▲表題は、高名な本読みのセリフをぱくったものだ。
いや、何かというと、3日で1冊の本を読むとして、年間120冊、10年で1200冊、後20年生きることができても2400冊しか読めないのだな—とふと思ったからだ。
読まずに死ねるか—ではなくて、2400冊読んだら死んでしまうのだな。
こりゃ、と思う。
余りにしょうもない本など読んではおれないな。
しょうもない—といえば、イギリス人記者の書いた記事の内容がひどくて、けっ、なんだこれは--と思った。
これだから、イギリスという国の経済は低迷するのだ。まともな車もまともなコンピュータも作れないのだ--。
以下、新聞から抜粋。
ユニークな日本の見方が詰まった「新『ニッポン社会』入門」を刊行した英国人ジャーナリストのコリン・ジョイスさん
「我慢しなきゃって、なんか変」
「デーリー・テレグラフ」の元東京特派員、コリン・ジョイスさんは、日本で暮らした経験を生かし、日本論を発表してきた。
新著「新『ニッポン社会』入門 英国人、日本で再び発見する」には、日本人が読んで「はっ」と気付かされるような警句があふれる。
その中で次の一文を推す。《あなたがたはどうして辛抱強いのですか?》
「あなたがた」とは、日本人のこと。
コリンさんに、「ぼくらは我慢強く見えるんでしょうか」と。
「日本は貧乏な国じゃないのに、なぜ、多くの人が耐えるんですか?
アフリカの国々では、水くみに1時間や2時間かけて行く。耐えなきゃいけない。
楽しいことはいっぱいあるのに、みんなが『がんばらなきゃ』『我慢しなきゃ』って。変でしょ?」
耐えなければいけないことは、もちろんある。
例えば、会社では上司の指示、家庭では妻の小言…。
サラリーマンが買いたいものをこらえることだって、辛抱だろう。
満員電車に耐えることは、会社や役所務めをしていれば、どうしようもないこと。
改めて素朴な疑問を投げかけられると、日本人の「辛抱強い」ことが、「おかしなこと」にも思えてくる。
「自分が他人に比べて、『特別我慢しているわけじゃない』って思っている。だから、聞いても『これぐらいは、我慢のうちに入らない』って言われる。
日本人はよく『これは仕方ない』って言う。どうかなと思うんだよね」
本書をひもとくと、この日本人への考察が、見聞きした具体例を挙げてつづられている。
《日本で経験したカルチャーショックは、労働時間についての話》とし、コリンさんはこう書く。
《日本に住みはじめた年、社長のアシスタント兼秘書になるという若い男性と知り合った。しかし彼の婚約者は、彼と会えなくなったために婚約を解消した。
男性は、仕事から帰るのが真夜中で、週末にも会社に行くことが多いようだった》
日本のサラリーマンの残業は日常の光景だ。日本人の異質さを、このエピソードで裏付けることは強引だと感じる読者もいるだろう。
そこで、コリンさんはこうも書く。
《国民の祝日を週末を三連休にするという案について議論が巻き起こった。ぼくは議論が起こること自体、信じられなかった。
休みをとることに反対すべき理由が、どこにあるというのだろう。
ぼくは、サラリーマンがその案に反対だと言ったのを覚えている。
休みは増えても、仕事の量が減るわけではない。「逆に日々の仕事がきつくなる」と考えた人は少なくないだろう。
さらにコリンさんは次のように続ける。
《驚いたのは、週末を三連休にする案を支持する理由がみんなが今よりお金を使うようになって経済が刺激されるかもというものだったことだ。三連休にする案は、人々が少しでもリラックスするために推進されたわけではなかった》
こう指摘されると、「おかしなこと」に感じてきた。
そして、次の一文に深く考えさせられた。
《今の世界で最も大きな『文化の衝突』は、勤勉であること自体に価値があると考える人たちと、そうではない人たちの対立だと、思っている》
「人生を楽しむ人が見つからない」
コリンさんはロンドン出身で、オックスフォード大卒。来日し、英語教師などを経て、「ニューズウィーク日本版」の記者に。
ニューズウィークの記者時代に、「ダウンシフティング」(ゆとりのある人生を楽しむという姿勢)というコンセプトの記事を書こうとした。
冬にTシャツは御法度だ
9年前の「『ニッポン社会』入門」でも、日本の姿が提示された。
例えば、四季に関する話だ。
《気温は二〇度、日差しもたっぷりだ。Tシャツ一枚で外出してはいけない。もしもそんなことをしたら、まわりから一日中言われつづける。『だって今は冬なんだよ!』日本では天気に合った」服より、『季節に合った』服を着なくてはいけない》
つまり、《日本人は今がどういう季節かを重視しがちだ》という。
「日本のことが、もっと愛しくなる」
本書はコリンさんの体験から成り立っている。日本各地での出来事、習慣、日本語のおもしろさ、多様な日本文化、そして日本社会の雑学…。
「その国に住んでいる人には、その国のシステムの形が見えない。しかし、外国人には逆に見えるもの。日本人自身がそこに気付くと、もっと生活がおもしろくなる」
目についた中国人
年に1度は日本に来て長期滞在するという。近年、日本で目につくのが中国人の存在だ。
コリンさんが約1年前、福島県会津若松市や長野市を訪れたときにも、中国人の観光客を見た。「東京、大阪、京都ぐらいだと思っていたけど、メーンの観光地じゃないところにも来てるんだと思った。「日本の文化にも興味を持って、帰ってほしいね」
▲補足、感想など
なんだ、この記事は。
しょうもない文章だ。
う~ん、どのあたりから。
汝に休息無し---とは褒め言葉だ。
能力があるから、暇がないのだ。誰からも求められるから---。
暇があるのは、能力がないからだ。
このコリンとかいう人のように。
英国では上流階級に属している人なのだろうな。まぁ、エリートなのであろう。
教育も無ければ、働く意欲もない下流階級の人達を教え導く---上流階級のエリートとは、そういう役目を負っている人であろう。
戦争となれば、一番前にいて雄々しく戦うという—そういう役目を負っている人であろう。
そういう人が、記事にあるように「暇」なのか?
そこがおかしいだろう。
つまり、エリートがエリートとしての働きをしていない—ということを意味している。
軍隊で指揮官の役目をするべき人が、指揮官の役目を果たし得ていないのだ。
だから。
冒頭でふれた。
英国の経済というものが、低迷し、まともな自動車も、もともなコンピュータもつくれないのだ。
英国のエリート教育というものが失敗している証拠だ。
その割に、階級社会というものが牢固として揺らぎもしていない。
このことこそ、イギリスという国を不活性化し、低迷させている病巣ではないのか。