2012年11月13日火曜日

本田宗一郎が生きていたならなぁ。


▲ホンダジェットの量産が開始されたようだ。
もう、4-5年も前かなぁ。
ホンダがジェット飛行機を造ると発表すると、当日に100機くらいの注文が入ったと記憶する。
それが、とうとう量産までこぎつけた。
本田宗一郎が生きていたならなぁ。どれだけ喜んだことか。
昭和30年代か40年代だったかな。
フランスになんだっけダッソーとかいうバイクと飛行機とを両方造っている会社があって、そこに見学にいき、随分羨ましがったそうだ。
その頃からの「夢」だからな。
以下、新聞から抜粋。

アメリカで“空飛ぶシビック”の量産1号機の生産が開始された。
空飛ぶシビックとは、ホンダの航空機事業子会社ホンダエアクラフトカンパニーの HondaJet」のこと。
すでに量産ラインに主要部品が納入され機体の最終組み立て段階 だという。
HondaJetは、快適さと燃費の良さを追求した小型ビジネスジェット。
低燃費、低価格でアメリカ自動車業界に衝撃を与えたシビックのような機体を目指し設計された。
主翼上面にエンジンを取り付けたデザインが特徴で、これによって速度と燃費性能を向上。
搭載されたエンジン「HF120」は、自動車用ターボエンジンのノウハウを生かして自社で製造されている。
最大巡航速度は約778km/hで最大運用高度は約13000m
一般旅客機と比べても遜色ない飛行性能を達成している。
HondaJet200312月にアメリカにて初飛行。
量産型機体は201012月に初飛行に成功している。
201210月には米国アリゾナ州にて高温環境下での飛行試験を実施し、燃料システムの動作や推進系補機の冷却性能などを実証した。
現在は量産ラインを整備、拡張しつつ米国連邦航空局と欧州航空安全局の型式認定に向けた試験を行っている。
ホンダエアクラフトカンパニーは、カナダの航空機総合サービス会社 スカイサービスビジネスアビエーションと提携し、カナダにおけるHondaJetの販売と サービスを強化。
さらに、北米と欧州では、すでに9社のHondaJetディーラーがあり、 HondaJetの受注を行うと同時に各種サービスの準備を進めている。
受注自体は2006年から開始され、年間100機の生産予定機数だったが、それを上回る受注を獲得しているという。


▲補足、感想など
日本の飛行機製造業は、戦後、長い間アメリカから執拗に邪魔されつづけてきた。
21世紀に入った頃から、やっとアメリカからの妨害工作も弱まり、こうしてホンダ、三菱と進出しはじめた。
三菱は先の大戦の時にゼロ戦を作った会社であり、歴史と技術の蓄積のある会社だ。
ホンダは、戦後の会社であるが、冒頭でもふれたように本田宗一郎はいつかは飛行機をと狙っていたはず。
今でこそ、漫画なんて「萌マンガ」ばかりであるが、昭和30年代という筆者の育った年代は、「戦闘機マンガ」が多かった。
紫電改なんて思いだしてもワクワクするな。<ついでながら、改というのは、改良の意味。紫電という戦闘機の改良版という意味>
長い長い間の「夢」がひとつ叶えられたそんな気がする。