2015年8月9日日曜日

日本は韓国に謝罪も賠償もしない。

なぜ、しないのか—って。
 する必要がないから。

 1945年までは朝鮮半島は日本だったのだ、だから、日本人だった。
 先の戦争で日本が有罪だというなら、韓国人も当然、有罪だ。
 同罪のものから、日本人がとやかく言われる筋合いはない。

 そして、その1945年までの日本と朝鮮半島との間でのアレコレ一切がっさいが1965年の日韓基本条約で完全に解決済みだ。
 日本はいまさら、なにをする必要もない。
 謝罪? 賠償? なにそれ、美味しいのか---という世界だな。

 以下、韓国の新聞から抜粋。

 中央日報

 安倍首相の戦後70年談話(安倍談話)が14日に発表される予定。
 第2次世界大戦終戦70年を契機に、過去を振り返って未来のビジョンを提示する安倍内閣の公式立場を内外に表明するという意味を持つ。

 談話が韓日関係を改善し、両国関係が新たにスタートする変曲点になることを願うが、そのような期待はしないのがよさそうだ。
 安倍談話の内容に関連する報告書が失望感を与えているから。

 首相が委嘱した16人の専門家で構成された諮問機構は、議論の結果を反映させた報告書を安倍首相に提出。
 植民地支配と侵略の事実を明記し、「先の大戦への反省に基づき、異なる国に生まれ変わった」という部分を通じて「反省」にも言及。

 しかしどこにも謝罪の表現は見られない。
 戦後50年に合わせて発表された「村山談話」の4つのキーワード(植民地支配、侵略、反省、お詫び)のうち3つだけが反映された。
 報告書に基づいて安倍談話が発表されるのなら、日本政府の歴史認識は20年前より後退したという非難を免れがたい。

 報告書は朝鮮半島強制併合過程に関する説明を省略し、「民族自決の大勢に逆行し、特に1930年代後半から植民地支配が過酷化した」という言葉とともに、「列強は、進んだ国々が、 『野蛮』『未開』の地域を文明化するために植民地化するという構図を世界で普遍化しようとした」とし、帝国主義で日本の責任を隠した。
 植民地支配自体に対しては謝罪することがないという認識を表したのだ。

 また「戦後70年間の韓国の対日政策は理性と心情の間で揺れ動いてきた」とし、韓日関係悪化の責任を歴代韓国政府の一貫性のない対日政策のせいにした。
 典型的な我田引水式の論理だ。

 旧日本軍慰安婦動員の強制性を認めた「河野談話」を覆し、靖国神社参拝と歴史教科書歪曲、
過去の歴史に関する多くの妄言で韓国人の傷口に塩を塗ったのが誰であって韓国政府のせいばかりにするというのか。

 毎日新聞は昨日の社説で「韓国側の『心情』的な外交姿勢を批判するのに、日本も感情的な表現を用いるのは決して得策ではなかろう」と指摘。
 謝罪が伴わない反省は見せかけである可能性が高い。
 自らの過ちで他人に被害を与えたことを本当に反省しているのなら、謝罪をして当然だ。

 安倍首相が戦後70年談話で侵略と植民地支配、痛切な反省を述べながら、お詫びという最も重要な言葉を抜けば、反省の意は疑われるしかない。
 安倍談話を契機に日本が国際社会に寄与する普通の国になることを望むのなら、謝罪の表現一つを避けようとして談話の趣旨が色あせてしまう愚を犯してはならないだろう。


補足、感想など

 毎日新聞か。
 日本にいる朝鮮系洗脳工作員達の新聞などをとりあげるなよ。
 本国と日本にいる工作員とか結託した捏造記事だとわかりきっているではないか。

 そもそも、日韓併合は、べつに植民地支配ではない。
 朝鮮半島を日本化しようとしたものだ。
 ところが、現地の人間が、プライドだけが高くて肉体労働を卑しむという労働者としてもっとも適性のない民族のため、うまくいかなかったのだ。

 いくら、日本人が水を飲まそうとしても、水を飲みたくない馬を水場につれていっても無駄だったということだ。

 あぁ、河野談話にもふれようか。
 これは、戦後レジームという日本人洗脳工作体制の下で、韓国政府と日本にいる朝日新聞、河野洋平さんなどの朝鮮系工作員が結託してでっちあげたものだ。

 戦後レジームが完全崩壊した今、その欺瞞性が明らかとなって、いわば、取り消されたものだ。

 この戦後レジームの完全崩壊をうけて、日本人は、韓国を見捨て縁切りしたのだ。
 関わらない、教えない、助けない—どうでもいい国・韓国だ。

 冒頭で触れたことを繰り返そうか。
 日本は、韓国に謝罪も賠償も絶対にしない。
 また、安部さんは、韓国の朴大統領と話し合う気などさらさらない。
 いつでもドアは開いています—てなセリフは、単なる外交辞令そのものだ。