▲第九を聞きに行った。
筆者は、特別、音楽に詳しい訳ではない。
ただただ、音楽が好きなだけだ。
涙を流しながら、第九を聞き終えて、様々思った。
以下、箇条書きにして、印象等をまとめたい。
あ、この曲、日本人好みの曲だなということと、クラシックの曲としては、エラく派手だなということだ。
特に合唱の部分がなんとも刺激的だ。
この合唱、トイツ語なのだが、ウィキペディアに訳詞がついていた。
シラーの詩自体、長いものだし、必ずしも、日本人の感性にそぐうとも思えないが--。
最後の部分だけを転記しよう。
--ここから--
天の星々がきらびやかな天空を
飛びゆくように、楽しげに
兄弟たちよ、自らの道を進め
英雄のように喜ばしく勝利を目指せ
抱擁を受けよ、諸人(もろびと)よ!
この口づけを全世界に!
兄弟よ、この星空の上に
ひとりの父なる神が住んでおられるに違いない
諸人よ、ひざまずいたか
世界よ、創造主を予感するか
星空の彼方に神を求めよ
星々の上に、神は必ず住みたもう
--ここまで--
今、こうして生きている喜びを
今、こうして働ける喜びを
--そのことに感謝して、喜びたい。
う~ん、なんとも日本人好みの歌詞ではないか。
い、この第九はベートーヴェンの傑作だと思えるのだが、この曲を作曲した時、すでに彼は聴力を失っていた。
初演の時のエピソードがウィキペディアに書いてあった。それを転記してみよう。
--ここから--
ベートーヴェンは各楽章のテンポを指示する役目で指揮台に上がった。
ベートーヴェン自身は初演は失敗だったと思い、演奏後も聴衆の方を向くことができず、また拍手も聞こえなかったため、聴衆の喝采に気がつかなかった。
見かねたアルト歌手のカロリーネ・ウンガーがベートーヴェンの手を取って聴衆の方を向かせ、はじめて拍手を 見ることができた、という逸話がある。
観衆が熱狂し、アンコールでは2度も第2楽章が演奏され、3度目のアンコールを行おうとして兵に止められたという話まで残っている。
--ここまで--
初演の時は、聴衆を熱狂させたのだが、それ以後は余り、お客が入らなかったようだ。
合唱団が集まらないとか、曲が難しいために楽員の技術が追いつかない—とかの理由があるようだ。
それにしても、耳が聞こえなくても、これだけの傑作がつくれるものなのか。天才としかいいようがないな。
う、この合唱団というものが、この曲の「鍵」なのだな。
再び、ウィキペディアから転記する。
--ここから--
日本では、年末になると各地で第九のコンサートが開かれる。
近年では、単に演奏を聴くだけではなく、アマチュア合唱団の一員として演奏に参加する愛好家も増えつつある。
日本での圧倒的な人気の一方で、ヨーロッパにおいては、オーケストラに加え独唱者と合唱団を必要とするこの曲の演奏回数は必ずしも多くない。
--ここまで--
日本にはアマチュアの合唱団が数限りなくある。
彼らが年末になると嬉々として、この合唱に参加するのだ。
だから、日本での第九の演奏に問題が生じないのだ。
日本に「モノ」が入ってくると、タチマチ、大衆化する。第九もその例に漏れない。
え、おまけ。
演奏時間とcdの規格について、この第九の演奏時間が約74分くらいらしい。
cdの規格を作る時、この第九が全部入ることを目指したようだ。
なぜって。ソニーの故大賀さんが関わっているのだもの。
ウィキペディアから転記する。
--ここから--
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1979年からCD
の開発に当たったフィリップスとソニーはディスクの直径を11.5cmとするか12cmとするかで何度も議論を重ねており、大きさを基準に考えるフィリップスに対し、記録時間を優先したいソニーで話し合いは難航していた。
11.5cmであることの様々な利便性は明らかであったが、当時のソニー副社長でバリトン歌手の大賀典雄は、親交のあったカラヤンに、11.5cm(60分)と12cm(74分)との二つの規格で二者択一の段階に来ていることを話すと、カラヤンは「ベートーベンの交響曲第九番が1枚に収まったほうがいい」と提言した。
カラヤンの「第9」は約63分~69分であり、ほとんどの指揮者による演奏時間は60分を超えているからだ。
この「カラヤン裁定」を要因として、最終的に12cmに決定したというもの。
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