▲表題は中国人の言いである。
いや、上のような文章があって、中国人が日本人の口癖のような「かわいい」を批評している。
当たっているとも思うし、ピントが外れているとも思う。
まず、その文章を抜粋。
日本語の「かわいい」は漢字で書くと「可愛い」で、中国語でも「可愛」となる。
語源は中国語ということになるが、中国では女性しかこの言葉を使わない。
対し、日本では老若男女が口癖のように「かわいい」を連発している。
何事も真面目な日本人は「かわいい」研究にも余念がない。
明治大学の教授は著書「『かわいい』論」で日本人の美意識は11世紀の「もののあわれ」、
13世紀の「幽玄」、16世紀の「わび」、18世紀の「いき」と続いており、この「かわいい」も21世紀の日本の「美学」と言えるかもしれない、と。
だが、幼い子どもや小さい物などを見て、思わず「かわいい」と言ってしまうのは分かるのだが、日本人の「かわいい」は少々度を越しているような気がする。
警察のPRポスターが「かわいい」だと真剣みに欠ける気がするし、30歳を超えた女性が舌足らずな「かわいい」声で話しているのを聞くと鳥肌が立ってくる。
上司の出っ張った腹を見ても「かわいい」、気持ち悪いものは「きもかわいい」、ブサイクなものは「ブサかわいい」と、どんどん変質している。
日本人はなぜこれほどまでに「かわいい」を連発するのか。
それは目の前の人や物に対し、褒めようがなくて困った時に使える便利な言葉なのだ。
とっさに何といえば分からない時、「かわいい」と言って何となくその場を丸く収める。
その一方で、日本人は幼稚なものを「かわいい」と形容し、複雑なものを嫌うようになった。
「おバカ」が個性的だともてはやされるようになれば、
学習力が低下するのは当たり前。
社会全体の責任感が薄れ、ひきこもりの状態に陥っていく。
今の日本社会は活気がなく停滞しきっており、
ゆっくりと落ちぶれていっているように感じる。
「かわいい」は諸刃の剣だ。
人付き合いを円滑に運ぶ便利な道具だが、日本社会にもたらす副作用も徐々に露呈し始めている。
マッカーサーの見る目は鋭かった。彼は早くも1960~70年代に日本人の本質を見抜いている。
「日本人はみな12歳の国民だ」と言っていたのだ。
▲補足、感想など
中国人の「上から目線」ってやつは、変わらないなぁ。
どうしても尊大ぐせ、ふんぞりかえらずにはおられない—のだな。
中国語という欠陥言語を使っている民族から、なんだっけ、日本人の「学習力が低下云々」などと聞きたくもない。
自らの言語が「欠陥言語」だということをまず認めよ。あんな言語で、科学が発達するわけがあるまい。
いや、話がとんでもないところへいった。
かわいい—か。
まぁ、意味の広い言葉ではある。
しかし、中国人が指摘しているような「褒め言葉」でもない。
なんというか、「愛着の程度を表す」、「自分と他者との距離をちかづける」—そんな言葉ではあるまいか。
筆者は、鉢植えにした植物を育てている。
この夏は、暑さで管理が大変だった。
朝晩の水撒きで、やっと生命を永らえた—という気持ちがする。
かわいい—と表現するにはいささか、アレだが、この夏をともに乗り切ったということで、愛着のある「かわいい」植木達だ。
この表現っておかしいか。
そういえば、どこかでこんな言葉を聞いたなぁ。
とこかの水産大学で、チョウザメの子供を飼っている女子大生が、訪問者に対して「かわいいでしょう」とか言って紹介していた。
この感じだ。
日本人の他者への接近を助ける言葉だと理解すると「芯」に近いのかな。
日本人が仕事にのめり込み易いのは、この感覚なのだと思う。
上でふれた、植木鉢もかわいいし、チョウザメの子供もかわいいのだ。
大工にとってはカンナがかわいいし、pcだってかわいい。
かわいいねぇなど—といいながら、対象に近づくと、愛着が沸くし、近づき易いのだろう。
どうだろう。
記事の中国人には分からぬ、日本人の感覚だろう。