2019年5月30日木曜日

「長期停滞」脱却に財政赤字拡大を。今、財政政策の役割が求められている


国家規模での財政を議論できるだけの頭脳は少なかろう。
 高橋さんという「神童」は、国家規模での貸借対照表と数式を使って、表題のような結論に達している。
 高橋さんほどの「頭脳」で、初めて辿り着ける「視点」と言っていいのだろうな。

 以下、記事を抜粋。長文なのだが、できるだけ残して抜粋したい。

財政破綻論が、降水確率0%で「外出を控えろ」と言う理由
 高橋洋一:嘉悦大学教授 

「長期停滞」脱却に財政赤字拡大を主張
 日本は悪性の『長期停滞』、つまり民間需要の不足に直面している。
 完全雇用を維持するには、金融政策は可能なことをすべて行った今、財政政策の役割が求められている――。
 国際通貨基金(IMF)の元チーフエコノミスト、オリビエ・ブランシャール氏が、公債発行額とその元利払いの公債費を除いた財政の基礎的収支(プライマリーバランス)の赤字を維持し、さらに拡大すべきだというツイートを日本語で行ったことが話題になっている。
 日本では相変わらずの「財政再建至上主義」の財務省や、財政健全化を唱える学者も多い。
 ブランジャール氏の一連のツイートでの主張との違いはどうして起きているのか。
 ツイートのもとになっているのは、ブランシャール氏と田代毅氏が、二人が席を置くピーターソン国際経済研究所で5月に出したペーパーだ。それは日本語でも読める。
 田代氏については、筆者は面識がないが経産官僚のようだ。
 そのペーパーでは、結論にこう書かれている。
 現在の日本の環境では、プライマリーバランス赤字を継続し、おそらくはプライマリーバランス赤字を拡大し、国債の増加を受け入れることが求められています
 プライマリーバランス赤字は、需要と産出を支え、金融政策への負担を和らげ、将来の経済成長を促進するものです。 要するに、プライマリーバランス赤字によるコストは小さく、高水準の国債によるリスクは低いのです」との結論が書かれている。

 ペーパーは、政府と中央銀行(日銀)の負債・資産を一体で見る「統合政府」論による分析がされており、「(政府の債務は)総債務ではなく純債務が正しい概念です(少なくとも良い概念です)」という前提だ
 こうした考え方による主張は、財政省が、狭義の政府で見た総債務の分析から導き出す情緒的な結論よりは、筆者にとっては信頼できる。
 その内容も、筆者が本コラムなどでかねて主張しているおおよその方向性と同じだ。
 財政政策と金融政策の一体運用に基づいて、まだ財政政策の余地があるという主張に異論はない。

★インフレ目標は財政規律維持の枠組み
 つまり、今の日本は、「2%インフレ目標」に達していないという現実から考えても、金融政策で物価を上げる余地がまだあるとともに、財政政策で需要を喚起する余地がある
 財政赤字拡大を問題視する論者がいるが、「統合政府」で見れば、政府が発行した国債を中央銀行が購入するのは、統合政府の負債としての国債と、日銀の供給するマネタリーベースの交換にしかならない。
 ここで、マネタリーベースは基本的には無利息無償還である。
 この場合、国債発行がやり過ぎかどうかはインフレ率に出てくる。
 つまり、インフレ率がインフレ目標を上回ることになれば、財政赤字は過大ということになる。
 インフレ目標は、財政規律を維持するものとしても意味があり、財政規律維持の枠組みになり得るのだ。
 日本では、こうした政府と中央銀行の連携を「財政ファイナンス」として禁じ手のように言う論者がいるが、インフレ目標の範囲であれば実体経済に弊害はなく、日銀の国債購入を否定する理由はない。
 また、現状の日本経済を考えると、プライマリー赤字を過度に恐れる必要はなく、それによる成長を目指したほうが、結果としての経済やその一部である財政にとっても好影響になると思う。

