2013年6月11日火曜日

イージス艦あたご衝突事故 当直士官 二審でも無罪。

▲やっと、まともな裁判になったなぁ、と感じる。
 もう、事故から5年か。

 えっと、海難審判では「イージス艦あたご」に責任がある—となされたと記憶する。
 しかし、これは、潜水艦なだしおの事故を受けて、なにか自衛艦が責任を負うべきというような先入観の入ったような審判であった。

 裁判となって、自衛艦側、漁船側と公平な視点で「事故」を見ることができるようになった気がする。

 まず、新聞記事から抜粋。

 千葉県房総半島沖で2008年2月、海上自衛隊のイージス艦「あたご」と衝突した漁船 「清徳丸」の父子が死亡した事故で、業務上過失致死罪などに問われたあたご当直士官2人の控訴審判決が東京高裁であった。
 井上弘通裁判長は、あたごに回避義務がなかったとして、元水雷長の長岩友久(39)、元航海長の後瀉桂太郎(41)両被告を無罪とした一審横浜地裁判決を支持し、検察側控訴を棄却した。

 一審判決は、検察側が主張した漁船の航跡を「供述を恣意的に用いて特定した」 などと退け、独自に航跡を特定。
 控訴審では、一審が認定した漁船の航跡が合理的かどうかが争われた。
 井上裁判長は、一審が認定した航跡は、速度や衝突角度などの点から「合理性に疑問があ り、そのまま採用できない」と指摘した。
 
 その上で、一審が用いた航跡の特定手法に基づき、最も漁船の動きの変化が多い航跡での 過失の有無を検討。
 漁船が事故直前に右転するまで衝突の恐れはなく、あたごに回避義務 はなかったとした一審判決を追認した。


▲補足、感想など

 航跡か。
 まず、それよりも船の大小を比較してみよ。
 イージス艦と漁船だ。

 いわば、クジラとイルカという感じであろう。
 船は大きければ大きいほど、小回りがきかなくなる。まぁ、比較の問題ではあるが、敏捷性がなくなる—とでもいえばいいのか。

 クジラが今、直進しようとしたとき、右斜め前からイルカの群れが泳いできた—という状況を想定すれば、この衝突事故の真の姿をイメージすることができるような気がする。

 クジラは自分の大きさが分かっているから、イルカ群は、自分の後ろを通る筈と考え、そのまま直進した。
 ところが、イルカ群の中の一匹だけが、クジラの前を通ろうとしたのだ。

 同じ大きさなら、両方が大破だろうが、クジラとイルカだから、クジラには損傷がなく、イルカが大破して沈没したというものだ。

 確かに、自動車の事故なら過失割合で50対50ぐらいかもしれない。
 しかし、海の上で、大きさも違う、ましてや自衛隊のイージス艦だ。
 漁船側が、イージス艦の後ろを通るというのが、当然だし、また慣習法としても「小」が「大」を優先するというのが当たり前であろう。

 そのあたりが、--漁船が事故直前に右転するまで衝突の恐れはなく、あたごに回避義務 はなかった—ということであろう。

 筆者は、記事の判決を支持する。

 逆にいえば、海難審判の審判の方が、なにか作為的だ—と批判されるべきだと筆者は思う。