2014年2月12日水曜日

アジアでは少女時代の方が人気—と韓国紙。

いや、そもそも比較対象ではあるまい。
 さて。
 筆者はどこにひっかかったのだろう。

 韓国の新聞で、韓国の「少女時代」と日本の「akbなんとか」を比較した記事があぅて、筆者が最初に思ったことが冒頭の表現だ。

 そもそも、同じ土俵の上で、比較するということがおかしいだろう—と。
 そして、本質的に違うものを比較しているのだ—ということに気がつかない--そういう韓国紙に違和感を抱いたということだ。

 同じような10代、20代の女性が歌い踊っているのだから—同じじゃないか--てか。
 でも、日本のグループでどうこう—はちょいと違う。
 なにか、国の安定感とか繁栄の尺度のようなものが、その裏っ側にあるような気がする。

 そう、このところ、日本という国の「ガラパゴス化」が一層、顕著になった気がする。
 そこにあるのは、もう外国の人間がどう思おうと、外国に全く理解されなくても—もう、どうでもいいや--という感覚なのだろう。

 なんか、世間ではグローバル化がどうこうとか、英語の会話でどうこう—とか、世界へ向けて発信するという「姿勢」だけが顕著となっている。

 しかし。
 実際には、日本という国・日本人はどんどん閉じこもっていきつつあるようだ。
 いや、筆者はそのことを非難する気はない。

 いま、日本人・総オタク化・総ひきこもり化—しつつあるのではあるまいか。
 日本の映画とか小説とか。
 もう、外国人に向かってアピールなんてさらさら考えてはいない。

 日本人に訴えることができればもう十分だ—という意識の元に作成されている。

 今、日本という国は、再度、精神的な「鎖国」へ向かいつつあるような—そんな気がする。

 以下、新聞から抜粋。

 日本の有力メディアが少女時代の高い人気を証明した。
 日本の読売新聞は最近、少女時代と日本のガールズグループAKB48のアジア人気を比較した。

 韓国・日本・フィリピン・ブルネイ・インドネシア・ミャンマー・マレーシア・モンゴル・シンガポール・香港・ カンボジア・タイなどアジア各国での人気を比較した結果、 日本を除いて少女時代がAKB48よりもずば抜けて優位に立っている数値を記録した。

 唯一、日本だけで2グループが同じ数値を見せた。
 AKB48の場合、 JKT48・TPE48・SNH48などの姉妹グループが活動中であるインドネシア・タイなどの国を除けば 100ポイントを基準にして20ポイントを超えたところがない。

 日本の主なメディアが現地のガールズグループではない少女時代を 高く評価した記事を大きく扱ったという点で注目を集めている。


▲補足、感想など

 冒頭ではとんでもないところまでいった。

 核心はなんだろう。
 それは。

 「日本の文化というものが、世界のレベルより頭1つ抜けだした」ということなのだろう。

 卑近な例でいえば、食事か。
 筆者は海外で食事をして美味しいと思ったことがない。
 そりゃ、安いホテルで泊まったのだろう—と指摘されればそうかもしれない。また、食事は「慣れ」の部分が大きいから、「慣れずに」食べれば、美味しいとは感じないよ--と言われればそうかもしれない。

 でも、日本なら、例えコンビニの弁当を食べても美味しい。
 海外ではなかなかそう感じない。

 つまり、日本人は戦後70年近く、海外には美味しい食事とか、面白い文化とか、もっといいものがあるのではないか—とウロウロしてみたが、結局、日本の身の回りにあるものが一番、美味しいし面白いものだ--と気がついたのではあるまいか。

 最近、日本から海外への留学生が激減しているようだ。
 そういえば、平安時代か。
 日本が遣唐使を廃止した—というタイミングがあったなぁ。
 あの感覚、あのタイミングに似ているのかもしれない。

 記事にある日本のakbなんとか—も、日本のガラパゴス化の一環なのだと思える。
 彼女達は、日本という国の数十年にも及ぶ「平和と繁栄の象徴」なのだ。
 いわば、見ていて微笑むような「多幸感」の象徴だと考えると、筆者なりに納得する。
 いわば、「動く美少女フィギュア」だ。

 韓国の少女時代というのは、「芸能人」であろう。
 だから。
 見た目は同じでも、「持っている意味」が異なるのだ。同じ土俵では比較はできない。

 今の日本のガラパゴス化の進行は、「外国からもう学ぶことはない」等という傲慢な精神からでてきたものではなくて、「自分達の日本文化というものが、世界のレベルより頭1つ抜けているのだ」--ということに、インターネットと見ながら、自然と気がついた--ということにあるのだろうな。

 この傾向は、日本文化に比肩するだけのもの(日本人がそう思い感じるだけの--)が出現しない限り、当分続きそうだ。