★財政健全化は成長の後からついてくる
 こうしてみると、財務省がマスコミや一般国民に垂れ流している考え方は、財政再建至上主義といえることがわかる。
 財政が経済を動かすという世界観で、プライマリーバランスの均衡化が最優先になる。
 一方、ブランシャール氏らの考え方の背景にあるのは、財政は経済の一部であり、マクロ経済学の基本通りに政策運営をすれば、経済成長で税収も増え財政(健全化)はおのずと後からついてくるという経済主義だ。
 この考え方では、日本経済には一時的なプライマリーバランス赤字は問題でなく、経済再建のほうが優先される。
 日本での議論を見ていくと、日本では財政再建至上主義の裏側に、「財政破綻論」が根強いのに気がつく。

 筆者が考えるその一例は、東大金融教育センター内にある、すごい名称の研究会である。
その名前は、“「財政破綻後の日本経済の姿」に関する研究会”だ。
 代表は、井堀利宏(東京大学大学院経済学研究科教授)、貝塚啓明(東京大学名誉教授)、三輪芳朗(大阪学院大学教授)という日本の経済学会を代表する学者らだ。
 活動内容はホームページに記載されており、2012622日が第1回会合で、2014103日まで22回も開催されていた。
 ホームページには、研究会発足にあたり、「われわれは日本の財政破綻は『想定外の事態』ではないと考える。参加メンバーには、破綻は遠い将来のことではないと考える者も少なくない」と書かれている。
 第1回会合では、三輪氏が「もはや『このままでは日本の財政は破綻する』などと言っている悠長な状況ではない?」という論点整理メモを出して、勇ましい議論をしている。
 要するに、財政破綻は当然起こるので、破綻後のことを考えようというわけだ。
 はじめのうちは、財務省、日銀らの実務家を呼んで議論をしていたようだが、その後、安倍政権が誕生し、アベノミクスに研究会の関心も移った。

 2013412日の第11回では、インフレ激化、財政破綻が顕在化する問題が指摘され、アベノミクスにかなり懐疑的な様子だ。ところが、長期金利は一向に上がらず、歴史やテクニカルな金融分析を行うようになる。
 2014827日の第21回会合では、〈8月末時点の長期債の最終利回りは0.5%を下回っている。
 ある意味、不可解な現象である。
 われわれは過去2年間「現状の日本でなぜ国債価格の大幅下落、急激なインフレを伴う「財政破綻」は現実化しない、その予兆も見えないのはなぜか…?」という問題意識を抱き、研究会を続けてきた〉と、もどかしさを隠しきれない様子だ。
 彼らの本音は、自分たちは正しいのに、世間の現実が間違っているということだろう。
 こうした研究がおかしいとは思わない。
 学者というのはどこか浮世離れしているもので、そこに存在意義があるともいえるからだ。

★曖昧な政府債務の定義「財政破綻本」の警鐘当たらず
 ただし、この研究会の危機感は、債務残高対GDP比が発散すると考えているようだ。
 日本の数字をいえば、「借金1000兆円でGDP500兆円の200%」というのが財務省の常套句だが、いつも疑問に思うのは、どうして資産を引いてネットで考えないのだろうか、ということだ。
 政府単体だけでも資産を相殺したネットで考えれば、対GDP比100%にはならない。
 ちなみにネットでアメリカと比較すれば、日本のほうが低い。
 政府単体ではなく、政府子会社(日銀は政府子会社である)も含めた連結ベースで見たらどうか
 ブランシャール氏のように「統合政府」というのでもいい。
 その上でネットで見ると、債務は0%に近い。
 こうなると、先進国の中でトップクラスの出来である。

