▲読売新聞の春秋というコラムの文章なのだが。
一読して、これは一体なんなんだ。
新聞などのマスコミに巣食う朝鮮系の記者等が、「ナチスというオドロオドロしい言葉」と麻生発言を結びつけて、「麻生おろし」を図ったが、日本の国民がそんな扇動に乗らず、麻生おろしに失敗した—といっているのか。
当たり前であろう。そんなこと。
新聞に巣食う朝鮮系の呼応集団の記者、論説委員などの言葉を「信用していない」--ということに決まっているではないか。
朝鮮系の記者の言葉を、いかに日本人が信用していないか—という確かな証拠だ。
以下、新聞から抜粋。
何を言いたかったのか、いまでもやっぱりわからない。
麻生太郎副総理兼財務相が講演で口にして騒ぎになった「ナチス」
うんぬんである。
憲法改正に絡めてナチス政権を引き合いに出し、「あの手口に学んだらどうかね」。
麻生さんはまさにこう語ったのだ。
▼「憲法改正は落ち着いた議論が必要。喧噪に紛れて進んでしまった悪しき例としてナチスをあげた」。
海外でも批判が
高まるやご本人はあわてて釈明して発言を撤回し、まわりも幕引きを急いだ。釈明を理解できぬでもないが、どうもチグハグだ。
だいたい「手口に学べ」とはこれいかに。なぞの言語感覚というほかない。
▼そのへんをもっと丁寧に説明してもらいたかったのだが、院の構成を決めるための国会は淡々とそれだけを終え、きのう閉会した。
野党の審議要求にも全然迫力なく、自民党としては逃げ切りセーフで大いに安堵したに違いない。
へたをすれば副総理がまた余計な
ことを口走りかねない……といった心配も吹き飛んだろう。
▼秋の臨時国会は10月中旬からという。
人の噂も七十五日、もうそのころはほとんど忘却のかなただろうか。
いや西洋には「驚きは
9日間しか続かない」ということわざもある。
これにならえば、問題発言が飛びだしてからすでに9日が過ぎたから安全圏入りかもしれない。
言葉軽き人の繰り出す、学びたくない手口である。
▲補足、感想など
学びたくない手口である。--か。
要するに。
単にこの春秋のコラム氏の頭が悪いだけだろう。
もう一度、麻生さんの講演の要旨を見てみよう。
日本が今置かれている国際情勢は、憲法ができたころとはまったく違う。
護憲と叫んで平和がくると思ったら大間違いだ。改憲の目的は国家の安定と安寧だ。
改憲は単なる手段だ。騒々しい中で決めてほしくない。
落ち着いて、われわれを取り巻く環境は何なのか、状況をよく見た世論の上に憲法改正は成し遂げられるべきだ。
そうしないと間違ったものになりかねない。
ドイツのヒトラーは、ワイマール憲法という当時ヨーロッパで最も進んだ憲法(の下)で出てきた。
憲法が良くてもそういったことはありうる。
憲法の話を狂騒の中でやってほしくない。
靖国神社の話にしても静かに参拝すべきだ。
国のために命を投げ出してくれた人に敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。
静かにお参りすればいい。何も戦争に負けた日だけに行くことはない。
「静かにやろうや」ということで、ワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。
誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか。
僕は民主主義を否定するつもりもまったくない。しかし、けん騒の中で決めないでほしい。
--ここまで--
手口ねぇ。まぁ、あまり適切な言葉とはいえないだろうな。
核心は、あきらかに、「ヒトラーの権力掌握方法に学べ」—と麻生さんはいっているのだ。
学べと書いたが、歴史の本を単純に眺めただけでは分からない、1920年代-1930年代のドイツ国民の「懊悩」のようなものを理解し、感じろ—ということだろうなぁ。
それを理解しなければ、「ナチズム」の勃興も理解できないよ—と言っているのだろう。
ドイツは、1914-1918年の第一次世界大戦の敗戦国であった。そのため、戦勝国側から、巨額な賠償金の支払いを求められていた。(余りに巨額で、とても支払えるような金額ではなかった。なお、この反省があって、二次大戦での賠償金の金額には考慮されている)
また、小政党が乱立して、議会制度というものにドイツ国民が絶望していた。
このタイミングで、1929年に「世界大恐慌」が襲ってきたのだ。
このどうにもならないような状況の中で、ドイツ国民の「懊悩」「鬱鬱たる思い」に対して、なんらかの解決策・展望が開けるような案をヒトラーのみが提示しえたのだろう。<ヒトラーの提示した案というか、言葉のどの部分にドイツ国民が反応したのか筆者には分からない>
これが、ワイマール憲法下の自由選挙を標榜する国家において、個人に権力を集中することのできた「秘策」--なんなら「手口」といおうか--なのだ。
今、日本は憲法を改正しようとしている。
ヒトラーの手口を真似るとするならば、「日本の国民が感じている懊悩を・鬱鬱たる思いを理解せよ」ということだろう。
そして、その懊悩を解決する方向性とかなんらかの手段を提示せよ。
そういう過程を通じて、憲法改正の意味を国民に理解してもらって、憲法改正に踏み切れ—ということであろう。
まぁ、以上、筆者が麻生さんの言わんとしたことを勝手に推定しているだけだが、まぁ、そう大きくは外れていまい。
どうだ。ナチスとかいう言葉を使って面白いか。
こうして振り返ってみると。
改めて、ヒトラーという人の「賢さ」が分かる。
ヒトラーという人は、科学的な思考というか推定のできる人だったのだな、と改めて感ずる。
まぁ、賢くなければ「総統」にはなれない。当たり前のことだ。
えっと、これのどこが変なのだ。
どこが、麻生さんが非難されなければならない箇所なんだ?