▲えっ、李克強首相が—か。
なるほど、習近平さんのあの顔ではなぁ。
改革が---とか言っても、他国の人間が信用はすまい。
李克強さんが、言うから、多少は信じてみるか—という感じになるのではないのかな。
以下、新聞から抜粋。
習近平政権が独自策定した中国の中期経済政策「第13次5カ年計画(2016~20年)」は、年平均6・5%以上の安定成長を続けながら、国有企業の統廃合や人員整理など、痛みの伴う構造改革も断行するという「新常態(ニューノーマル)」入りを宣言。
李克強首相は開幕式に読み上げた「政府活動報告」の中で、「改革」というキーワードを70回近く使った。
構造改革の過程では、石炭や鉄鋼など、過剰な生産や在庫の重圧で赤字続きにもかかわらず生き延びている「ゾンビ企業」で600万人もの失業者が出ることが予想される。
失業対策など社会保障が後手に回れば抗議デモが頻発、社会不安が増大する懸念がある。
改革を先送りすれば経済失速という決定的な事態を招きかねない。
中国共産党は、20年を目標年度として国内総生産と国民平均所得の「倍増計画」を打ち出している。
公約を果たさねば習政権の「正統性」まで問われる恐れもある。
しかし、構造改革で最大のヤマ場となる国有企業のリストラ策が、北京の中央政府からの命令ひとつで順調に進むとはかぎらない。
鉄鋼、石炭、ガラス、セメント、アルミニウムの5業種が「ゾンビ企業」の代表格。
リストラ計画をまとめる中で、地元の国有企業が標的になると、資金を支援しあっている周辺地場企業も共倒れになる懸念があり、地方政府は及び腰だ。
解雇などで生じる大量の失業者への社会保障が後手に回ると、真っ先に不満がぶつけられる先は地方政府だ。
構造改革の痛みに耐えるどころか、社会不安が一気に広がる懸念もある。
これに対し、財政省の予算案では、「過剰生産能力の解消に全ての責任を中央政府が負う」として、16年は500億元(約8750億円)を計上した。
構造改革の痛みをめぐって、「新常態」で攻めの姿勢の中央政府と“旧態依然”で抵抗する地方政府の対立が表面化する場面も予想される。
李氏は、「『中所得国のわな』を克服する重要な5年間だ」と指摘した。
周辺国へのインフラ輸出や国内の個人消費拡大が次なる成長戦略だが、「わな」に陥らない保証はなく、前途は多難だ。
▲補足、感想など
このブログでなんどもふれた。
経済の根底にあるのは、信用だ。
経済がうまくいかないのは、中国という国が、中国人という民族が信用を失っているからだ。
改革がどうたら—よりも、小さな信用を積み上げる方が大切なのではないのか。
中国人に信用を求めるというのは、木によって魚を求める--てな話かな。
さて、あぶない、あぶない—と言われながらもまだ崩壊しないのはなぜなんだ?--という記事があった。
ご紹介したい。
--ここから--
日本では、中国経済崩壊論を唱える論者が少なくない。
だが、中国経済は崩壊していない。
中国政府は自国の経済システムを「社会主義市場経済」と定義。
社会主義と市場経済は水と油の関係にある。
そのなかで中国経済は成長を続けてきた。
2010年までの30年間で中国経済は年平均10%も成長し、2010年にその経済規模は日本を追い抜いて世界第2位となった。
「中国経済は順調に発展していない」と言う論者もいる。中国のマクロ経済統計が信用できないというのだ。
しかし時系列でみた場合、中国経済が発展していることは確か。もし中国経済が発展していなければ、主要国に対して中国経済の減速は影響を及ぼさないはずである。
国際社会が注意しなければならないのは、中国は規模が大きいため、周辺諸国に及ぼす影響はその実力以上に大きいということ。
中国の経済発展が挫折した場合の影響も大きい。
中国経済と世界経済の相互依存関係は、
国際貿易と国際投資を通じて強化されている。
中国経済の減速は世界経済の発展を押し下げていく可能性が大きい。
ただし、中国は経済の強国ではない。
中国は「世界の工場」の役割を果たしているが、
「メイドインチャイナ」は決してブランドにはなっていない。
中国発のオリジナルの科学技術はほとんどないし、ノーベル賞を受賞した科学者は1人のみである。
では、なぜ中国は脅威とみなされるのか。
一党独裁の政治においては、政府は資源を動員する強い権限を持っている。
したがって、
国中の資源を動員して、例えば宇宙開発やミサイル開発に注ぎ込むことができる。
