2011年12月27日火曜日

なぜ、素人が口を出すのか。菅元首相の原発事故への対応。

▲今年、3月の大震災直後の混乱の中で、菅さんが東電に盛んにあれこれ言ったようだ。
 このあたりの感覚って筆者には分からない。
 そうか。菅さんは一度も組織の中で働いた経験がないのだなぁ。

 組織の中で働いた経験もない、原発の作業に従事した経験もない。
 それでも、オレは首相となったのだから、オレの命令を誰でもがきくのだ…とか、簡単に思ってしまう…ということなのかな。

 いや、菅さんという人をみていると、そうではないのか。
 要するに、他人にまかせる…ということができないのだな。

 他人を信頼して一切をまかせ、責任は自分がとる…というやり方をとるのが普通だが、組織で働いた経験がないために、その対応策を取るという「決断」ができなかったのだろう。

 後から、首相は、なにしてた? と問われることを恐れて。また、率先垂範などという言葉が頭をよぎったのだろう。

 これは、菅さん個人としての履歴というか、どんな仕事をしていて政治家となったか…という部分からの反撃だろうなぁ。
 
 以下、新聞から抜粋。


 事故調査・検証委員会の中間報告では、東京電力福島第1原発事故での原子炉への海水注入をめぐる生々しいやりとりが明らかになった。
 菅直人首相(当時)が事故対応への介入を続け、混乱を助長したことがまたも裏付けられた。

 中間報告によると、1号機の危機的状況が続く3月12日夕、菅氏は首相執務室で班目春樹原子力安全委員会委員長、武黒一郎東電フェローらと協議。午後7時すぎ、武黒氏が第1原発の吉田昌郎所長に電話で海水注入の準備状況を聞いた。

 吉田氏が「もう始めている」と答えると武黒氏は「今官邸で検討中だから待ってほしい」と
要請。

 吉田氏は「自分の責任で続けるしかない」と考え、作業責任者にテレビ会議のマイクに入らないような小声で「これから海水注入中断を指示するが、絶対に止めるな」 と話し、大声で注入中断を指示したという。

 12日朝の菅氏の原発視察の際も吉田氏は「応対に多くの幹部を割く余裕はない」と困惑。
 14日夜には吉田氏は自らの死も覚悟し、必要な要員以外は退避させようと判断、総務班に退避用バスの手配を指示した。

 菅氏が15日朝、「撤退したら百パーセント潰れる」と東電本店に怒鳴りこんだのは、この指示を勘違いした公算が大きい。

 菅氏は官邸5階に閣僚を集める一方、地下の危機管理センターに各省庁局長級の緊急参集チームを設置。

 指揮系統が二重になった上情報集約もできず、放射性物質拡散予測システム「SPEEDI」の活用にも支障が出ていた。

▲補足、感想等
 予期せぬ出来事にぶっつかれば、誰しも混乱する。
 しかし、そこからが本当の「地頭の良し悪し」というものが発輝される。

 一番、肝心なことは、自分はなにができるか、なにを知っているか、そして、また、自分はなにができないか、なにを知らないか…ということであろう。

 何年か、組織の中で暮らしていると、この見極めがつく。
 自分の手に余るというか、能力以上のことは、その能力のある人に任すしかない…と考えるのだ。(あきらめる…というのが正確かな)

 このあたりだなぁ。
 やはり、いかんせん、菅さんは組織の中で働いた経験がないものだから、この「見極め」がつかないのだな。
 それが、菅さんが盛んに東電の対応に口出しをしていた根底の部分なのであろう。

 やれやれ、まずいタイミングで、まずい人が。
 まぁ、これが日本という国が背負い込んいる「運命」というものかもしれない。
 地震と津波とは、主として太平洋側なら、いつ起きても不思議ではない。

 行政側も準備としてはできているつもりでも、実際にこういうタイミングで発生すると様々に「想定外」が起こる。
 
 こんな想定外の事柄まで準備しなければならないのか…。
 この日本という国の自然の厳しさをみよ。
 
 繰り返し繰り返し、日本人はこの襲い来る災害によって鍛えられているのだ。