2021年6月16日水曜日

東京五輪開催について、ビートたけしがなにか言っている。なぜなのだろう

 

東京五輪開催についてビートたけしが、なにか反対論のようなことを言っている。その文をみてみよう。

 タレントのビートたけし(74)はテレビ朝日系の情報番組「ビートたけしのTVタックル」の放送で、コロナ禍に打ち勝つことを目的に東京五輪の開催へ突き進む政府の動きに対し、「(戦争)晩年の日本兵みたいなもの。負けるとわかっていて戦争を続けているようなもんじゃないか」と苦言を呈した。番組では菅義偉首相が9日の党首討論で、五輪開催の意義について「世界が新型コロナという困難に立ち向かい団結して乗り越えられた」と発言したことが取り上げられた。コメンテーターの東国原英夫前宮崎県知事(63)は、「尾身茂新型コロナウイルス感染症対策分科会会長がパンデミックの中で開催する意義は何かという問いに対する答えとして政府内の統一見解になっている」と解説した。これに対したけしは「晩年の日本兵みたいなもんじゃないか。第2次大戦で失敗した原因が、(劣勢でも)『まだ勝ってる』って言ってたんだから」と憤った。

補足、感想など

 どこに核心があるのかなぁ。このコロナウイルスに対して、どう対応すればいいのか---「正解」を知っているものなど、この世界のどこにもいやしない。その意味で、誰の言っていることも、軽重はあっても皆「あてずっぽう」ということになる。東京五輪開催の最終決定者は、菅首相だ。菅首相は、この日本で「コロナウイルス対策についても最も多くの情報」を集めることのできる人間なのだ。菅首相は、その「最大限集めた情報」を「検討・分析」して、「東京五輪開催」を決断したのだ。筆者は、菅首相の「決断」を支持する。記事でのビートたけしの意見も、東国原さんの意見も、「あてずっぽう」の一つでしかあるまい。だから、なぜ、そんな「あてずっぽう」を大声で言わなければならないのか不思議でならない。

上掲の記事には、同種の「あてずっぽう」が並んでいた。いくつか拾ってみよう。

 --ここから--

・戦争も一握りの人間の判断で始められますが、いつも真っ先に犠牲になるのは数知れぬ無辜(むこ)の民。IOCや政府、都がパンデミック禍に東京オリパラ大会を強行開催し、万が一、選手村や市中で感染急増や感染大爆発が起きたら、同じように無辜の民が犠牲になるのでしょう。日本の政治家には、先の大戦で自国にも他国にも多大な犠牲を出し.

・取りあえず、政府は感染拡大したときにはどのような責任を取るのかはっきりして欲しい。賛成を唱えた議員は、次回の選挙には出馬出来ないしないとなどの、明確な責任の取り方で、国民が納得すれば、五輪開催も納得するんじゃないのか?戦争に負ければ、戦犯として処刑されるが、五輪で感染拡大で死者増になっても、被害を被るのは国民側だけだしね。

・同じように感じている人は多いでしょうね。菅首相が開催基準(戦争終結基準)を言わないで責任を回避しようとする姑息さ無責任さ民意無視の態度には本当に憤りを感じますね。

・たけしさんが言われている様なことを、このところ感じてました。まさに大本営発表とコロナの安心・安全神話は同じでは?このままだと軍部のリードで太平洋戦争に突入、当たって砕けてしまいそう。

・国民の過半数が7月のオリンピックに反対している。でも菅は民意を無視してオリンピックを強行する。民意を無視する強行は民主主義国家ではなく独裁政権。しかも都内の児童をオリンピックに強制観戦させようとしている。戦時中の学徒出陣のよう。常軌を逸している。独裁政権になったのは自民党が長期政権になった驕り。確かに野党はだらしないが、このままでは自民党はますますやりたい放題になる。自民党にはお灸を据える必要がある。自民党とお友達企業に大切な税金をむしり取られる。

・ホント、第二次世界大戦末期と同じレベルだと思います。(当時のことは書物でしか知りませんが)ほぼ負けが確定している状況でも、上官は「必ず勝つ」と言い続け、少しでもネガティブな発言をすれば袋叩きにされた時代。当時と違うのは.ITの技術進歩により国民が色々な情報を持ち共有している事。だから冷静に「政府の馬鹿さ加減」も個人の疑問としてではなく、大勢の意見として共有出来ています。こんな馬鹿政府ですが、国民が自民党に投票してしまった事ものさばっている一因です。猛省して、次の選挙では違う政党を支持します。

・少しでも歴史を知っている人間なら、誰でも同じように思う。日本の兵隊は勇敢だったが、将校は愚鈍だった、と敵が言っていたことも。まさに今も同じ。辻正信や牟田口廉也のような指導者ばかり、これではまたも敗戦。