その一分野のみ考えれば脅威とみなされても不思議ではない。
だが、一国の国力をみる際は、総合的国力を測るべきである。
今、中国国内では「総合的国力」
に関する議論が盛んになっている。中国の総合的国力をみると、ぎりぎり中進国といえる程度。
中国経済の不合理性と非効率性は明白。だが、なぜ中国経済は崩壊しないのだろうか。
今の中国経済はいわば「メタボリックシンドローム」の状態にある。
安い人件費と割安の為替レートを頼りにキャッチアップしてきた
中国経済は、政府の財政出動によりその規模が年々拡大している。
また、中国で盛んな製造業は「外包」と呼ばれるアウトソーシングだ。
最近の製造業はモジュール化し、企画・開発・設計を手掛ける
企業は自ら製造工場を構える必要がない。
例えばアップルはiPhoneを設計するが、製造のほとんどはアウトソーシングしている。
キーコンポーネントと呼ばれるハイテク部品は日本企業に製造を委託し、組み立ては中国の企業に行わせる。アップルはパテントなどの知財権を握り、
売上の68%を得ると言われている。
対して、中国企業は1台のiPhoneを製造して売上の6%しかもらえない。
結局のところ、中国はいまだに低付加価値製造業の規模を拡大させているということ。
こうした構造が一旦できてしまう
とストップさせるのは難しい。
なぜなら、低付加価値の製造業ほど多くの労働者を雇用しているからだ。
これらの工場を閉鎖すると、
失業が深刻化し、社会不安が高まる。だから政府は工場や企業の閉鎖について慎重な姿勢を崩さない。
逆の見方をすれば、こうしたゾンビ企業は政府を虜にしているのである。
口先だけで行われない「改革」
ここ十数年、中国政府は改革を先送りしてきた。
毎年の政府活動報告では、「穏やかな成長を続けている」という表現が繰り返されている。
今までの経済成長は朱鎔基元首相が進めた改革の結果と言えるが、
その恩恵はすでになくなりつつある。
李克強首相は就任当初、「人口ボーナスこそなくなるが、これからは“改革ボーナス”
が経済成長を牽引する」と豪語した。
しかし、改革らしい改革はなされていない。
政府、企業、家計のバランスシートをみると支出のほうが多く、蓄積される富が急減している。
地方政府は中央政府が進めた経済政策に呼応するために、巨額の債務を借り入れた。
これらの有利子負債の返済は延滞し、
国有銀行の不良債権となっている。
しかし、国有銀行は地方政府の債務を取り立てることができない。これは政策的不良債権である。
地方政府が破綻処理されることは考えにくいが、国有銀行は不良債権を処理することになる。結局、そのコストを払うのは納税者か預金者のいずれかである。
中国が民主主義の国であれば、とっくに経済危機に突入している。
民主主義の国において政策運営の失敗は、
まずその責任が追及されてから問題の処理に着手する。
一方、社会主義の国においては、責任を追及する前に問題を処理してしまう。
処理の際は往々にして一部の者の利益を犠牲にする。
大部分の人にとっては、自分とは関係ないので無関心である。
結果的に経済危機が起きにくい体質ができてしまっている。
中国政治においてもっとも重要とされる言葉は「国益」である。
それを示す言葉として、
「大河没水、小河干」(大河に水がなければ、支流の小河は乾いてしまう)だ。
本当はこの表現は自然に反している。
自然界においては、支流の小河から大河に水が流れ込む。
したがって、大河よりも小河のほうが
重要である。
中国では、国益に反する者は売国奴と罵られる。
これは恐ろしい罪と言えるかもしれない。
国益のために犠牲になった子ども
は「光栄なことだ」とも教えられる。だが子どもの幸福を犠牲にする国に国益など存在すまい。
中国は、まず社会の根本的な価値観を明らかにし、国民の間で共有できるようにすべき。
--ここまで--
中国は、西欧のユダヤ人達から1100兆円(日本円で)ぐらいを借りていたのかな。
昨夏の中国株式の暴落の際、どっと外貨を溶かしてしまった。
借金取りに追われながらも、せっせと地道に稼ぐしか「手段」はあるまい。
1990年代の日本がそうだった。
改革がどうたら言うより、小さな信用を積み重ね、ボチボチ地道に稼ぐということを考えるしかあるまい—と思えるが。
中国人に向かって「地道に稼げよ」とか言うのも、木によって魚を求める—て話なのかなぁ。