2015年1月2日金曜日

優越主義を排して、中韓と共生---だとさ。毎日新聞の朝鮮系工作員。

朝鮮系の人間の発想って、日本人とこう基本的に違うのだな。
  一体、この発想ってなんだろう。

 あぁ、元々、日本に対して、強い劣等感を感じていたということか。
 だから。
 逆に中国がgnp で日本を追い越したとき、日本は中国に強い劣等感を感じる「筈」と思うのか。
 そんなバカな--

 中国人、韓国人の文章を読んていつも感じるのは、こういう事実を述べるときに、「感情」を混じえてしまう—という日本人からしたら不思議な感覚だ。
 事実を事実として「突き放して」見るということができないのだな。
 科学的な合理的な見方、思考ができない—ということか。

 偉そうにいう気はないけれど、こんな考え方をしているから、中国人・韓国人は、ノーベル賞から遥かに遠いのだ。

 10数億人にいる中国と、1億数千万しかいない日本とで、いつまでもgnp が日本が優るなんてことがある訳がない。
 数年前か。
 中国がgnp で日本を追い越したとき、中国人は有頂天になったらしいが、日本ではべつに—という感想でしかなかった。
 それがおかしいか。それが普通というものだろう。

 以下、新聞から抜粋。

 笑顔で復員してきた兵士、紙芝居に夢中の子供、庭先で子守をする農家の女性。
 敗戦直後の日本を描いた写真集を手にとって みるといい。
 そこに戦後日本の原風景がある。

 子供も大人も表情に屈託がない。
 戦争が終わり、平和が戻ってきた安堵(あんど)感。
 夢とあこがれ。
 前向きの明るさと希望が満ちていた。

 戦後70年の今はどうだろう。
 日本を覆っている気分は、不安といらだちである。

◇強いアジアと向き合う

 背景には隣国との不和と対立があることを、日本人が感じとっているのではないか。
 世論調査では、中国、韓国に親しみを持てないと答えた日本人が過去最高を記録した。
 中韓の反日感情と日本の 反中・嫌韓感情が衝突し、不安といらだちをあおっている。

 要因はいくつかあろう。
 根本は、中国の大国化にみられるパラダイムシフト、時代の枠組みと秩序の変革に日本が直面 している、ということだ。

 日本はGDPで中国に抜かれ、世界第2の座を明け渡した。軍事面でも尖閣諸島で圧迫され続けている。
 韓国も民主化と経済発展、自意識の高まりなどで、日本に向き合うようになった。

 アジアの先進国日本は今、「強いアジア」と向き合う体験を迫られている。
 「アジアで1番」という 序列意識の揺らぎこそ、不安といらだちの正体であろう。

 明治以降の日本はアジアと距離を置き、欧米を手本にして先進国への道を歩んできた。
 帝国主義・植民地主義による軍事大国となって 戦争に突入し、破滅を味わった。
 戦後は経済大国を目指し、ジャパン・アズ・ナンバーワンともてはやされもした。
 序列意識と自負心が日本の近現代史を支えてきた。

 だが、成長してきた中国と韓国の興隆はいわば、歴史の必然でもある。
 東アジアの力関係の変化を 受け止め、立ち位置を見つめ直すことが、日本の課題ではないだろうか。

 序列意識は、行きすぎれば相手への尊敬を失わせ、他者を否定することで自己を肯定する優越主義 に陥りかねない。
 昨今の反中・嫌韓感情などにも、序列思考からくる他者否定の排他意識が潜んでいないか、 自問自答してみるべきだ。

 中国では中華思想に基づく「大国ナショナリズム」が高まりをみせる。
 韓国に日本を道徳的文化的に下に見る序列思考がある。
 李教授は「東アジアには強さと力を競う帝国モデルが残り、序列でものを考えすぎる」と語る。
 序列思考からの脱却は、 東アジア共通の課題と言える。

◇等身大の日本を誇りに

 東アジアでは力の対決は避けられないという見方もある。
 長い目で未来を見通すべきである。
 「世界の 真ん中で輝く日本」(安倍首相)と「中華民族復興の夢」(習近平主席)がぶつかる構図は、世界からはエネルギー を浪費しているとしか見えないだろう。
 東アジアの潜在力とダイナミズムを失わせる。

 欧州は欧州連合を通じて「平和の制度化」に成功した。
 序列よりも並列という意識を定着 させた過程には、東アジアも学ぶところがあるはずだ。

 日本には成熟した市民社会をはじめ、文化や歴史や自然がある。
 他者の視線や評価を気にするより、日本を心の中 で静かに誇っていればいい。

 アジア・太平洋賞を受賞した葛兆光氏は「中国は大国になったと錯覚してはいけない。高圧的に出るのでなく隣国、世界と 仲良くすることだ」と語っている。
 こうした声が中国にもあることを前向きに受け止めたい。