・オリンピックでは選手団が15千人程度、これはバブル方式で管理をすると言っている。これに随行する関係者は7万から8万人と言われ、これはスマホのアプリで管理をして、違反行為に関しては即刻国外退去で臨むとしているが、今現在も一日300人は所在不明となっているのに、性善説をもっても不可能だと思う。特にバッハをはじめとする幹部は視察を名目に国内観光を実行すると思う。

 --ここまで--

 まぁ、どれもこれも「五輪反対してる人間はコロナがなくても、別に五輪なんてどうでもいいし、なんだったら失敗したほうがざまぁみろって感じで気持ちがいいって連中」だろう。

 コロナ騒動からの解放を示しているギフテッドの高橋さんの記事をみようか。

 --ここから--

さて、2ヵ月先の東京五輪について、中止への動きが政治問題化している。結果として筆者もそれに巻き込まれた形だが、その政治的な議論はさておき、そのときの新型コロナの感染状況はどうなっているのかを考えてみたい。まず、ワクチンの接種状況と新型コロナの感染状況の関係を見てみよう。G7諸国でみると、ワクチン接種の一定期間後、新型コロナの感染は確実に抑制されている。カナダ、フランス、ドイツは、100人当たりのワクチン接種が24回程度になると、新型コロナの新規感染率(人口比)がピークとなり、それ以降減少傾向に転じている。★あと約1ヵ月でピークアウト:イタリアでは12回程度から減少している。これらの国では、ワクチン接種直後に一度ピークが来ているが、その後再び波が来たために、ワクチン接種が一定以上になって再びピークアウトしている。イギリスとアメリカではワクチン接種の直後から減少しているが、これは波がなかったからだろう。いずれにしても、こうしたG7諸国の例でみると、遅くとも24回程度、早ければ直後から減少になると思われる。日本は、ワクチン接種直後に一度ピークになっている。再び波が来るとしても、遅くてもワクチン接種が24回程度でピークアウトするだろう。527日現在で、ワクチン接種回数は100人当たり8.8回だ。1日で60万人ペースでワクチン接種が行われれば、24回まではあと約1ヵ月である。なお、この60万人ペースは、海外の事例から見れば、かなり控えめだ。実際にワクチン接種では、習熟度等がまずので、ワクチン接種回収は、初めのうちは加速度がついて増加し、そのうちに鈍化していく。日本の60万人ペースはそうした海外から事例から見れば控えめだ。これは下図をみれば日本の予測の傾きが海外と比較しても小さいことからいえる。いずれにしても、日本のケースに当てはめれば、このまま新たな波がこないと、今の減少傾向が続くだろう。もしもう一回波が来ても、遅くともあと1ヵ月以内でピークアウトするだろう。それでは、2ヵ月後はどうか。そのときには、日本では100人当たりのワクチン接種回数は40回程度になっているとしていいだろう。G7諸国の場合、新たな波が来ないと、40回接種時の新規感染率は当初ピークの7590%減程度になる。新たな波が来ても2550%減程度だ。

★ピークの波も小さくなる:これを単純に日本に当てはめると、直近ピーク時は510日前後の100万人あたり50人程度(全国で6000人程度)であるので、新たな波が来ないと、100万人当たり512人程度(全国で6001500人程度)になるだろう。もし新たな波が来ても、100万人当たり2538人程度(全国で30004500人程度)だろう。新たな波が来ないと劇的な改善になり、もし新たな波が来ても、いったんは悪化するが、2ヵ月後には、今より悪くなるようなことはなくなっているだろう。これらの状況を示したのが※下図(末尾で)だ。もともと日本の感染状況は欧米に比べて少ないが、ワクチンが浸透するとさらに、波は小さくなる。予測1はあと一回波が来るとの前提で、予測2はもう波が来ないとの前提である。もう一回波が来ても、ワクチンの効果で波が消される可能性が高いと思う。こうした予測経済の常であるが、感染力が高いといわれる新株が急速に日本で拡大したらどうなるかであるが、この計算の前提になっているのは欧米の状況であり、新株が欧米でもあることを考えると、日本だけが特別の状況にならないかぎり、新株はある程度計算前提に織り込まれていると考えていいだろう。先の24日、米国務省は日本に対する渡航警戒レベルを4段階で最も厳しいレベル4に引き上げた。これがまたセンセーショナルに日本のマスコミで取り上げられた。米国の基準はかなり形式的であり、過去28日間の新規感染者数で、10万人当たり100人を超える状態が継続すると最も厳しいレベル4となるが、日本はそれに該当したが、米国や欧州連合(EU)など約150カ国が該当しているので、日本だけが適用になっているわけではない

 --ここまで--

 上の高橋さんの記事は、6月初めの記事だ。7月に入れば、もっと「コロナ騒動後」の世界が広がってくるさ。ギフテッドの人達って、目の前を流れる現象について、通常人の数倍のレベルの深さで、認識・理解できるのだ。その意味で「あてずっぽう」の一つではあるが、かなり確度の高いものとして認識してよかろう。