2015年8月19日水曜日

韓国人による「安部談話」評。

韓国人も安部談話には手こずっているようだ。

 安部談話は、日本の明治維新以来の150年を大雑把に総括したものだ。
 大局的に述べて、村山談話なんぞというもののもつ「偏向」を、修正したものだ。

 だから。
 別に、謝罪などしている訳ではない。
 いや、それに近い言葉があるじゃないか—とか言われそうだが、それは「お世話になりました」てな感覚に近い。

 このブログでなんども触れたように、日本という国の指導者が、もうなんとか談話を出すということはない。この安部談話が最後だ。
 それは、戦後レジームが完全崩壊すると同時に、日本の先の大戦の「戦後」が終焉したからだ。

 もう、日本・日本人は、戦後という軛(くびき)から外れたのだ。そして、それは太平洋戦争というものが日本の「歴史の一ページ」となったということを意味している。

 以下、韓国の新聞から抜粋。

 安倍談話はよく読むとよく練られていることが分かる)
 安倍首相が冒頭で明らかにしたように、談話は歴史の教訓と未来に向けた確約を軸としている。
 第1次世界大戦以後に構築された国際秩序に挑戦することによって、数多くの人に損害と苦痛を与えた事実を認め、再びそのようなことを繰り返さないと誓った。

 痛切な反省と心からのおわびを表明した歴代政権の立場は今後も揺るぎないものだとか、これ以上日本の戦後世代に謝罪を要求しなければ良いという希望を表明。
 さらに過去の過ちに対する反省に基づいて世界平和と繁栄に寄与するという覚悟で最後を結んだ。

 予想通り、米国政府は両手を挙げて歓迎した。
 ホワイトハウスはNSC報道官の声明を通じて「安倍談話を歓迎し、戦後日本が『すべての国家の模範』になっている」と賞賛。

 ワシントンのシンクタンクと学界専門家たちを対象に実施したアンケートでは、回答者の63%が安倍談話を肯定的に評価。
 日本国内の世論でさえ肯定(44%)と否定(37%)で非常に高い評価だ。

 日本の植民統治と侵略を最も苦痛を持って経験した韓国や中国の立場としては、安倍談話は不十分なことこの上ない。
 安倍首相は自身の言葉で直接謝罪しなかった。

 特に韓国に対しては無視をし、嘲弄した態度が明らかだった。
 乙巳保護条約の締結と国権侵奪につながった日露戦争について「植民地支配のもとにあった多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた」と。

 韓国を植民地にしておきながらアジア人に勇気を与えたと主張するのは詭弁だ。
 少しでも韓国を配慮していたら、とうていできない表現だ。
 彼は反省とおわびに言及しながらも、その対象を「先の大戦での行動」に限定した。
 植民地支配は対象からはずれている。

 戦争の陰で名誉と尊厳を傷つけられた女性を取り上げながらも日本軍の慰安婦は口にしなかった。
 内鮮一体の皇国臣民であり、内地人だった朝鮮人に対しては謝罪することはないという認識の発露だったのだろう。

 安倍談話について韓国と中国で、水増し・幽体離脱・間接謝罪・形だけ謝罪といった批判が出てくるのは当然だ。
 安倍首相は「侵略に対する定義は定まっていない」と公言して、侵略戦争の象徴である靖国神社を参拝した人物だ。

 そんな彼にで期待できる「最大値」が何なのかを、安倍談話は明らかに見せた。
 A級戦犯を母方の祖父に持つ彼の限界だ。
 これ以上、彼に謝罪を要求するのは無理だ。

 400年余り前、日本は朝鮮を侵略した。
 自ら国を守る力がない朝鮮は、明国に救援を求め、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)は日中戦争になった。

 忠武公が活躍した海で韓日戦争の様相を見せただけだ。
 ソン名誉教授が著書(『柳成龍)、国を再びつくる時になりました』)で指摘した通り、壬辰倭乱は「朝鮮分割戦争」だった。

 倭は朝鮮の南側4島を占領しようとし、明は漢江北側4島を守って防衛の垣根にしようとした。
 言葉では表せない苦痛と侮辱を受けても朝鮮は「懲ビ」できなかった。

 急忘と外勢依存に陥った朝鮮は300年後、国を日本にそっくり譲り渡してしまった。
 自ら強くなれず植民地となり、ついに南北分割までが現実となった。
 光復70年を迎えた韓国に「偉大な旅程」を祝う歓声や合唱はあったが、どこからも懲ビの声は聞こえなかった。
 懲ビを通した自強こそ、安倍談話に対する私たちの最も強力な対応だ。

 だが大統領の光復70年の祝辞にも懲ビと自強の叫びはなかった。
 声ばかり張り上げるとなるのは、もちろん違う。

 賢くならなければならず、道徳と品格で尊敬を受けなければならない。
 果たして私たちは賢いのか。
 安倍首相を恥ずかしくさせるほどの徳性があるのか。
 まだまだだ。

 ペ・ミョンボック論説委員・巡回特派員


補足、感想など

 ふ~ん、400年前の秀吉による朝鮮への侵攻か。
 ならば、800年まえの元寇の際、高麗軍として日本を襲撃したことは言わないのか。対馬、壱岐の島民を虐殺したことは言わないのか。

 先の大戦当時、侵略の—植民地支配の--てのはなんのことだ?
 仮に、侵略の—とかで、日本に罪ありとするならば、韓国人も旧日本人として同罪ではないか。
 中国の言う南京大虐殺なるものが仮にあったとしたら、韓国人も旧日本人としてどっちゃり、中国人を斬り殺しているのであろう。

 同罪の人間から、日本人だけが一方的に非難される理由はあるまい。

 日本は、朝鮮半島を別に植民地としていない。
 朝鮮半島を「日本に近づけよう」と投資し、教育の普及、産業の育成に努力したのだ。
 ところが、朝鮮半島の住民は、プライドだけ高く、肉体労働を卑しむという労働者として最も不適な民族であったために、なかなかうまくいかなかったのだ。

 中国とは先の大戦についての「戦時賠償」は、解決済みだ。
 日本は、別に中国に謝罪とか賠償の必要はない。

 大切なことを繰り返そうか。
 安倍談話は、日本における戦後レジームという朝鮮系洗脳工作員達による「日本人洗脳工作体制」の完全崩壊を受けてなされたものだ。

 日本の戦後レジームの崩壊は、上でもふれた日本・日本人の先の大戦の「戦後の終焉」を意味している。

 戦後レジームの崩壊を受けて、日本は、「次なる150年」という新レジームを構築中だ。
 日本は、日本人は、もう新レジームに突入した。
 安倍談話は、新レジーム構築の「嚆矢」となるものだ。