2020年11月25日水曜日

京都に紅葉狩りに行った

 

紅葉狩り(もみじがり)という言葉が古風ではある。<しかし、今年は、忘年会もないし、第九もない、三密を避けろとばかりに愛想もない秋→冬ではある>

 ちょいと、曰くをみてみよう。

 -ここから-

現代のように紅葉狩りが世間一般に広まったのは江戸時代中期のころ。このころ、伊勢神宮へお参りする伊勢講や熊野詣などの影響で庶民の間で旅行が流行しました。

この旅行ブームの火付け役となったのが「都名勝図会」など名所を案内する本です。これらのガイドブックに紅葉の名所を紹介したところ、たちまちそこに人が押し寄せました。

また紅葉の木の下に幕を張り、お弁当やお酒を持ち込んでワイワイ盛り上がったともされています。

このような紅葉の楽しみ方は現代の花見などの行事と一緒で、江戸時代の紅葉狩りは宗教観など関係なく、ただ純粋に紅葉を楽しむという概念がありました。

「狩り」とは本来、獣を捕まえる意味で使われていましたが、それが小さい動物や野鳥を捕まえるという意味に広がり、さらに果物などを「採る」という意味でも使われるようになりました。

現代でも「イチゴ狩り」「ブドウ狩り」という言葉があるように、「狩り」は獣や動物などを狩るというだけの意味ではありません。

「狩り」は紅葉や草花を眺めるという意味でも使われるようになり、現代に至っています。古語辞典にも「狩り」は「求めてとったり、鑑賞したりすること」と記載されていまず。

「狩り」が紅葉や草花を愛でる意味になったのは、狩猟をしない貴族が現れたのが由来とされています。平安時代は身近な環境に紅葉がなかったため、紅葉を楽しむ場合は山や渓谷に足を運ぶ必要がありました。しかし、当時の貴族にとって歩くことは「下品な行為」とされていたため、紅葉を見に出かけることを「狩り」に見立てるようになったとされています。

現在の紅葉狩りは単に紅葉を眺めるだけですが、平安時代の貴族たちは紅葉を求めて山や渓谷へ足を運び、真っ赤に染まったもみじの木を手折り、実際に手に取って鑑賞していたといわれています。

 -ここまで-

 京都の紅葉も、日々の寒暖差とか木々の個性というようなもので、一律には色づかない。

 もう一つという場所もあった。

 しかし、コロナ騒動とか外国人が少ない(なぜか中国語が聞こえたが--)せいで、それほど、混雑もしていなかった。

 紅葉を巡って、千年も前の和歌をみてみよう。

 -ここから-

97「見る人も なくて散りぬる 奥山の 紅葉は夜の 錦なりけり」(紀貫之)


拾遺511「春はただ 花のひとへに 咲くばかり もののあはれは 秋ぞまされる」(よみ人しらず)


258「秋の夜の 露をは露と 置きながら 雁の涙や 野辺を染むらむ」(壬生忠岑)


259「秋の露 いろいろごとに 置けばこそ 山の木の葉の 千草なるらめ」(よみ人しらず)


260「白露も 時雨もいたく もる山は 下葉残らす 色づきにけり」(紀貫之)


281「佐保山の ははそのもみぢ 散りぬべみ 夜さへ見よと てらす月影」(よみ人しらず)


289「秋の月 山辺さやかに 照らせるは 落つるもみぢの 数を見よとか」(よみ人しらず)


538「松に這う まさの葉かずら 散りにけり と山の秋は 風すさぶらん」(西行)


 -ここまで-

 西行の歌は、風のすさぶ中を一人で赤や黄色に色づいた深山の中を歩いている—その様が見えるようだ。(小林秀雄さんの本だったか、西行は、自分で作った和歌を繰り返し、くちづさみながら、山野を歩いていた筈とかの文章をよんだような記憶がある)

 最後に適当な画像を貼っておこう。