしたらノーベル賞がとれますか? などという質問を、アメリカ人学者にするということはなくなろう。