2016年11月8日火曜日

全て学校の責任とは行き過ぎで控訴すると宮城県知事

知事の曰くは、正論だと思える。
 すべて、大川小学校のa先生が、b先生が判断ミスをしたのだ—という判決は、「酷すぎる」と思える。
 迫りくる時間、限られた情報のみで、混乱の最中に判断することを、後から混乱が収まり冷静な判断ができる者から、簡単に断じていいのか。

 以下、新聞から抜粋。

 日本大震災で犠牲になった石巻市大川小の児童23人の19遺族が起こした損害賠償請求訴訟で、仙台地裁判決を不服として市とともに控訴した宮城県の村井嘉浩知事は、直後の記者会見で「全てを学校の責任にするのは行き過ぎだ」と繰り返した。

 村井知事は、「津波は予見できた」「教員の避難先の選定に誤りがあった」と認定した判決について、「教員も11人中10人が亡くなった。ベストと思う選択をした結果、あのような事態になった」と反論。
 学校裏山への避難については、「当時はみぞれで滑りやすく高齢者も学校に避難していた。教員、行政は全員を安全な場所に避難させなければならず、短時間で判断するのは無理があった」との考えを示した。
 行政や学校の管理責任を巡っては、「教員の判断は地域住民の意見も聞いた結果で、一方的に非があるというのは問題」と指摘。
 「話し合いは平行線をたどっており、高裁で判断を仰ぎたい」と強調。

 遺族に対しては「亡くなった子どもの親が全員裁判を起こしているわけではなく、耐えている人もいる。裁判すると決めた以上、互いが争うのは法治国家ではやむを得ない」と話した。

補足、感想など

 筆者は、知事の曰くでいい-と思う。
 混乱の真っ只中で判断したことを、混乱が収まり冷静な判断ができる状態で、一方的に断ずることには、いかにも不公平というか、誰ならば先生方を責めることができるのか—と感じる。

 大川小学校の先生方はスーパーマンではない。通常の能力で、超人的な判断力を示せるものか—と思う。

 ぜひ、高裁で争って頂きたい。