2016年11月2日水曜日

日本の真髄。神は細部に宿る

中国人も日本人の核心に近づいているようだな。
 韓国人との違いはこのあたりだ。

 中国人には油断がならない。

 以下、新聞から抜粋。

 日本旅行を経験した中国人が、「旅行後に称賛するポイント」に共通点がある。
 中国メディアは、日本旅行を楽しんだ中国人は、観光地そのものよりも、「日本で目にした細部へのこだわり」を称賛すると紹介、「日本を見ていると、偉大なことは細部へのこだわりから生まれることが分かる」と記事を掲載。

 記事はまず、中国人旅行客は滞在中は文化的な建造物に感動したり、東大寺のシカにメロメロになったりするとしながらも、帰国後に振り返ってみると、印象に残っているのは日本人の礼儀正しさや時間を守る習慣、清潔さといった「些細なこともいい加減では済ませない精神」であると主張。
 続けて、「些細なこともいい加減では済ませない精神」として、「公共バスで提供される質の高いサービス」を紹介。
 乗客の昇降時には車体が傾き、乗降しやすいよう工夫され、運転手が一人ひとりの乗客に丁寧にお礼を言うと伝え、中国では遭遇することのない「優れた顧客体験」であると絶賛。

 「使う人の立場になって考えられたトイレ」も称賛。トイレットペーパーが無料で設置されているだけでなく、予備まで設置されることを称賛。また、ベビーチェアもあり、子どもを抱える保護者目線の気遣いに感動。

 また記事は、日本の「ゴミ回収方法」からも「細部まで手を抜かない日本人の国民性が見て取れる」と主張。
 牛乳パックは切り開いて洗い、乾かして回収することに驚いた様子だ。
 中国でも一部の都市でゴミの種類に応じた分別が行われている、「中身を洗ってゴミに出す」という習慣がないため、ビンや缶、牛乳パックの内部に残っていた液体が漏れ出して周囲を汚してしまうと伝えている。

 中国にも公共バスや公衆トイレ、そしてゴミ分別は存在する。
 だからこそ、中国人旅行客は日本と中国の「違い」に気付くのだろう。
 中国の公共バスでは乗客のために車体が傾く気遣いや、運転手による感謝の言葉はなく、中国ではトイレットペーパーやベビーチェアが設置されているトイレはほとんどない。
 記事は、違いをもたらしているのは、中国人から見れば「些細なこと」も「いい加減では済ませない日本人の精神」であると分析し、「こうした細部にまで気を配ることこそが日本の文化」であり、何事もいい加減では済ませない日本人の精神こそが日本を偉大な国にしたのだと主張。

補足、感想など

 中国人のゴミ分別か。記事があったなぁ。

 --ここから--

 中国ではほうきを持った清掃員が街の清掃に「一日中」従事している。清掃員は日本では見られないが、それでも日本旅行を通じて「日本の街は中国より清潔」であることに感動する中国人は多い。

 中国メディアは、中国人の眼に映る日本の印象やイメージは「人それぞれ」だとしても、「日本が非常に清潔である」という認識は存在すると説明。
 日本で3カ月間、生活したという中国人の見解として「厳格なゴミ分別」が日本を非常に清潔に保っていると紹介している。

 記事は、日本で暮らした中国人の手記として、まず部屋の賃貸契約をした際に不動産業者から「ゴミ分別の説明書」を受け取ったと紹介。
 「もし日本に来て実際に生活しなければ、日本人のゴミ分別の厳格さを理解することはできない」と説明、日本のゴミ分別の厳格さと面倒さは「人を激怒させるレベル」だと表現、「この厳格なゴミ分別こそが日本の清潔さを成立させている」という見方を示した。

 経験しなければ「日本のゴミ分別の厳格さを本当には理解することはできない」という記事の説明は、本心であり、心からの正直な感想なのだろう。
 中国のゴミ分別は一般的にはリサイクル可能なゴミ、生ゴミ、有害ゴミ、その他のゴミの4種だが、中国の人びとは実生活でこの4種さえ分別していないのが現状だ。

