2017年4月16日日曜日

愛情不足を訴える「魔物」が棲みつく。DV

いや、妙な表題となった。
 DVを扱った記事を見ながら、心に魔物が棲み着かないように注意しなければ—と感じた。

 DVって、親から子どもに引き継がれていく。
 遺伝という訳ではないが、親がしていることを見て、子どもが育つということだ。
 そこにあるのは、どれほど愛情を示しても、愛情不足を感じてしまうという魔物の存在だ。

 以下、新聞から抜粋。

 11万1630件。2015年4月からの1年間で、配偶者暴力相談支援センターに寄せられた相談件数だ。
 年々増加し、DVは人ごとと切り捨てられない。
 東京にあるビルの一室に男たちが集まってきた。
 彼らに共通する点は、ごく普通の人に見えるのに、皆、妻に暴力を振るった経験があるということ。  DV加害者向け教育プログラム「アウェア」に参加するため集まる。

 2015年に内閣府が発表した「男女間における暴力に関する調査報告書」によると、約4人に1人の女性がDVを受けた経験があり、約10人に1人は何度も被害を受けているという。
 2001年にはDV防止法が施行され、身体的だけでなく精神的・性的・経済的暴力なども罰則の対象となった。
 アウェアが活動を始めて15年、700人以上の男性がそのドアを叩いてきた。

 セッションでは参加者が輪になり、1週間の「ふり返り」を共有する。
 妻に対して暴力的になったときのエピソードを発表する。
 その後、DVの事例を紹介するなど教材を用いて終わる。
 平均すると2年9ヵ月、長い人では7、8年かけてDV体質を克服していく。

 アウェアに通う赤林さん(42歳・会社員)は、妻から「アウェアに通うか、離婚するか」迫られ参加。
 赤林さんは、まじめな性格。物静かに話す様子からも、暴力を振るう姿など想像つかない。
 初めての暴力は、同棲を始めて1年たった頃、妻と友人をサーキットに出かけたとき。
 スピードを出しすぎていた赤林さんに、妻が「ちょっと怖い」と告げると、クルマを降りるなり「友達の前でオレに恥をかかせるな」と妻をボコボコに殴った。
 しばらくして赤林さんは「そんなつもりじゃなかった」と謝ったという。

 以降、赤林さんのDVは頻発した。
 世帯収入が激減したことを心配すると、「そんな心配するから病気になんてなるんだ」と殴った。
 冷たい布団に入って「寒いね」と妻が言っただけでヘルメットを投げつけた。
 しかし、赤林さんはDVの詳細を覚えていない。
 毎回DVをした直後は「またやっちゃった」という反省もあり、涙を流して謝罪したり、優しく接する。
 育った家庭環境の影響もあるようだ。
 DV被害に遭いやすい女性は「まじめ、面倒見がいい、責任感が強い、負けず嫌いな人」で、「女はこうあるべき」という意識が強く、夫から理不尽なことを言われると逆に、がんばってしまう。
 一方、赤林さんの父親は、家族で食事をするときも“不機嫌オーラ”を出し続ける人だった。
 駐車場で父が母を殴っていた情景が鮮明に残っている。
 そして、気がつくと、「絶対にこうなりたくない」と思っていた父親の姿に自分が重なっていた、と。
 妻が自分の期待に沿わないと、毎回爆発する。台所に立つのは母や嫁、妻は夫を立てるのが仕事――。
 加害男性の60~70%は、親のDVを見て育ったという。

 アウェアに通うことで身体的暴力はなくなったが、今でも気に入らないことがあると言葉や態度が荒くなり、物を投げてしまうことがある。
 
補足、感想など

 なにか、この記事、要点をぼかしたというか、わざと核心をそらしたような記事だと思う。
 DVという現象が発生するのは、その家族の一員におかしいというか、クソのような人間がいたということだ。

 記事では、父親が母親を殴ったとなっているが、子ども(自分のこと)も殴ったのだろう。
 こういう環境に育つと、他者からの愛情というものを信じられなくなるのだ。
 つまり、他者かの愛情不足を感じ、他者からの愛情表現というものに不信を抱くのだ。
 そういう「魔物」が心に棲みついてしまう。

 だから。
 こちら側からいかなる愛情表現があったとしても、DVの本人は、愛情たとは信じられない →愛情不足を感じる → DVという結果となるのだ。

 いつも「愛情不足」を訴える魔物が心に棲みついている人間というものは悲惨だ。
 妻を殴り、子どもを殴り—記事にあるように、結果として子どももそうなる可能性が高い。
 ちょっとした他者からの言動に、愛情不足を感じてしまい、体が反応するのだ。
 どうすれば、他者の仕種から愛情というものを信じられるのか—筆者には分からない。

 記事では3年くらいで、DV自体は治まるようだが、本質的に他者からの愛情を信じられるようになったのかどうかは不明だ。
 治癒の難しい病気?だけに、12才くらいまでの子どもの環境がいかに大事か—ということがもっと世間で理解されるべきことだと思われる。