2016年2月21日日曜日

漂流  吉村 昭著 昭和51年 感想。

これは、江戸時代(18世紀の終わり頃)、難破して鳥島へ流され、12年という歳月を経過して、日本へ自力で脱出した男の物語だ。
 同じく流されてきた仲間達、3人は数年の内に死んでしまう。
 しかし、主人公=長平のみは、生きながらえ日本へ帰還するのだ。

 この生死の「差」は、いったいどこにあったのだろうか。
 なぜ、長平は日本本土へ帰還できたのだろうか。

 そのあたりの感想を箇条書きとしたい。

あ、「差」その1---自分の目の前を滔々と流れる「現象」を正しく認識・把握できること。
 生きていれば、当然、目の前を「様々な現象」が流れていく。それをボーと見ているか、キチンと本質が分かっているか—ということの「差」が、生死を分けるということ。

-1.鳥島はアホウドリの繁殖地だ。長平達が鳥島にたどり着いたときは寒い時期だったので、アホウドリを食料とすることで生きることができた。
 しかし、暖かくなって、ヒナ鳥が大きくなり飛ぶ練習をしはじめる。
 それを見て、長平は気づく、「この鳥は渡り鳥ではないのか」--と。
 で。アホウドリの肉を「干物」にして、夏の間の食料として貯蔵するという手段をとる。

-2.長平の仲間達は、アホウドリの干し肉を食べて、ゴロゴロするという生活をし始める。
 するとビタミン不足で、身体が動かなくなる(これが長平の仲間が亡くなった理由だ) → 長平のみ、運動を続けること、海藻、魚を食べるということを続ける。

-3.春にアホウドリのクビに木片の手紙をつけて連絡を試みる。しかし、秋になってこの木片をつけたまま島に帰ってきた鳥は一羽もいなかった。→渡り鳥にとって、クビに木片をぶらさげるということは致命的なハンデなのだ。力尽きて海に落ちて死んだに違いない--と。

い、「差」その2--精神的に強いこと、ないしは、なにか頼るものをもっていること。
 自分を内側から支えるなにかが必要だということ—長平の場合、それが念仏であった。
 また、仮にこの島に一生暮らすことになるとしても、絶望せず、毎日を健康に生きるということに心がける--と。

う、「差」その3—鳥島を脱出した決め手は、「自作の船」であった。
 鳥島は江戸から直線で500キロ以上、一番近い島:青ヶ島からでも220キロもある絶海の孤島だ。
 近くを船が通るのを見たこともない。
 だから、近くを船が通ってこれに連絡するということは不可能だ。この島を脱出するのは、自分で船を作るしかないのだ—と決断する。

 こう決意して、その後鳥島に流れ着いた他の人達と共同して、鳥島へ流れ着く流木を寄せ集めた自作の船でこの鳥島を脱出し、一番近い青ヶ島、八丈島へたどり着くことができた。
 長平にとって、12年掛かった鳥島脱出であった。

え、まとめ。
 なによりも気がつくのは、この長平の頭の良さだ。
 ものごとを考える時、その方向性の正しさということがよく分かる。
 賢く、かつ運が良くなければ、生きて鳥島から抜けだして日本本土へ帰ることはできまい。

 生死を分かつ「差」の際立つ点は、目の前を流れる「現象」を的確に把握することだ—ということが良く分かる。
 アホウドリが渡り鳥だと気が付かなければ、長平達はその年の夏には餓死していたろう。

 長平達が、鳥島を脱出する際、鳥島にこの先、難破して流れ着く人達のために、暮らしていく智慧を文書にして、また鍋、釜などを残している。
 長平という人は、故郷に帰り60才まで生きたという。

 賢く、常識的な人間でなければ、運にも恵まれない—ということだろうなぁ。