2019年12月26日木曜日

それは、evenki族という民族が自決した「民族としての個性」だ。日本人がどうこう思うことではない


いや、日本人の記者が韓国人がどうたらすることで、「絶望」だとか記事で書いていたものだから。
 表題のごとく、合理性<<<<感情という言動を取るということは、民族として「自分達の責任」で選択したことであり、それは「民族としの個性」なのだ。
 民族自決の結果であり、その自決の結果が、幸とでるのか不幸としてでるのかは分からないとしても、その民族が「選択」したことだ。放置しておけばいいことだ。

 比較すれば、アフガニスタンという民族は、「文明化は善なのか」と、文明化という「水」を飲まないと「民族自決」した民族なのだ。
 だから。
 文明化という水を飲まないという自決をし、それが「民族としての個性」として顕在化したものなのだ。
 文明人は、かれらが文明化という水を飲みたくなるまで放置しておくしかない。

 朝鮮半島のevenki族も同じだ。
 合理性<<<<感情という世界ではスタンダードではない異星人語をしゃべるつづける民族で、不合理性を尊ぶという「民族としての個性」を発揮している。

 世界で通用しない異星人語をしゃべることで、他者・他国と意思疎通も困難であろう。
 それらを原因として、日本を含む他国から嫌悪されている。

 -ここから-

在日が優越感を持ってるというのは違う気がするぞ。 単なる劣等感の裏返しだけだろ。
優越感があるならもっと心のゆとりが生まれるはず。 やつらの心は貧しすぎる。
朝鮮民族が反日教育を捨て、正しい歴史を教えるようになれば、まともな民族になり世界から袋叩きされなくてもすむのにな。 全くバカな政策をしてるよ。

もう一つは、両班、白丁、キーセン文化を壊すことだよ。両班が財閥を生み白丁との間の格差が大きすぎる。
キーセン文化のせいなのか知らないが世界中で性犯罪を犯してることは正しく認識すべき。 女性差別がおかしい。

 -ここまで-

 で。
 表題の記事を抜粋。

 20191224

 日韓関係が「最悪」といわれるさなか、韓国・京畿道高陽市で11月下旬、「日韓市民100人未来対話」が開かれた。日韓50人ずつが腹を割って話し合い、今後、共同プロジェクトに取り組むことを確認した。
 対話は2017年に始まり、今年で3回目。韓国国際交流財団(KF)やソウル大学日本研究所、早稲田大学韓国学研究所が主催し、両国から様々な職業や年代の人が参加してきた。

 今年は他の民間交流の中止が相次ぐなか、日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)がぎりぎりで維持された直後に、予定通り開かれた。KFのイ・グァンチョルさん(50)は「政府間の対話が難しい時こそ市民同士で議論を続けることが重要」と語った。
 韓国・釜山市内の高校で日本語を教えるチェ・アルミさん(32)は「お互い、文化にはいいイメージがある。もっと好きになるエネルギーもあるのに、政治に左右されて交流しないのは非常に残念」と参加した。

 日本に留学した時に「韓国は嫌い」と耳にした。日本語を学ぶ釜山の高校生が、留学や日本製品の購入をためらう現実もある。「一日でも早く、仲良くなったらいいな」と話した。
 対話は泊まり込みで3日間。最も白熱したのは2日目の八つの「分科会」だった。コの字形に座り、市民の平和連帯や災害対応、草の根交流といったテーマで話し合った。
 災害対応の分科会では、一般社団法人「ピースボート災害支援センター」の小林深吾さん(39)が「災害は私たちを被災者にも支援者にもする。だからこそ、地域だけでなく国境をも越えた支援の枠組み作りを」と呼びかけた。小林さんは東日本大震災後、宮城県石巻市などで支援活動を担ってきた。韓国側からは「被災者のニーズをどう把握するのか」などと質問が相次いだ。

 KFは参加者有志から共同プロジェクトを募り、最高約100万円を助成する。成果は来年日本で開く4回目の対話で発表してもらう。小林さんは、日韓の市民が共同で被災地を支援したり、防災・減災プログラムを作ったりするプロジェクトを進める考えだ。
 初回から関わるソウル大学のナム・キジョン教授(55)は「活発に意見が出て、3回目にして随分と対話が進化した。アイデアを具体化し、実際にできる活動を考えたい」と話す。
 ソウルの大学に留学経験がある慶応義塾大学4年の清水真帆さん(22)は、年1回の対話だけでなく、日常的なやりとりが大事だと考えている。「SNSで互いの悩みや好きなことを共有したら、その時点でもう『交流』じゃないかな」

 最終日は100人で総合討論をした。小説家のイ・ジンさん(37)は「韓国にポジティブな考えを持つ日本の20代と出会えたことが印象的だった」と笑顔で振り返った。参加者の一人は「もう『最悪』という言葉を使うのはやめよう」と呼びかけていた。(三井新)

補足、感想など

 冒頭でふれた。
 合理性<<<<感情 という言動を取るというのは、韓国という「民族の個性」なのだ。
 不合理性を尊ぶということが、信奉されているのであろう。

 アフガニスタン人が、「文明化」することに価値を見いださないということと同じだ。
 それが、アフガニスタン人の「民族としての個性」だ。

 evenki族達が、合理性>>>感情 という言動の価値を発見・認識するまで、アフガニスタン人達が、「文明化」することの価値を発見し認識するまで放置しておくしかない。

 水を飲みたくない馬を、いくら水飲み場につれていっても水を飲みはしない。

 民族にはそれぞれ個性というものがあるのだ。
 進歩のスピードもそれぞれ違うのだ。

 ましてや、朝鮮半島に住むevenki族という民族は、やっと100年前に「普通教育」が普及し始めた民族なのだ。
 20世紀初めで識字率0.2%の民族なのだぞ。

 どんな民族にも個性がある。
 放置するしかない---という場合であろう。
 日本人は、朝鮮半島及び日本にいるevenki族達が、合理性>>>感情という言葉で話しかけてくれば、その時、反応すればいい。それまでは関わるまい。放置しておこう。