 研究会で勉強をするのは結構なことだが、そもそも議論のスタートである「財政破綻があるはず」という認識がかなり怪しかったのだろう。
 結局、研究会自体も今から4年半前の2014103日の22回で終わり、現在は休止になっているようだ。
 こうした議論の根本的な問題は、日本の財政状況をしっかりと数量的に把握していなかったことだ。
 財政破綻というのは、債務残高対GDP比率が発散するということだとは認識していたと思うが、この場合の債務残高について、グロスなのか、ネットなのかさえ明確でない。
 筆者にはなんとなくグロスと思い込んでいるように思える。
 参加している経済学者は、会計的な知識が乏しく、国のバランスシートさえ頭に浮かばなかったようだ。

 経済学者によるいわゆる「財政破綻本」もかなり出ている。
 例えば『2020年、日本が破綻する日』(20108月)、『日本経済「余命3年」』(201011月)、『金融緩和で日本は破綻する』(20132月)などなどだ。
 しかしこれらの本が“警鐘”を鳴らした「財政破綻」は現実に起こらなかった。
 財政破綻は面白い材料なのか、これらの本以外にも、それに類する本は少なくない。
 ある国会議員は、財政破綻の問題を国会質疑で20年近くも主張しており、筆者が、予言は当たっていないと指摘すると、当たっていないことは認めるが、言わざるを得ないと言っていた。
 実現したら困るので、根拠なしでも言う必要があるというものだ。この意味では、ノストラダムスの予言と大差ない。

 一方で、財務省はこうした「財政破綻本」は増税の根拠にできるので、放置している。
 むしろ、財政破綻論を書きたい著者には財政資料をレクチャーするなどして後押しすることもある。
 『絶対に受けたい授業「国家財政破綻」』(20106月)は興味深い本だ。
 財政破綻論が書かれている。
 その本の筆者は、私にも見解を求めてきて、まず財政は破綻しないという私の意見も掲載されている希有な本だ。

★破綻のリスク試算「5年以内では確率1%未満」
 筆者が日本財政はまず破綻しない、と言ってきたのには理由がある。
 各国国債の信用度は、それらの関わる「保険料」(CDSレート、債券などの債務不履行のリスクを対象にした金融派生商品の取引レート)から算出される。
 危ない国債に対する「保険料」は高くなるはずだからだ
 しかも、この「保険料」がもっともらしいのは、それがネット債務比率対GDPと、かなり(逆)相関の関係を持つことだ(図は省略)。
 これは、ファイナンス理論と整合的な結果である。

 これをもとに考えれば、筆者の試算では、今後5年間以内における日本の財政破綻の確率は1%未満だ。
 日本の財政破綻について言及する人について不思議に思うのは、財政破綻のリスクがあるという言い方をしている人が多いことだ。
 「財政破綻本」の中には、財政破綻までの期間を明示したものもなくはないが、リスクという表現は、もともと確率を表現できるものをいう。
 それにもかかわらず、ほとんどの財政破綻論者は確率表現を用いることができず、感覚的に使っている。

 天気予報の降水確率でも、「今日の降水確率○%」という言い方をし、地震でも「今後○年間以内に発生確率は○%」と言うのに、なぜか、財政破綻のリスクについては“雰囲気”でしか論じない。
 その割に、財政破綻がいかにもすぐに起こり得るかのようにいって、緊縮財政を目論むのが財務省であり、それをうのみにしているのがマスコミである。
 確率表現できないのに、財政破綻リスクを言うのは、筆者には考えられないことだ。
 今の財政破綻に関する議論の状況を例えれば、降水確率0%なのに、万が一天候が急変するかもしれないので、外出を控えましょうと言っているようなものだ。
 (嘉悦大学教授 高橋洋一)

補足、感想など

 冒頭でふれた。
 国家規模の財政を議論できる頭脳って、数限られている。
 神童・高橋さんの出した結論と、”ピーターソン国際経済研究所” の出したペーパーの内容が同じだったという記事なのだな。

 高橋さんの議論は、その難しさをなんとか通常人にも理解可能なところまで、噛み砕いているというところに特徴があるのだろうな。
 アメリカのし掛けた第二の阿片戦争の最中に、安倍さんが消費税増税なんて、アホバカな方向に導かれないことを望んでいる。