 中国の各マンションにはゴミ出しの場所が決められているが、その場所は24時間365日、どのようなゴミでも出して良いことになっている。こうした生活環境に慣れ親しんだ中国人が日本のゴミ分別を経験すれば、おそらくすべての人が「日本のゴミ分別の厳格さと面倒さは人を激怒させるレベル」と感じるに違いない。

 --ここまで--

 そもそも、ゴミ分別ができないようで、先進国と言えるか。
 中国人の奇妙なほどの自尊心をみてみよう。 

 --ここから--

 「古代においては中国が教師で、日本が教え子だった。改革開放以降は日本が教師で、中国が教え子となった」という言論を、中国国内でしばしば見かける。
 時間的に見れば、中国が「教師」だった期間が圧倒的に長い。
 そのせいもあってか、どうも中国は誰かにものを教わるよりも、誰かにものを教えたがる傾向にあるようだ。

 中国メディアは、中国の経済が急発展を遂げた今、日本は再び中国の「教え子」となるべきだとする記事を掲載。
 記事は、今の日本はバイオ科学分野などにおいて世界トップレベルの地位を持っているが、「総合的な国力や経済の実力から言えば、今の中国と日本はもはや同じ土俵には存在しないのである」と説明。
 国力や経済力において、中国が日本を大きく引き離していることを伝えた。

 そして、日本は先進国ではあるものの、そのGDPは今や中国に比べればはるかに少なく、中国が6.6%という2015年の経済成長率を今後も維持すれば「2020年には地球上にもう1つ日本のような国を作ることができるのだ」と説明。
 「これも、中国の領土、人口、資源が、日本に対して圧倒的な優位性を持っていることの表れである」とした。

 さらに、工業の発展状況ついても、工業総生産で比較すれば「中国はわずか4年で、やはりもう1つの日本を作ることができる」と指摘。
 「それでもなお、誰が『中国は日本にかなわない』など言うというのか」と主張した。

 また、日本の科学技術は中国より優れていると潜在的に認識している人が多いとする一方で、「事実は決してそうではない」とし、中国が科学技術分野の総生産額で数年前に日本を抜き、世界トップレベルの科学系学術誌における14年の「影響力のある文章掲載ランキング」で米国に次いで2番目に入ったと説明している。

 記事は最後に、「世界に変化が起き、時は流れた。以前は中国が日本に学ぶべきだと言えたが、今は中国が日本の教師になる資格を完全に持っている。双方のポジションの交代は必然であり、将来日中間の差はますます大きくなるだろう」と結んでいる。
 これだけ広大な国土と膨大な人口、そして、豊富な資源を持ちながら、今になってようやくそれに見合った経済規模に近づいた中国。
 当然と言えば当然の経済規模、生産高から、日本に一体何を教えてくれるのだろうか。

 これからの日中関係は、どちらか一方が他方を教えるのではなく、互いに良いところを学び合う関係になるはずだ。
 そんな中、「完全に日本の教師になる資格がある」と豪語するばかりで、相手から学ぶ謙虚さを忘れてしまえば、残念ながら中国の繁栄は長続きしないだろう。

 --ここまで--

 中国人ってやつは、対日本人・対日本だとトチ狂うのだな。
 奇妙なほどの劣等感と特有の中華思想がないまぜとなり、平常心を失うようだ。
 
 中国人って、1980年代始めの改革開放政策を始めて、40年にもなっていないではないか。
 日本は、産業革命から計算すれば中国より100年先行している。
 それが、35年くらいで追い越したのどうの—なんて、身の程知らずだろう。

 中国人の知的正直への軽視、中華思想というものは、中国人の宿痾だな。
 これは、ノーベル賞まで届くには遠いなぁ。