2019年7月1日月曜日

稲作文化 上山春平・渡部忠世編 中公新書 昭和60年1月刊 感想


稲作を巡る議論って、本当に面白い。
 表題では、感想と書いたが、筆者には表題の本を概括するだけの能力に不足している。
 例によって、アマゾンの評者の評の抜粋をのせて、大凡の部分を分かってもらい、最後に筆者の印象にのこった部分を記したい。

 --ここから--

 本書は、照葉樹林文化をめぐるシンポジウムの第三弾です。
 そもそもの本書に至る流れとして、きっかけとなったのは中尾佐助氏の『栽培植物と農耕の起源』(岩波新書,1966)です。
 そこで提唱された照葉樹林文化という概念について、『照葉樹林文化』(中公新書,1969)により文化人類学・考古学・生態学・植物栽培学といった幅広い分野から検討がなされました。
 続いて『続・照葉樹林文化』(中公新書,1976)においては、前著の議論を踏まえ、照葉樹林文化のセンターとしての東亜半月弧の提唱と検討がなされました。
 この東亜半月弧は、地中海農耕文化のセンターであるファータイル・クレッセントと対照させる形のもので、日本のみならずアジア全体における農耕文化の起源に修正を迫るほどのインパクトのあるものでした。

 さて、前著においては東亜半月弧を提唱するきっかけとなったのは、渡部忠世氏のイネの起源に関する研究成果を受けてのものでした。そこで、本書においては新たに渡部氏を加えての討論となりました。
 そもそもの話、中尾氏が稲作文化などというものはないと言っておりました。それは、大規模な稲作地帯を含み、イネの起源と目されていたインドについて、その他の地域の稲作地帯とあまりに文化が異なるため、まとまりのある稲作文化は成立しえないとの認識があったからです。
 しかし、渡部氏の言う原農耕圏、すなわちイネの起源が東亜半月弧と連動を見せていたことから、稲作のセンターをインドから東亜半月弧に移すことにより、稲作文化というものが再浮上したわけです。
 インドに関しては、むしろファータイル・クレッセントの影響が強く、麦作文化に稲作が乗った形となったため、東アジアの稲作文化とかみ合わなかったというわけです。
 それ以降の議論は、主に稲作文化とは何かということでしょう。イネを作るということ以外に、複合して現れる文化とは何か、様々な角度から探っております。
 個人的には踏耕についての議論は非常に面白く、初見の内容が多くシンポジウム出席者たちの異様なほどの知識量に圧倒されました。
 踏耕という一見マイナーな文化が日本を含め、アジア地域に広く存在する様子は驚きの一言でした。という風に、本書は全体を通して圧倒的な知識量と経験をもとにした豊饒な議論によりできています。
 読めば私のつまらない総合など吹き飛んでしまうでしょう。本書を読むあたっては、シンポジウムが始まるきっかけとなった『栽培植物と農耕の起源』、さらには前著二冊を読んでみてください。
 お勧めいたします。


「照葉樹林文化―日本文化の深層 (中公新書 (201))」「照葉樹林文化 続―東アジア文化の源流 (2) (中公新書 438)」の後に出版されたもので、前2冊をふまえた上での5名の先生方の対談形式の本。

序説
1 照葉樹林文化と稲作文化
2 稲作文化とは何か
3 稲作文化の歴史と現状
 という内容で、序説以外の3項目は全て対談。
 内容はとても細かく、それぞれ副題がついているがここには書ききれない。日本だけではなくて、アジア各地の食文化が話題になっているので大変興味が持てた。

 --ここまで--

 筆者は、稲というものが日本にどう入ってきたか—という部分に興味をもった。
 対談の中で、bc2000年頃に陸稲(おかぼ)として日本に入り、縄文後期・弥生時代になって、本格的な稲作農耕文化(水田での稲作を含む)の段階に入ったとのこと。(なお、イネは、本来が畑の作物であり、山の作物であった)

 どうも、日本人は、イネとみると水田を連想するが、本来は陸稲が主であった—というのは、この本を読むまで知らなかった。