 日本の役割は「ナショナリズム」を振りかざし、過去の栄光を取り戻すことではない。
 優越主義によるアジア観を排し、中国・韓国と共生 できる地域の未来を考えながら、東アジアの和解と連帯に率先して取り組むことであろう。

 国の力とは多元的なものであり、力と強さだけが尺度ではない。
 どの国の歴史文化にも誇るべきものがある。

 序列思考の呪縛 から解き放たれ、互いのナショナリズムを尊重しあう東アジアを展望していく。 
 その新たな地平を切り開くことが、戦後レジーム からの脱却だと考える。


▲補足、感想など

 なにを言っていることやら。
 この文章、毎日新聞にいる朝鮮系の工作員が書いたものであろう。正体を現せ。

 戦後から半世紀以上も、日本を・日本人を卑しめることに専念して、サンザン火をたきつけておいて、いざ、日本人が切れて、反撃を始めると、これはやり過ぎた—と慌てて「火消し」に走っているだけではないか。<そもそも、反撃されるということを想定していないところは、儒教で育った文官優位の歴史に束縛されているためだな--韓国系なりゃこそだ>

 <ついでと言ってはなんだが、中国の万里の長城というものを見たことがある。あれこそ、上でふれた文官の発想でできたものだ。科挙制度の試験の内容は、歴史などが主であろう。つまり、技術的な工学的な思考力がゼロなのだ。騎馬民族が山の天辺を馬に乗って乗り越えてくる訳がない。幹線道路を防ぐことで充分ではないか。それを連続した構造体とする。無駄の多い・無意味な文官の発想であり理屈だ>

 この、マッチポンプ論説委員め。火消しをすれば、中国・韓国からお金が貰えるか?
 いや、正月早々、かっとなった。

 どのあたりから。
 序列という「文言」が記事中に盛んにでてくる。
 この序列という言葉自体に、日本人には違和感がある。
 日本人は、そんなことなど考えはしない。

 序列といい、感情を絡めてしまう癖といい、記事は、中国人・朝鮮人の匂いがプンプンする。
 つまり、文章が朝鮮系洗脳工作員が書いたものだと丸わかりなのだ。

 戦後レジームについては、このブログでなんどもふれたが、再確認しておこう。
 戦後レジームとは、先の大戦直後、米軍が立案し、日本の在住する朝鮮系の人間を工作員として仕立て、日本の新聞放送業界、義務教育を中心とする教育業界へ大量の潜りこませ、以後半世紀以上にわたって、日本人の洗脳工作・世論誘導工作をした「体制」をいう。

 この洗脳工作体制は、実に巧妙に日本人の目から隠され、その隠蔽工作にはアメリカのcia も関与していたのだろう。日本のヤクザと何か関係があったらしい。
 まぁ、こうして巧妙に、かつ背徳的に隠蔽されていたのだが、2000年頃から2010年頃までに、日本全国津々浦々までインターネットが普及すると、この朝鮮系洗脳工作員達による「洗脳工作・世論誘導工作」が、日本人全員の目の前にさらけだされ、日本人全員が「その事実」を知ってしまったのだ。

 こうして、戦後レジームが崩壊した。
 特に、2012年頃の朝鮮系の民主党政権が倒れて以来、その崩壊のスピードが急速に加速し、2014年に完全に崩壊した—と言ってよいであろう。

 この戦後レジームの崩壊と並行して、嫌-韓国、嫌-朝鮮系洗脳工作員 という「動き」が日本全国に広がっていっだのだ。(半世紀以上も騙されていたのだ、当たり前であろう)

 こうして、嫌-韓国 嫌-朝鮮系洗脳工作員 までの流れを振り返ってみてみると、記事で書いてあるような、「序列」なんぞ、なんの関係もない—ことが分かる。

 日本人は、序列なんぞ、知ったことではない。
 ついでに、韓国なんぞ、どうでもいい。中国もまぁ、どうでもいい。
 中国に夢をかけるというなら、その企業、その個人で、「自己責任」でやることだ。

 日本人は、これから一層、アセアン プラス インド という地域に夢をかける—ということになろう。
 それは、戦後レジームが崩壊し、日本の新レジーム構築において、日本人が選択したというか、賭けた—そういう地域なのだ。

 今年から始まる「日本の新レジーム構築」の中で、上の記事を書くような、戦後レジームの生き残りのような朝鮮系洗脳工作員達を、日本人は排除・放逐するという動きにでよう。

 戦後レジームの崩壊 → 新レジームの構築  という日本の趨勢は、結構大きなウネリとなって、日本の新聞放送業界、教育業界を動かしていくことになろう。